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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私の可愛い宝物


 暗がりの中でたった今、空腹を満たしたばかりの吸血鬼は、心より満足したとは言い難い大きなため息を吐いてしまった。

 犠牲になったのは年若い女性。ブロンドの髪は美しく、目は宝石のようだった。その狩りは、程よく抵抗され、飽きる前に仕留められたので楽しかったともいえる。

 そして、獲物が死んだ後も夢中になったその血の味に不満があったわけでは決してない。むしろ、ここ数か月で飲んできた血の中で最高級と言ってもいいほどの味だった。

 しかし、その吸血鬼ルージュの抱えるカラッポの心を満たしてくれるものでもなかった。


「……美味しかった」


 虚しく呟いて、ルージュは犠牲者を手放した。

 人形のように崩れるその亡骸は、持ち去って腐らないように加工するのも悪くない。美しいものを愛するかつてのルージュならば、きっとそうしていただろう。しかし、今のルージュにはそんな気力もなかった。

 美味しそうな血を求めたのは、ただ食欲を満たすためだけ。

 望み通り腹は満たされたが、かつてのように生きる喜びを得るまでに楽しめない。

 ルージュがこんな心情になってしまうのには明確な理由があった。


 唇についた血をぬぐい取ると、ルージュは懐から口紅を取り出した。音もなくゆっくりとしゃがむと、犠牲者の亡骸のすぐ傍に赤いチェックマークを描く。

 それは、長らく再会を夢見ているある人物へのメッセージだった。



 吸血鬼として生まれたことにルージュが辟易するとすれば、それは寿命というものがないせいだろう。

 少し器用なだけで無限に生きることが出来てしまう。

 それは、無駄に長生きすることにも繋がった。

 寿命がある人間にとってみれば贅沢な悩みでもあると分かっていたが、ルージュにとっては生きること自体が虚しいと感じる要因だった。

 ただ死にたくないだけの日々を送ること。そのためだけに生きている。

 そんなルージュにとって数少ない生きる楽しみの一つが食であり、今現在の娯楽でもあったのがある特定の獲物の存在だった。


 その獲物はもともと幼い女児で、ルージュがひと目惚れして食い殺した女性の忘れ形見だった。

 行き場をなくした幼い彼女に妖術をかけ、ただベイビーと呼びながら母親のように美しい娘になることを夢見て、かつて長らく大切に育てていた。

 だが、運命の女神の悪戯か、そんなルージュのもとに吸血鬼討伐の狩人集団がやってきてしまったのだ。相手をせずに逃げようとしたものの、狡猾な狩人たちはルージュからその獲物を盗んで連れ去ってしまった。


 あの日から、ルージュの心は取り逃がした獲物ベイビーに支配されてしまった。

 忌々しく狡猾だった狩人の一人のもとですくすくと成長し、カッライスと名付けられたその獲物。

 いつか取り戻そうと機会を窺い続けていると、運命の女神はまたしても悪戯を働いた。時を経て美しく成長したカッライス自身がいつの間にか狩人となり、母親の仇であると知ったルージュを討伐することを夢に見始めたのだ。

 それを知った時から、ルージュの日々は途端に楽しいものになった。

 いつか取り返そうとしていた獲物が自らのこのこやって来ようとしているなんて。


 しかし、楽しい事ばかりではない。せっかく獲物にも分かる餌を巻いていても、狙っている獲物が食いついてこないと意味がない。

 時に人間たちはルージュの計算通りに動いてくれず、苛々が募るものだ。

 せっかく町に現れて、目立つように狩りをしたというのに、カッライスが既に別の案件に囚われていて、自身の討伐の依頼がいかないこともざらだ。さらには少し目を離したすきに、いなくなってしまうことも、しばしばあった。

 だが、その時に役立つがルージュにはいた。


「ベリル。出ておいで」


 主にネズミや野良猫が屯する路地裏にて、ルージュは甘く囁いた。

 それからしばしの時間を置いて、宵闇の向こうから目を光らせて何かが現れた。ルージュもまた目を赤く光らせると、その何かは大人しく這い出して、ルージュの前までやってきた。

 黒猫だ。

 だが、ルージュのすぐ前まで来ると、その猫は姿を変えた。


「あ、あの、呼びました? 呼びました……よね?」


 そう言って控え目にお辞儀をするのは、緑色の目をした年若い娘だった。

 誰もが想像するような魔女の格好をしている彼女に、ルージュは微笑みを向けた。


「ええ、呼びましたとも。私が呼んであなたがここに来るまで九秒もかかったわね。奇しくも猫の魂の数も九つあると聞いているのだけれど、私を待たせた罰として今ここで一つ減らしても構わないかしら?」

