第35話 その夜
外はすっかり暗くなって、小さく虫の鳴き声が聞こえてくる。
そんな時間にロイゼはふと目を覚ました。少し寝るのが遅かったという事もあって眠りが浅かったのだろう。もっとも原因はそれだけではないが。
ロイゼはうっすらと目を開けると、身体は起こさずに辺りを見渡した。
するとそこには同い年くらいの一人の男性が寝ていた。
年頃の少女が夜中目を覚ましたら隣に男性が寝ている。普通ならパニックになってもおかしくはない。
しかしロイゼにとってはもう慣れた事だし一々驚きもしない。むしろ気にしているのは寝ている男性の方だ。
彼は魑魅 万年青。奴隷であるロイゼを買った彼女のご主人様だ。
彼は奴隷を持つ身としてはかなり変わった人間だ。
基本的に奴隷というものは辛い労働を課されたり、主人の欲望を満たすための道具として使われる事が多い。
かく言うロイゼも彼に買われる前はとある貴族の奴隷だったが、毎日のように不当な暴力を振るわれていた。
理由の半分は彼女が奴隷である事、もう一つは彼女がダークエルフ、亜人である事だ。
この世界では昔から亜人への差別がある。姿や文化、中には言葉が違う者もいるというのが理由だろう。
世界に名を馳せている亜人も出てきて、それなりに減っていているとはいえ昔からあるものはそう簡単にはなくならない。
元々奴隷は物としてカウントされているので、ロイゼ自身もそこは受け入れていた。
前の主人は亜人を痛めつけるのが趣味なような人だったので、性的なことはされなかったが毎日のように殴られていたわけだ。
だから主人が変わって彼に買われる事になった時はそれなりに覚悟を決めていた。
しかし彼女の純潔は守られたままだ。女性の奴隷としてはかなり珍しいと思う。
こうやって同じベッドで寝ているのを見て、もうお手付きになったと思う人もいるだろう。
しかしこの状況は宿側の事情とロイゼ自身の願いがあったからこうなっているのであって、オモト自身にこういう状況になる要望は無かった。
むしろ彼は奴隷であるロイゼに一人部屋まで与えようとしてくれた。ロイゼと寝るのは彼にとっては予定外の事だ。
そもそも奴隷に一人部屋はダメという事を知らなかったようで、それならせめてベッドが二つある部屋をと考えてくれた。
しかしその部屋は既に埋まってしまっていて、今更宿を変えるわけにもいかないという事でロイゼもこの部屋にいるわけだ。
ロイゼがベッドで寝ているのも彼の計らいだ。
本来彼女のような奴隷が、こうやって当たり前のようにベッドで寝ているなんてあり得ない。基本的に床で寝るものだ。
ただ彼はそれは嫌だろうという事でベッドで寝かしてくれている。
というかこの部屋で初めて寝た時には、一緒に寝るのは嫌だろうということでロイゼをベッドに寝かせて、自分はソファーで寝ようとしていた。
さすがにそれは悪いということになり、今のような状況に落ち着いている。
でも彼は今でも慣れていないらしく、起きるとたまにビクッとしている。女性と寝ることに慣れていないようだ。
初めて一緒に寝た時はこの状況にしきりに謝られたけど、ロイゼとしてはベッドで寝かせてくれるだけでもすごい事だと思っていた。
それどころか一人部屋を用意しようとしてくれたり、ロイゼに手を出さないようにしている事を考えると、かなり珍しい人だ。
それだけではない。彼はロイゼに対して色んなことをしてくれた。
今ロイゼはオモトと一緒に同じ席で宿の食事を食べている。
普通の奴隷なら椅子には座らせてもらえない。床で食べるのが一般的だ。
それに宿の食事は決して安くない。この辺でするとしたら外で食べさせてくるだろう。ロイゼもそう思っていた。
しかし彼は一緒に食べようと言ってくれた。
そしてその変わった性格は仕事でも現れていた。
彼はこの街で冒険者をしている。ロイゼを買ったのもパーティーを組むためのようだ。
彼はまずロイゼに武器を持っているように言った。反逆の可能性だってあり得るのに。
そして手に入れた報酬の半額をロイゼにくれた。
とても奴隷にすることではないような事ばかりだ。
おそらくオモトは自分のことを奴隷としてではなく、パーティーメンバーとして見てくれている。
亜人だからと差別することもない、奴隷として酷使するわけでもない。
そして初めてクエストに行った日の夜。
ロイゼは昔のことを夢に見て思わず叫んで起きてしまった。
あの時の事は今でも忘れない。父を殺されて、逃げた先でも母と別れてしまった。そしてそれからの奴隷としての生活。
たしかにいい思い出はない。しかし彼の寝ている側で大声を出してしまった。
ちなみにその時何で彼が起きていたのかは分からないままだ。ロイゼのせいではないとは言っていたが。
さすがに怒られるかと思いロイゼは彼に謝った。
しかし彼は怒ったりはせず、むしろロイゼの事を気遣ってくれた。
水を飲ませてくれ、夢のせいでパニックになっていたロイゼを宥めてくれた。理由は聞かないでいてくれた。
