第34話 化け物
僕の振り下ろした腕はロイゼの首元の僅か横に命中した。
僕の爪はベッドに余裕で突き刺さり、僕はロイゼの首を掴むような状態となった。
もし僕がここで力を込めれば、ロイゼの首はいとも簡単にへし折れるだろう。
「オモト………様………」
ベッドに押し倒されたロイゼは怯えたような声を出した。僕はそれを上から眺めている。
僕は息を荒くして態勢を崩さなかった。僕の腕はまだ改造人間としての腕のままだ。
僕は何をやっているんだ………僕はこんな事がしたかったんじゃない。
それでも僕はロイゼから身体を退ける事が出来なかった。まるで自分がそれを正しいと思っているように。
僕は今ロイゼを殺そうとしたんだ。自分の手で。
ロイゼの言葉は決して悪いものではなかった。むしろ僕を受け入れようとしてくれた。
しかし僕の頭の中がそれを受け入れなかった。それは頭の中をグルグルと回り、自分でもどうするべきか分からなかった。
そしてその頭の中の異物を排除するためかのように、気がつけば僕はロイゼを襲っていた。
視界が歪んで見える。今自分のやっている事がどんな事なのか、ぼんやりとしてしまっている。それはパニック状態のそれだった。
これは……完全に嫌われたな。せっかくなら最後はいい別れにしたかったのに。逆に怖がらせちゃった。
何でこんな事やっちゃんたんだか、まぁこうなってしまってはもうどうしようもない。
もういっそのことロイゼを殺してしまおうか。
そんな考えが頭に浮かんだ。
彼女と一緒にいたり別れようとすることで、こんなにも心が乱されるのならいっそ。
そうしたらこのモヤモヤは晴れるのだろうか。しかしその代わりに僕は守ると決めた人を自分の手で殺す事になる。
でも僕にはそれで正しいような気がした。
どうせ僕は人殺しなんだよ。これまでハイルセンスの改造人間として罪のない人を何人も殺してきたんだ。
そんな僕が誰かと一緒にいて、守ろうとした事がそもそもの間違いだったのではないだろうか。
こんな身体で誰を守ってられるというのだ。こんな化け物に誰が守られたいのだろうか。
そんな馬鹿馬鹿しい事を目指すくらいなら、この場で大切な人を殺してあの頃に戻ろうか。
ただ無慈悲に目的の人を殺していた、化け物の僕に相応しかったあの時に。
そんな事を考えたせいか、僕の手に少しだけ力が入る。ロイゼが少しだけ苦しそうな顔をした。
ほら、別に今殺そうとしたわけじゃないのに。こんな事考えただけで勝手に力が入ってしまう。
この身体は武器なのだ。誰かを殺すために作られた、ただそのためだけの化け物の器なんだ。
そんなヤツなんていたって何の意味もない。誰かを傷つけてしまうくらいなら、いっそ本当の化け物になった方がいいのかもしれない。
「ロイゼ、これで分かっただろう、僕はただの化け物なんだよ。人を襲うのがお似合いで、近くにいても誰かを苦しめるだけなんだ」
「オモト様………」
「この世界には、君をちゃんと幸せに出来る人がいる。君がいるべきなのはそういう所なんだよ」
具体的には分からないけど、少なくともこんな化け物の隣よりかはよっぽど安全は場所になるだろう。
本当は離れたくない。でも僕の元では僕のしてあげたい事が出来ない。
僕とロイゼでは生きるべき世界が違うんだ。ロイゼは奴隷として、人として生活が出来る。
でも化け物の僕にはそんな事許されない。これが僕の宿命なんだ。
僕は背負わされた宿命から目を背けて、ロイゼに逃げたかったんだ。僕を拒絶しなかった、一緒にいてくれようとした彼女に縋ろうとしたんだ。そんな甘えが彼女をここまで巻き込んでしまった。
もう終わりにしないと。これ以上ロイゼの未来を奪う事は許されない。
彼女には彼女の未来がある。僕といるよりももっといい未来が。
「だから僕達は別れた方がお互いのためなんだよ。それでいいんだ」
そうだ、だからこれでいいんだよ。………これで、いい、か………。
ちゃんと自分の中で答えは出した。だからこれでいい。そのはずだ。そう………これで………。
「オモト様……」
さっきまで怯えていたロイゼの顔は、いつの間にか柔らかいものに変わっていた。そこに怯えた様子は見られなかった。
ロイゼは自分の首を掴んでいる僕の手をそっと撫でてきた。
「私だってオモト様について行ってどんな目に遭うのか、それくらいは予想出来ますよ。その上で私はオモト様といたいんです。それならきっと私は幸せになれるから」
「そんな事……僕には出来ないよ……」
「いいえ、だって私はもうオモト様に幸せにしてもらいましたから。だからちゃんとお礼がしたかったんです…………ありがとうございました」
ロイゼはそう言ってはにかんだ。僕を疑っているような様子は一欠片も無い。
僕の中でのモヤモヤがどんどん多くなっていく。頭の中のグルグルしたものが身体中に伝わったかのような感覚があった。