「か、勘弁してください、ルージュさん。これでも呼ばれてすぐに駆け付けたんです。それに、あたしの魂は九つもありません。前から言っている通り、その話は迷信なんです」

「迷信かどうか、試してみないと分からない……と言いたいところだけれど、まあいいでしょう。ベリル。あなたの力を借りたいの。貸してくれるわよね?」

「は、はい……もちろん。それで、何をしたらいいのでしょうか」

「私の可愛い獲物がいま何処にいるか知りたいの」

「かしこまりました。では、さっそく──」

「ああ、ベリル。ちょっとお待ちなさい」


 ルージュが呼び止めると、そそくさと立ち去ろうとしていたベリルは固まってしまった。その隙にルージュは歩み寄ると、ベリルの頬に冷たい手を添えた。


「仕事を放り出して逃げようとしても無駄よ。分かっているわね?」


 そう言ってルージュはベリルの首元へと指を這わせた。鈴付きのチョーカーに触れられて、ベリルは怯えながら両目を瞑り、黙って頷いた。

 ルージュは満足げに微笑むと、ベリルから手を離した。


「行っていいわ」


 すると、ベリルはすぐに猫の姿へと変わり、一目散に闇の中へと吸い込まれていった。



 ベリルを脅した夜から二日後、カッライスの居場所は突き止められた。

 怯えながらも言われた通り動いたお利口なベリルに猫の姿になるよう命じ、膝の上に抱くと、ルージュはさっそくその居場所までの道のりを地図で確認した。


「ここからさほど離れていないようね」

「……はい。ですが、一人きりじゃないみたいでした。なんかあまり関わりたくない雰囲気の女も一緒でしたね」

「分かっているわ。ブロンドの女でしょう?」


 ルージュが目を細めると、ベリルは息を飲みながら頷いた。


「はい……あ、でも、ルージュさんの髪の方がずっと綺麗ですよ。それにしてもあの女、獣みたいなおっかない目をしていて──」

「オオカミみたいな目。間違いない?」

「はい、その通りです。目だけじゃなくてニオイもなんか獣臭いような気がして不気味でした。おまけに猫好きみたいでもう最悪。とても近づけそうになかったです」

「そう。私もあの女とはなるべくやり合いたくないの。厄介な事に、私のベイビーに懐いてしまっているみたいだけれど」


 ため息交じりにルージュは地図に指を這わせた。

 さほど離れていないとはいえ、ルージュは内心焦っていた。ベリルの情報によればカッライスの引き受けた依頼内容は厄介なものだった。

 恐らく依頼主に同情してのことだろうが、図体のでかい人食い巨人は駆け出し狩人のカッライスには荷が重い。下手をすれば、お友達共々仲良く人食い巨人の胃袋に収まってしまう可能性だってあるだろう。

 それだけは回避させなくては。

 ことが決まればあとは行動あるのみ。さっそく地図をたたむと、ルージュはベリルを抱き上げて、言い聞かせた。


「命令よ、ベリル。私が行くまでベイビーを見張っていて。あの子が危険な目に遭った時は、あなたの魔法で助けてあげて。もし、ベイビーを死なせてしまったら……分かるわね?」


 ルージュの問いかけに、ベリルは両耳を倒したまま何度も頷いた。



 人食い巨人が住み着いているのは、辺鄙な村の外れにある林の中であるらしい。そこで原始的な家を作り、長らく旅人を襲って暮らしていたようなのだが、旅人がその道を避けるようになると、近くの村まで襲って村人を攫うようになってしまったのだとか。

 何にせよ、ルージュには微塵も興味のない話である。そもそも、カッライスだってそのはずだ。彼女にとっての獲物は吸血鬼のみ。それも、ルージュが犯人である可能性の高いものだけを絞って依頼を引き受けたがるほど、彼女は執念深い。


 それでも、カッライスだって人の子であるということだろう。依頼主の心情や状況に同情し、本来の目的とは大きく逸れた依頼を引き受けてしまうことも多かった。

 ルージュにとってはそれすらもどうでもいい事だ。

 最後には自分の腕の中で死んでくれたらそれでいい。しかし、その寄り道が死の香りの強いとなれば、話は別である。助けてやるか、攫ってしまうか、その判断は常にルージュに付きまとう。


「さて、今回はどうするべきかしらね」


 林の影でルージュは一人呟いた。

 カッライスは今まさに人食い巨人に挑んでいる。隣にはベリルの報告通り、カッライスの姉弟子であるブロンドの女もいた。名前はアンバー。真面目なカッライスとは何もかも対照的で、今もどこか不真面目さを感じるニヤニヤした表情で、人食い巨人に銃を向けていた。

 ただの銃が人食い巨人の分厚い皮膚に通用するだろうか。

 ルージュはそう思いかけたが、戦況はあまり悪くなさそうだ。そもそも二対一であるし、カッライスのお友達であるアンバーは並みの女に比べて少しばかりタフであることも、ルージュは知っていた。


 それでも、心配になるのが戦闘というもの。ちょっとのきっかけで戦況は大きく崩れるし、勝敗がどう転んだとしても、カッライスがここで傷つき、命を失うようなことになっては意味がない。

