第76話 エレメンタルフェンリル
エレメンタルフェンリルの鋭い牙が自分に向かってきて、その巨体がロイゼを覆い隠した。
ロイゼはギュッと目を瞑った。
あんな牙で噛まれたらひとたまりもないだろう。襲いかかってくるだろう痛みに体が縮まる。
(そんな………こんなところで!)
ガシャン‼︎
エレメンタルフェンリルを繋いでいた鎖が、動いたことで大きな音を立てた。
しかし、ロイゼが覚悟していた痛みがいつまで経っても襲って来なかった。
「あ、れ………?」
死ぬ覚悟もしていたロイゼは不思議に思って、恐る恐る目を開いた。
そこには………自分の前に伏せているエレメンタルフェンリルがいた。
まるで飼い犬が飼い主に従うかのように伏せている。威圧感も少し収まっている。
凶悪で大きな顔が自分の寸前まで迫って、鋭い目がロイゼをジッと見ている。
「え?………どういう、こと?」
てっきり食べられると思ったのに、どういう状況だろうか。
「グルルル………」
ロイゼは体を少しだけ動かしたが、特に襲ってくる様子はない。
まさか鎖が短くて襲えないかと思ったが、鎖は弛んでいるだけだ。
つまり襲えるのに襲わない。それどころか平伏してしまっている。
こんなモンスターに頭を下げられるようなことはした覚えがない。
見た時には明らかに害意があったのに、今はそれが感じられない。
「えっと………私のこと、襲わないの?」
「グルルッ………」
ロイゼがゆっくりと立ち上がると、エレメンタルフェンリルは首を伸ばしてロイゼに近寄る。腰の辺りに鼻をスンスンとヒクつかせて近づける。
たしかズボンのポケットにしまってたのは………
「もしかして、これ?」
ロイゼはズボンのポケットから万年青のナイフを取り出した。それに釣られるようにエレメンタルフェンリルが顔を動かす。
この匂いに反応しているのだろうか。このナイフの持ち主の匂いに。
「まさか………あなたオモト様、アルクリーチャーを知ってるの?」
「ガウッ………!」
モンスターに言葉が通じるわけはないが、ロイゼにはエレメンタルフェンリルが頷いたように聞こえた。
(もしかしたら、この子もオモト様に会いたいのかな?)
彼の持ち物を別の人が持っていることにすら反応してしまうくらいだ。ロイゼはエレメンタルフェンリルの心情を何となく察した。
すると後ろからガタッと音がする。エレメンタルフェンリルに吹き飛ばされたゴーレムバルバラとベフュール達が起き上がったのだ。
「くっ!………まったく、相変わらず凶暴ですね。飼い主がいてくれれば楽なんですけど」
ゴーレムバルバラの言葉で確信した。その飼い主と言うのが万年青なのだ。
「まぁいいでしょう。早くダークエルフを捕まえてください!」
ゴーレムバルバラが手を振ったその瞬間、ロイゼは反射的にエレメンタルフェンリルの方を振り向いた。
「ねぇ、君オモト様、アルクリーチャーに会いたいんだよね?私もなの!それにはここから出ないといけないから、手伝って!」
ロイゼが叫ぶと、エレメンタルフェンリルは再び口を大きく開いて迫ってきた。
今度こそ食べられるか⁉︎と思ったが、エレメンタルフェンリルはロイゼの着ている服の襟を器用に咥えただけだ。
「え?ひゃあッ⁉︎」
そのままエレメンタルフェンリルは大きく首を縦に振った。当然ロイゼは持ち上げられて空中に放られた。
放物線を描いて落ちたのは硬い地面ではなく、エレメンタルフェンリルの背中だった。多少硬いがフサフサの毛並みだ。
そしてエレメンタルフェンリルに繋がれている太い鎖が、この巨体を壁へと縛り付けている。
「あ、そうか………この鎖なんとかしないと………」
ロイゼは手に持っている超音波ナイフを見た。これなら切れるかもしれない。
しかしこれほどの強力で巨大な生き物を縛る鎖だ。果たして上手くいくかどうか………
「ッ⁉︎まさかエレメンタルフェンリルを………総員、エレメンタルフェンリルを攻撃してください!」
