第36話 朝練
とある日の朝、ふと目を覚ました僕は何となく外を眺めた。
珍しく早起き出来たな。最近はロイゼに起こしてもらってばっかりだったし。
あれから特にハイルセンスが何か動いているということは無く、穏やかで平和な日が続いていた。
僕達はこれまで通りに冒険者としてクエストを受けていた。
この前みたいに改造人間がここまで来ることを考えると、こういう平和は貴重だよな。
改造人間は個人でもとてつもない力を持っていて、いつこの街が滅んだっておかしくない。
もちろんこの街だって無防備ってわけじゃない。街を守る手段や人はたくさんいる。
冒険者もその一つと言えるだろう。モンスターの代わりに人と戦うこともあるんだと。
僕としてはそんな面倒な事は極力避けたいけどな。まぁどうしても必要ってなら、適当に力を貸しておこう、とは思ってる。
そんな冒険者や街の守衛など、この街を脅威から守ってくれる人はたくさんいる。
しかしその中で一体何人がハイルセンスの脅威と渡り合えるのだろうか。
僕自身がそうなのであんまり言いたくはないけど、とにかく改造人間は強い。普通の人間から見たらオーバーなほどに。
鍛えたら何とかなるような生半可なヤツらじゃないんだ。人間とは力の質が違う。
この世界に今のところ改造人間を倒せる人間はいないと思う。
今この世界の人間はハイルセンスと戦う手段を持ち合わせていない。
つまり何かあれば私達はハイルセンスに服従するしかないのだ。裏の社会では既に始まっているらしい。それが表として出てくるのもそう先の話ではないかもしれない。
それでは僕はどうするべきなのだろうか?
僕はある程度なら改造人間と渡り合う事が出来る。同じ改造人間だからな。
でも、だからという理由だけでこれからも改造人間を倒していきたいとは思わない。
この前は自分の身、そしてロイゼが危機に晒されていた。だから力を使った。
そしてその後色々あったわけだが。正直あの力を頻繁に使おうとは思えない。
強大なあの力は周りを怯えさせてしまうからだ。
ロイゼの前で初めて使った時に彼女は僕の姿を見て怯えていた。当たり前だよな。
ロイゼはあれから僕を受け入れて一緒に戦うと言ってくれた。
それから色々とあって、僕はロイゼと一緒にハイルセンスに立ち向かう事になったわけだが。それでもやっぱりあの時の怯えた顔は忘れられない。
ロイゼはこれから僕が絶対に守る。何があっても守りたい。
でも、そのためにこの力を使うのが果たして正しい事なのだろうか。
改造人間と渡り合うにはこれしかないのは分かっている。
しかしこれは人を守る力であると同時に人を傷つけてしまう力でもあるんだ。
僕自身、自分の力の全てを知り尽くしているわけではない。
自分の知らない力が今体の中にあると思うととても怖い。
結局のところ自分の知らないものが怖いのだ。何が起きてどういう存在なのか分からない。
それをちゃんと扱えるのか、それによって大切な人を傷つけてしまわないか。
誰かを守るというのは一方で誰かを傷つける事だ。
この力だってそうだ。この力は下手に使えば誰かを傷つけてしまう。それは何も体に限った事ではない。
僕を受け入れてくれたロイゼの気持ちが嘘だなんて言うつもりはない。
彼女は心から受け入れてくれたんだろうから、今こうやって一緒にいるわけだし。
でもそれならあの怯えていた表情が嘘なのかと言われると、それをうんとは言えない
どんなにいいものだと分かっても、やはり最初に覚えた恐怖がなくなる事は無い。
扱えるのかも分からない、またロイゼに怖い思いをさせてしまうのなら頻繁に使おうとは思えない。
僕はふと自分の腕を見た。この腕がどうであるべきなのか。それはきっとハイルセンスとの戦い以上に大切なことだ。
僕は決して正義のヒーローではない。この強大な力を正しい事に使える確信なんてない。
そもそも正しい事が何なのかもよく分からない。人によってマチマチだからな。
僕は今まで自分の正しさだけで行動しようとしてきた。それで何とかなるならどんな事でもしてきた。
でも今は違う。今の僕にはロイゼがいる。僕だけの考えで動けば彼女を不幸にしてしまうかもしれない。
この力の行き着く先に、ロイゼを幸せに出来るものがあるのかどうか。
まぁ結局のところ、この力が怖いってだけの話なわけで。我ながら情け無いとは思うけどね。
でもこれが僕だけなら多少の無茶が出来るんだけど、ロイゼが関わってくるなら話は別だ。
でもこの力でなければ改造人間とは渡り合えない。この力のみがロイゼを守れるんだ。
強い力にはそれにふさわしい人間と、それなりの代償が求められる。
ただ生憎僕はどちらも持ち合わせていない。
僕はこんな力をちゃんと扱えるほどの人間では無いし、この力のせいでロイゼを失う事を許容出来ない。
本来は持ち合わせるべきなんだろうけど、僕はそこまで達観していない。
いや、もしかしたらこの前ロイゼと別れようとしたのは、このためだったのかもしれないな。
それからロイゼに色々言われてこうやって一緒にいる辺り、僕は少なくともしばらくはそこまでの人間にはなれないな。
まぁこんな事を今考えても仕方ないか。グダグダして考えが纏まらないし、今はやめておこう。
そういえばもうロイゼ起きてるのかな?僕は寝返りを打ってロイゼの方を見る。
しかし、そこにロイゼはいなかった。
およ?アイツ、どこ行った?