 今すぐ飛び出して助けるのも一つの手。

 カッライスが一人きりなら機会を見てそうしていたかもしれない。

 けれど今はアンバーが一緒だ。ベリルが警戒していたように、ルージュもまた彼女が苦手だった。近づくことさえ億劫になるほど。


「ベイビーが心配なければ、それでいいのだけれど」


 ルージュの呟きに重なるように、人食い巨人はおぞましい雄叫びをあげた。

 醜い顔を歪ませて、五月蠅いコバエを追い払うように、木を引っこ抜いて作った即席の棍棒を振り回している。当たって気絶でもすれば、すぐにでも一口だろう。

 その上、カッライスの戦いぶりは、実に危なっかしかった。ルージュにとってみれば、人間は無力なものだ。特別な力もなく、ただ腕力と気迫、そして知恵比べで戦うしかない。そうでなくともちょっと前まで正真正銘のベイビーだった彼女が、強敵相手に不器用に戦っている様はいつまでも見ていられるものではなかった。


「せめてお友達が頼れたら」


 頼りのアンバーは戦闘が楽しいらしく、飼い主と遊ぶ犬のように興奮しきっている。

 あれでは、いつカッライスが傷ついてもおかしくはない。


「仕方ないわ。ちょっとだけ介入してやりましょう」


 ルージュは決心すると、物陰から人食い巨人を指さした。

 吸血鬼の妖術はさまざまだが、そのほとんどが狩りのためのものだ。中には身を守るために使えるものもあるが、この度、使用した妖術もまた、狙った獲物を仕留めやすくするために有用な、食べるための妖術だった。

 見るからに美味しくなさそうな人食い巨人に使うのは面白くないが仕方がない。ルージュは迷うことなくその妖術を使った。

 秒も待たずに人食い巨人の動きが鈍る。その変化を見逃さなかったカッライスとアンバーは、ここぞとばかりに襲い掛かった。

 一方的に襲われた人食い巨人は堪らず転び、無防備な腹を晒す。

 そうなれば、後は早いものだった。

 カッライスとアンバーの持つ魔物狩りのための拳銃が何度か火を噴くと、やがて人食い巨人は動かなくなった。


「もういいみたい」


 そう判断すると、ルージュは静かにその場を去った。



 カッライスとアンバーの仕事は無事に終わった。

 報酬を受け取った以上、もうこの村に用はないだろう。次に向かうのは何処だろうか。その行く先を決めさせるためには、何処へ行けばいいだろう。

 ルージュは様々な思いを巡らせながら、地図を眺めていた。膝には今回の功労者でもあるベリルが黒猫の姿で寝そべっている。毛並みのいいその背中を撫でつつ、気晴らしに葡萄酒を飲みながら、ルージュは悩み続けていた。


「いいんですか?」


 ふと、ベリルが訊ねた。


「今なら奴ら宿屋でぐっすりですよ? 狩りをするなら絶好の機会ですのに」


 尻尾を揺らしながら首をかしげるベリルのその頭を、ルージュは撫でながら答えた。


「そうでもないわ。あの女も同室だもの。じっくり味わうことを考えるならば、攫うのは一人きりの時じゃないと。それは今ではない。もっといい機会を知っているの」


 そう言ってルージュはベリルを抱き上げた。


「そ、そうなんですね。さすがルージュさん」


 お茶を濁すように笑いながら、ベリルはそう言った。

 その中身のない誉め言葉を軽く受け流しながら、ルージュは同じ村の中にいるはずの愛しい獲物へと思いを巡らせた。

 無事に仕事が終わった彼女は、次にどう動くだろう。

 彼女が狩人をやめない限り、ルージュの生活も当分の間は同じ事の繰り返しとなるだろう。それが今は楽しくもあるけれど、いつかは飽きる時も来るだろう。

 そうなったらどうするべきか。

 今のルージュにはまだ分からない。

 けれど、はっきりとした寿命のない彼女にとって大事なのは今である。


 自分だけの為に自分だけの獲物として大切に育ててきた獲物は盗まれ、今頃はきっと宿屋の客室でお友達と労い合っている頃だろう。

 いつの間にか始まっていたその関係に、ルージュが嫉妬しないわけではない。

 後から現れて、当然のようにカッライスの隣にいて、カッライスを独占するアンバーとかいう女を思い出すだけで、ルージュは苛立ってしまう。

 しかし、不快で、不快で、仕方がないのかと言えば、それもまた違うことをルージュは自覚していた。

 少し前まで長い時間の中で、生きるのに退屈し、虚無の中にいた事を考えれば、今は何もかもが面白い。

 だから今は、この嫉妬すら愛おしくなる。


「ベリル、次は何処に行きましょうか」


 不意に訊ねると、ベリルは少しびくりとしながら答えた。


「ルージュさんの好きなところへ」

「そうね。せっかくだからもっと綺麗な場所であの子を食べたい。ここはどうかしら。海の見える美しい町」

「良いと思います。お魚も美味しそうですし」

「じゃあ、決まり」


 ルージュは微笑みながら地図をたたみ、ベリルをぎゅっと抱きしめた。

 そう遠くない未来、海の見える美しい町で、吸血鬼による犠牲者が出るだろう。そこに赤い印が残されていたとしたら、それは間違いなくルージュの仕業だ。

 今度こそ、カッライスまで依頼は届くだろうか。

 届くことを願いながら、ルージュは葡萄酒を飲み干した。

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