第31話 中途半端
「ロイゼ……」
僕はいきなり抱きついてきたロイゼを見下ろしていた。
柔らかい感触といい匂いが一気に僕を襲ってきて、思わずドキッとしてしまった。
ロイゼの顔色はまだ回復していない。身体もまだ震えている。さっきまでの恐怖は抜けきっていないようだ。それなのに、なんで……。
「ダメだよ。ハイルセンスに関わるって事はこの世界の闇に関わるって事だ。ハイルセンスはそれほどまでに強力だ。普通の人間がどうこう出来るものじゃない」
それでも僕は彼女がこれ以上ハイルセンスと関わるのを良しには出来なかった。
彼女の強さは確かだし、彼女の気持ちが強いものなのも分かっている。それでも僕には良しとは言えない。
彼女には彼女のやりたい事があるはずだ。今無くてもこれから見つかるかもしれない。
でもそれは全て命があってこそ出来るものだ。死んでしまっては意味がない。
ハイルセンスと関われば命の保証は出来ない。裏切り者の仲間とされるんだ。当然だ。
彼女にはこれから長い人生がある。こんな人のことで命を落としてはもったいない。
それに彼女はその才能を活かせば、今よりももっといい生活が出来る。僕なんかといるよりもずっと。
そんな彼女を僕なんかの事情に巻き込んでしまってはダメだ。
「ロイゼがこれ以上ハイルセンスに関わる必要はないんだよ。まだ君はガーゴイルアンブロジウスに見られただけだ。ハイルセンスには認知されてない。これまで通りの生活をしていれば命の危険はないんだよ。だからもう僕のことは忘れて、ね?」
僕はそう言ってロイゼを離そうとした。急いでマルディアさんの所に行かないと。
しかしロイゼは僕に抱きついたまま離れようとはしなかった。
これまでずっと従順だったロイゼの、初めての抵抗だった。
「お、おい、いい加減聞き分けてくれって。本当にこれ以上巻き込むのは危険なんだよ」
「嫌です………離しません」
ロイゼは抱きしめる力を少し強くする。
もちろん全力で振り解こうとすれば出来ない事は無かった。
それでも僕は彼女を無理矢理離すことは出来なかった。
「たしかに私はハイルセンスの恐ろしさを知らないかもしれません。でもそんな事どうでもいいんです」
ロイゼは僕の胸に顔を埋めたまま話し始めた。その声はどこか震えているように聞こえた。
「これからどんな事があっても、私は……オモト様と一緒にいたいです」
縋るようなロイゼに、僕は一瞬どう返していいのか分からなくなった。
「い、いいわけないでしょ。命は大切にしないと」
ロイゼを僕の事情で死なせるような事はしたくない。でも確実に守り切れる自信もない。
「それは……オモト様でも言える事なのではないですか?オモト様一人でハイルセンスに立ち向かえるのですか?」
まぁそうなるよなぁ。たしかに僕一人であの組織を敵に回すのは無理だと思う。でも……
「僕はいいんだよ。僕はもう死んだも同然なんだから」
僕はそっとロイゼと目線を合わせて言った。
「え?でもこうやって………」
「たしかにこうやって活動して意思もあるよ。でもこれはもう僕とは言えない、違う存在なんだよ。人間としての僕はもう死んでるんだ」
僕は人工物の身体に人の意思を宿しているようなものだ。
この身体に人間の『魑魅 万年青』としての要素はもうほとんど残っていない。
僕はもはや『魑魅 万年青』の意思だけを宿した、ただの人形だ。
「ロイゼだって見ただろ。今君が見てるのは僕の偽の姿なんだよ。本当の僕は………化け物だ」
この世界には地球に比べて多くの種族が存在する。それぞれがみんな違う個性を持っている。
そんな中にいたとしても僕達改造人間は、他とはちょっと違うと思う。
モンスターのような力が備わっていながら人間のフリをして暮らしている。この世界の法則に反した化け物だ。
生物でもない、かといってそれを超越したアンデットや悪魔、ましてや神でもない。そんな中途半端な存在だ。
そんな存在に『生きている』なんて概念があるのかどうかすら怪しいものだ。
「だからその辺を気にする必要はないよ。僕達は偽の命で生きている。元々死んでるんだから」
「そんな…….」
僕の言葉にロイゼは悲しそうに目を伏せた。