僕は布団をめくってみたが、中にはいなかった。となるともう起きてるのか。
一応念のためにベッドの下を見てみた。ほら、もしかしたら落ちたかもしれないしさ。
けど、そこにもいない。おかしいな。
僕は体を起こしてベッドから抜け出すと、部屋の中を探し始めた。
といってもこの部屋はそこまで大きい部屋でもないし、いそうな場所なんて一、二箇所だ。
僕は部屋全体を見回ってみた。しかしそこにもロイゼの姿は見えない。
あ、もしかしたら湯浴み場かも。いわゆる朝風呂ってヤツ。
僕は湯浴み場の扉の前に立つと扉を開け………っと危なかった。いい加減女性と暮らしてるって自覚持たないと。
今でもたまに忘れる時があるんだよね。しかもロイゼってそういう時何も言わないからさ、ついね。頼むから言って欲しい。
僕は湯浴み場の扉をノックして声をかけた。
「ロイゼ、いるの?」
しかし返事が返ってくる事はない。
そっと扉を開けてみたが、そこにロイゼはいなかった。ここにもいないかぁ。
となるといるのは外か。どこに行ったんだ?
そう思って部屋を見渡してみると、僕はロイゼの武器の剣が無い事に気がついた。
その代わりに剣の置いてあった場所には、ロイゼのネグリジェが畳まれていた。
まぁさすがにあの格好で外出するわけないか。
この様子から見るに、自分の意思で出て行ったのは間違いなさそうだな。
一瞬何かの事件に巻き込まれたのかと思っちゃったしさ。さっきハイルセンスの事考えてたからかな。
とりあえずそれなら安心出来る。
僕は部屋を出ると一階に降りた。
部屋にいないとなると、ロイゼが二階にいる意味はないだろうしな。
ガッツリ寝巻き姿だけど、別にいいや。気にしない気にしない。
もしかして──────逃げたとか?
…………いや、だったら何だって話か。別に変なことでもない。
僕は頭の中に浮かんだ感情を振り払うと、ロイゼを探した。
すると後ろから肩をポンポンと叩かれた。思わず振り返ると、そこにいたのは二十歳くらいの女性だった。
青髪を後ろで縛っている。何かサバサバした印象を受ける。
「ねぇ、そんな姿で朝からどうかしたの?」
いや、その前に誰だよアンタ。いきなり馴れ馴れしく話しかけてきた人に、僕は引き気味だ。
「あーごめんね。私メイ、この宿で働いているの。最近ここに来たならお母さんと会ったはずだけど」
なるほど、あのおばさんの娘さんだったのね。そのおばさんが見えないから、代わりにいるって感じか。
最近自分の事でいっぱいいっぱいだったから、宿の事なんて気にしてなかったな。
「で、どうかしたの?何か探してるみたいだったけど」
「あの、ここに僕と同じくらいのダークエルフの子が来たと思うんですけど、知りませんか?」
「ダークエルフ?あー、あの子ね。その子ならそっちよ」
僕はメイさんの指差す方に向かってみた。するとそこは外の庭に続く窓だった。
そしてその窓の向こうでは、いつもの服装で一生懸命に剣を振っているロイゼがいた。
「はぁぁッ‼︎」
うわぁ、すごい気迫。あんな表情もするんだな。
ロイゼは僕に気がつくと驚いた表情をした。
「オ、オモト様!起きていたんですか⁉︎というかいつからそこに?」
そんなに驚くか?たしかにいつも起きるの遅いけどね。
「いやたった今だけど。何やってるの?」
「朝練です。最近始めたんですよ」
まぁ何となくそれは分かったんだけど。通りで最近は僕を起こす時にはもう着替えていたわけだ。
「朝から元気だなぁ。もうちょっとゆっくりしてたら?」
「いえ、少しでも強くなってオモト様の力になりたいんです。ダメでしょうか?」
たしかにそれは助かるには助かるんだけど、何か悪いな。
「別にいいけど、無理しないでよ。昼間に体動かないとか無しね」
「はい!大丈夫です」
僕はそう言うと部屋に戻った。本人がせっかく意欲を見せてるんだし、それを僕がどうこう言うのは変な話か。
何が逃げたかもだ。ロイゼはすごい僕のことを考えてくれている。疑うまでもなかったか。
僕の力に、ねぇ…………。
「もう充分だってのに」
僕が呟いたその言葉は、誰にも届く事なく消えていった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