ゴーレムバルバラがロイゼの思惑に気がつき指令を出した。
悩んでいる暇はない。ロイゼは腕を大きく振るって鎖にナイフを突き立てた。
「やぁっ!」
バキバキッと音を立てて、鎖にヒビが入った。
しかしそれと同時にナイフがひしゃげてしまう。これまで酷使したのも原因だろう。
鎖は砕けていない。それでもロイゼは叫んだ。
「私のことは気にしないで!走って!」
その言葉を聞き遂げたかのように、エレメンタルフェンリルが体を起こした。少しだけ身を屈めると力を振り絞るように大きく吠えた。
「グルアァァァァァァッッッ‼︎」
バキンッ‼︎
再びベフュールが吹き飛ばされると同時に、その勢いでヒビの入った鎖が引きちぎれた。
「ぐあッ⁉︎しまった、封印が!」
ベフュール達が陣形を立て直す前に、エレメンタルフェンリルが地面を大きく踏み込んだ。ロイゼは咄嗟にエレメンタルフェンリルの毛を掴む。
そしてエレメンタルフェンリルは勢いよく駆け出した。その勢いにロイゼは吹き飛ばされそうになる。
「ガアァァァァァァッッッ‼︎」
勇ましく吠えながらエレメンタルフェンリルは部屋を駆け抜けていく。
迫ってくるベフュールを全て蚊でも払うかのように蹴散らすと、放たれる光弾をものともせず出口を抜け出していった。
「くっ!追ってください!」
ゴーレムバルバラの命令で、ベフュール達が後ろから追ってきた。中には飛んでいる者もいる。
さっきまでは時間の問題で追いつかれそうだったのに、今は明らかに距離が伸びている。それだけエレメンタルフェンリルが速いのだ。
ロイゼは振り落とされそうになりながらも、必死でエレメンタルフェンリルにしがみついた。
目の前には次の区画への隔壁がある。当たり前だが閉じていて開けられない。
しかしエレメンタルフェンリルは躊躇わず走り続けた。そして隔壁に突進した。
あまりに強力な突撃は最も簡単に隔壁を破壊した。
「きゃあッ⁉︎」
予想外の強さにロイゼは目を瞑った。砕けた隔壁が自分に降ってくる。
自分のことは気にしないでとは言ったが、ここまでとなると少しだけ遠慮して欲しい。
「基地内にいる全ての者に告げます!エレメンタルフェンリルが脱走しました!捕虜も乗っています!総員捕獲に当たってください!」
先頭を飛んでいるゴーレムバルバラが叫んだ。
すると目の前にクンスリッシベフュール達が飛んできた。
自由に飛べる以上ただ突撃するだけではなんとか出来ないだろう。どうするのだろうか。
その時、エレメンタルフェンリルの口が赤く輝いた。
「ガアァァァァァァッッッ‼︎」
その光を吐き出すように、走りながら口を開いた。
そして口から灼熱の炎が吹き出した。それは目の前のベフュールを容赦なく火だるまにして地面に落とした。
「えぇ⁉︎火、吹けるの?」
さらにエレメンタルフェンリルが太い尻尾を大きく振るった。
尻尾に弾き出されたように風の刃か放たれて、後ろにいるベフュールを斬り刻む。
どうやらエレメンタルフェンリルはあらゆる属性の魔法が使えるようだ。
エレメンタルフェンリルは追っ手を全て薙ぎ倒すと、勢いを落とすことなく基地の中を駆け抜けていった。
「え⁉︎何々⁉︎」
ロイゼと別行動をしていたセルフィ、シルフィの双子姉妹は、さっき以上に慌てている周りの様子に困惑していた。
シルフィの記憶を頼りに隠れながら武器庫周辺まで来て、どうやって見張っているベフュールを対処するか考えていた時だった。
近くにいたベフュールが一方向に走っていってしまったのだ。
よく分からないが、見張りが退いてくれたのは好都合だ。よほど慌てたのか扉も開けっ放しである。
「シルフィ、行こう!」
「う、うん!」
二人は周りの様子を窺いながら、武器庫へと入っていった。
「うわ、何、ここ………?」
「見たことのないものばかり………」
武器庫に侵入した二人は、その中身を見て驚いた。