『辛かったんだろ?苦しかったんだろ?それを身分を理由に受け入れる必要なんてない。辛いなら辛いってちゃんと言わないと』
彼が言ってくれた言葉だ。
ロイゼはこれまで奴隷として、過去のことで悲しむのはやめようとしていた。
奴隷は主人のモノだ。そんな自分が感情的になるのは間違っていると思ったからだ。
しかし彼はそんなの関係ないと言ってくれた。自分を対等な人として見てくれた。
ロイゼはそれがとても嬉しかった。自分が奴隷でよかったとすら思えた。そのおかげで彼と出会えたのだから。
ロイゼはそれから彼に身を預けた。こんな風に人に甘えたのは何年振りだろうか。
思いっきり泣いて、いつの間にか眠ってしまった。
翌日、ロイゼは奴隷になってから初めて笑うことが出来た。もうずっと笑うことはないとすら思ってたのに。
もっともその笑わせてくれた張本人は、昨日は眠たかったとかであんまり覚えてなかったみたいだが。
その日からロイゼはちょっとずつだが変わることが出来た。
昔のように当たり前に笑って、話しかけられるようになった。
前は周りの視線が怖かったが、もう気にしていない。そんな事は気にしなくてもいいから。
これから彼と一緒に色んなことをしていきたい。自分にしてもらったことを今度は彼にしてあげたい。
出来ればちょっとずつ彼との関係も………そんな事すらも思い始めていた。
彼の秘密について知ったのはそんな時、今日のことだった。
彼は実は人間では無かった。
もっともこの世界には人間、俗に言う人族以外にも様々な種族がいる。自分もそのうちの一人、ダークエルフだ。
別に人族ではない事がそこまで珍しいわけではない。
しかし彼の場合はそういう次元の話では無かった。
ハイルセンス。その世界の闇に潜む大きな裏組織らしい。
そこでは人間の身体を改造し、機械や人以外の生命体と融合させた改造人間を作り出して世界で破壊活動をしているらしい。
そしてオモトもそんな改造人間の一人だった。
彼はつい最近までハイルセンスにいたらしいが、脳の改造が解けて自我を取り戻したらしい。
それからハイルセンスを抜け出してこの街に来たと言っていた。
ロイゼは今日そのハイルセンスからオモトを追ってきた改造人間の一人、ガーゴイルアンブロジウスに襲われた。
彼はオモトのことをアルクリーチャーと呼んでいた。それが彼の改造人間の名前らしい。
ロイゼは彼の腕が禍々しい獣のような腕に変わるのを今日二回見た。それだけでも彼が人間でないことは充分に伝わった。
そこからのオモトとガーゴイルアンブロジウスとの戦いは凄まじいものだった。
人間が死ぬほど努力して、一体何人があの半分の力を引き出せるだろうか。それほどのものだった。
結果としてオモトは勝つことが出来た。途中で敵がロイゼの事を連れ去ろうとしてオモトがキレたのだ。
いつも温厚な彼があそこまで怒るのは初めて見た。その時彼はとても冷たい目をしていた。
それからロイゼに全ての事を話したオモトは、ロイゼと別れようと言い出した。
ロイゼは必死に一緒にいたいと言った。まだ自分は彼に何も出来ていない。
しかし今の自分の力では彼の足手まといにしかならない。それは明白だった。
頭では分かっていたから引いたが、それでもロイゼは彼と離れたくなかった。
そんな思いと事態の混乱が頭の中でぐちゃぐちゃになってしまい、ついには夜這いみたいなこれまでしてしまった。明日ちゃんと謝らないと。
それから必死に自分の思いを伝えた。飾る事のない自分の本心を。
その時ロイゼは初めてオモトから怒号を浴びせられて、改造人間の腕で首を絞められた。本気で殺されると感じた。
ロイゼはそこで初めてオモトが混乱している事に気がついた。その目には色んな感情が混じっていた。
だからロイゼはそのまま自分の気持ちを伝え続けた。
彼にしてもらった事に比べれば、ほんの些細な事だった。それでもロイゼにとっては今自分が出来る最大限の恩返しだった。
彼が何者であろうとも関係ない。それでも彼が自分にしてくれた事は変わらない。
たとえ自分が死ぬ事になろうとも、彼と離れる事に比べたらどうでもいい事だった。
その思いはちゃんとオモトに届き、こうしてまた一緒にいる事が出来た。ロイゼはとても嬉しく、それ以上に安心した。
自分の居場所は彼の元だ。それを改めて感じることが出来た。
そして一緒に寝て、今に至るわけだ。
ロイゼはふと隣にいるオモトを見た。親以外で自分のことをここまで気にしてくれる人はいなかった。
これから何があっても彼と共に生きる。それも彼に守られるだけじゃない、自分だって強くなって改造人間くらい倒せるほどになる。
ロイゼはそっとオモトの隣に寝ると、彼に身体が触れ合うほど近くに寄った。まるで夫婦のようだと思った。
きっと朝起きたら、彼はまた驚いてひっくり返るかもしれない。
そんな事を考えてロイゼはクスッと笑った。そしてゆっくり目を閉じた。
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