まるでそれに動かされたように、僕は言っていた。それは自分でも意識していない、自分の奥底の言葉だったのかもしれない。
「何でだよ………何で………」
「オモト、様?」
「何で……怖がったり、離れたりしようとしないんだよ……何でそこまで寄り添ってくれるんだよ………」
もしかしたら僕は心のどこかで嫌ってくれる事を望んでいたのかもしれない。そっちの方が僕としては分かりやすかった。
こんな身体になってしまい、周りからは嫌われて僕から離れる事が当然だと思っていた。こんな化け物に近づくようなヤツがどこにいるだろうか。
改造人間になる前からそうだった。日本でも人に嫌われるなんて当たり前で、近くにいてくれてもそれは上辺だけ。結局離れていく事が日常だった。
僕だからってわけじゃない。人間なんてそんなものだ。
自分と違う人なんて、一緒にいる利益が無ければ人が寄ってくることもない。
口では色んなことを言っていても、その中に本心はどれほどあるだろうか。
分かり合えない、一緒にいても苦しいだけ、どうせうまく付き合えない、無意識にそう思ってしまうのだ。
それは当たり前でそれを苦しく思う事なんて無かった。僕の中ではごく当たり前のことだ。
それなのに………目の前にいる少女は何の利益も無いのに、むしろ危険なのにそれでも僕の側にいようとしてくれている。
それが嬉しくないと言えば嘘になる。それでも僕にはどうしてもそれを受け入れられなかった。
「何で………君はそこまで僕といようとするんだ……僕といたって何の意味もないのに……僕は改造人間だ。さっきのヤツと同じ化け物なんだよ」
こんな化け物といて何の得があるのか、他に何か思惑があるのか、ついそんな事を考えてしまう。
「私も受け入れてもらったからです。それなら私があなたを受け入れてもおかしくはないですよ」
「そんなの………何の利益も無いじゃないか。僕といたって何の得もない。それどころか………命の危険だって………」
「オモト様………」
するとロイゼはゆっくりと僕に手を伸ばしてきた。そっと僕の頬に手を添えて笑った。
「たとえ何の利益が無くても、私の事を受け入れてくれた、こんなにも優しくしてくれた人にお返ししたい。それはそんなにおかしい事ですか?」
ロイゼはまっすぐ僕を見てきた。そこにあったのは最近よく見せるようになったのに、久しぶりに見たと思ってしまったロイゼの笑顔だった。
「たしかにあなたは化け物かもしれない。でも、こんな私を受け入れてくれたのは………そんな化け物のあなたなんですよ」
「それは………」
ロイゼはそれが当たり前かのような顔だった。いや、実際彼女の中では当たり前なのかもしれない。
「だから私は………これからもオモト様と一緒にいたいです。あなたがどんな化け物だったとしても、あなたなら怖くありません」
素直な気持ちをぶつけられて僕はなんと言うべきなのか考えてしまった
人に心からそこまで言ってもらえるなんて、こんなの初めてだ。
「損得なんて関係ありません。私が弱くてダメなら訓練してもっと強くなります。私は、私を救ってくれたあなたとこれからもずっと一緒にいたい。ただそれだけなんですよ」
僕はその言葉にハッとした。モヤモヤが一瞬にして晴れたように感じた。
そうか、そうだったのか。
僕は戸惑っていたんだ。損得なんて関係ない、単純に僕といたいというロイゼの気持ちに。
心のどこかでいつも疑っていたんだ。彼女がなんで今もいてくれてるのか。何か企みがあるのか、もしかしたらそれは僕の損害になるのではないか。
でもそんな事無かった。ロイゼは損得なんて初めから考えていなかったんだ。
僕はそんな彼女の純粋な気持ちに戸惑ってしまった。
だから適当な理由をつけて、本当はロイゼも損得を考えていて僕といたと、完結させたかったんだ。
これ以上彼女の幸せを僕が決めるのは間違ってるか。
そう思うと自然と僕の身体から力が抜けていた。僕の腕が元に戻る。
僕はその手でロイゼのネグリジェの肩紐を戻してやった。恥ずかしかったけど、ここは顔に出ないようにしないと。
そして僕はロイゼの隣に寝そべった。
「あの、オモト様。私は………」
「早く寝るよ。明日は今日出来なかったクエスト終わらせないと、でしょ?」
「⁉︎…………………はい!」
ロイゼは涙を流しながら嬉しそうに笑うと、僕の側に寄ってきた。今にも密着しそうだ。
すごい恥ずかしかったけど、この笑顔に免じて今日はいいかな。
その笑顔は、今日一日の悲しみが全て無くなってしまった事をはっきりと示していた。
この笑顔は絶対に守らないと、だよな。
そんな事を考えながら僕はそっと目を閉じた。僕達を包む夜はそっと更けていく。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