そこには剣や槍、杖はもちろん魔法銃や手榴弾など見たことのないものや、そもそも武器がどうかも分からない装飾品のようなものまであった。
「これ全部ハイルセンスの武器、かな?」
「だろうね。それにしても多いなぁ」
子供である彼女達に武器庫の中の武器は扱えるかどうか分かるものが少なく、そもそも武器と判断出来るアイテムが多くない。
「これ全部持っていけたらいいんだけど………」
「そんなの無理だよ。とにかく私達とロイゼさん分の武器と、オモト様の武器を………」
とはいえこれは人のものだ。あのアルクンスリッシという者が一生懸命作ったと思うと、いくら敵とはいえシルフィは少しばかり心が痛んだ。
「うわぁ!ねぇシルフィ見て!」
セルフィの声にシルフィが振り返ると、彼女は何か大きな背負い袋を持って叫んでいた。
「この袋、どんなに大きなもの入れてもちっとも重くならないんだけど!しかもめちゃくちゃ入る!これにいっぱい入れてこようよ!」
おそらく魔法が付与されたマジックパックなのだろう。
迷っているシルフィをよそにセルフィは迷うことなくアイテムを盗んでいった。
拾ったマジックパックにポイポイアイテムを放り込んでいく。それを確認する事もない。
盗みに抵抗がないというより、そんな事を考える前に体が動いているのだ。
「お、お姉ちゃん!そんなに持っていかなくても………」
「何言ってんの!何が役立つか分からないんだし、ほらシルフィもどんどん回収して!」
「う、うん………はぁ、やるしかないかぁ」
シルフィもセルフィからもう一つマジックパックをもらうと、腹を括ってアイテムを集めていった。ケースに入ったものはケースごと入れる。
どれだけ入れても袋は一定量膨らむと、それ以上は重くならない。
とはいえあまりに大きな武器はそもそも持てない。必然的に軽いよく分からないアイテムばかりになる。
「これと、これと………あ、お姉ちゃん!オモト様の武器あったよ!」
「すぐに渡せるようにそれは直接持っていようよ。よーし、これだけ集めればいいでしょ」
「は、早く出ようよ。また見張り戻ってきちゃうよ!」
「そういえば、何でみんなどっか行っちゃったんだろう?」
その時、武器庫の外から何やら大きな音が聞こえてきた。叫び声と爆発音で、少しだけ床が揺れている。
「え?何々⁉︎」
「ちょ、シルフィ出るよ!」
二人はマジックパックとゲワーゲルフを持つと、武器庫を出ていった。
それと同時に何か大きな影が彼女達を包んだ。それに驚いた姉妹は上を見上げた。
そこにいたのはとんでもなく大きな犬、というより狼だ。その後ろにベフュール達が追って来ている。
爛々と輝く目が二人を捉えた。鋭い牙を剥いてこちらを睨んでいる。
禍々しい雰囲気を纏ったモンスター・エレメンタルフェンリルに二人は震える。
「ひ、ひぃッ⁉︎お、お姉ちゃん!これ何⁉︎」
「私が知るわけないでしょ‼︎こ、こっち来ないでぇ‼︎」
「あ!二人とも!」
するとエレメンタルフェンリルの上から聞き覚えのある声が聞こえた。
エレメンタルフェンリルの頭から顔を覗かせたのは、別行動していたロイゼだった。
「ロ、ロイゼさん⁉︎あ、あの、これは一体………」
「話してる時間はありません!彼女達は私の仲間です。乗せてください!」
ロイゼがエレメンタルフェンリルに言うと、ロイゼの時同様に二人の服の襟を咥えて自分の背に放った。
「きゃあッ⁉︎」
「ひぃッ⁉︎」
「二人とも、武器を手に入れたんですね!ちゃんと捕まってください!」
「いや、何言って、ひいぃぃぃぃッ⁉︎」
状況整理する時間も与えずに、エレメンタルフェンリルは三人を乗せて走り出した。
ロイゼが二人を抱え込んで振り落とされないようにする。
「「いやあぁぁぁぁぁぁッッッ‼︎」」
双子二人の絶叫を乗せて、エレメンタルフェンリルは駆け出していった。
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