何でここでお前がそんな悲しそうな目をしてるんだよ。関係ないのに。
「お前だって化け物なんかといたくはないだろ?分かったらどいてくれよ」
すごい状況ではあるんだけど、正直すごい恥ずかしいからさ。そろそろどいてもらわないと。
「………ロイゼ?」
しかしロイゼが動く気配はない。ずっと悲しそうな顔をしている。
「私は………オモト様に買われて良かったと思っています」
突然ロイゼが口を開いた。
「奴隷である私にここまで優しく接してくれて、普通の人のように扱ってくれて嬉しかったです」
別にあんなの気分だろ。すごくも何ともない。僕が奴隷の扱いを知らないってのもあるけどね。
「たとえオモト様が化け物であっても、その姿が偽の姿だったとしても、私にしてくれた事は嬉しかったし本当の事なんですよ。それは嘘ではないです」
ロイゼがただ話す中僕は特に話すことが無かったので、固まってしまった。
ロイゼがそこまで慕ってくれるとは思っていなかった。僕は何もしていないのに。
「どんな存在だろうと、私はオモト様が人に寄り添えられる優しい人だって事、知ってますよ。こんなに優しいなら化け物とかなんて関係ありません」
そう言う彼女は縋るようで、まるで子供のような顔だった。それでも…………
「ロイゼ、さっきの戦い見てただろ。あれに人間が割り込むのは危険なんだよ。ロイゼは本当に強いと思うけど、これはそういう次元の話じゃないんだ」
ロイゼが改造人間に勝てるのはまず無理だと思う。つまり彼女はこれからの僕の戦いでは足を引っ張るだけという事だ。
普段の僕ならそれを躊躇いなく言えたかもしれない。そしてロイゼも『君はお荷物だ』と言われれば大人しく引き下がったかもしれない。
それでも僕はそれを言うことは出来なかった。それを言ってしまえば、ロイゼは昔の僕のようになってしまう。
これに関してはロイゼがどれほど強かろうとそれは意味なさないからだ。
どれほど速いとされている兎がいても、それがチーターに勝てるかと言われれば違う。
どれだけ鍛え上げられた人間も、原爆に単身立ち向かって勝てる人はいない。
ハイルセンスの改造人間の力はそれほどまでに圧倒的だ。普通の人間が相手出来るのはせいぜいベフュールくらいだろう。それだって生半可な強さじゃ無理だ。
ロイゼの強いと改造人間の強いはレベルが違うのだ。そしてそれが釣り合う事はまずあり得ない。
ガーゴイルアンブロジウスですらも幹部というわけではない。あれより上の改造人間はまだいる。
そんな中でロイゼを守りながら戦うのは今の僕には出来ない。
「それは………そうかもしれませんけど………」
ロイゼは悔しそうな顔をした。ここで『大丈夫です』って言わない辺りちゃんと周りの事を見れているんだろう。
「その気持ちは本心だって分かるし、もちろん嬉しいよ。でも………ごめんね、君をこれ以上巻き込むのは誰も得しないんだよ。だから………分かって欲しい」
僕だってロイゼと別れたいわけじゃない。むしろこんないい子は滅多にいない。これからもいて欲しいとすら思えた。
でも、だからこそロイゼを僕と一緒にいさせてはいけない。彼女がこれ以上僕といてもただ命の危険が迫るだけだ。
僕はロイゼを幸せにしたい。それは彼女を買った時からずっと考えていた事だし、それがロイゼを買った僕の義務だと思った。
彼女に何の得もない、むしろ命の危険があるような事にはこれ以上巻き込めない。
それなら義務を放棄するようだけど、ロイゼをマルディアさんのところに返して本当に彼女を幸せにしてくれる人に託すのが一番だ。
ロイゼの幸せを僕が決めるのはどうかと思うけど、それがこんな僕がロイゼにしてやれる最大限の事だ。
「……………はい」
とうとう諦めたのか、ロイゼはゆっくりと僕から手を離した。
その目からは涙が流れていた。その涙を拭ってあげたい。でも僕なんかにその資格はない。彼女を泣かせてしまったのは僕なんだから。
「その代わり君を返品するのは明日にしよう。今日はクエストは中止にして、どこか一緒にお出かけでもしようよ」
僕だってロイゼとは別れたくない。それでもそうしなければ辛い目に遭うのはロイゼなんだ。
それなら今日一日はさっきまでのロイゼのメンタルケアも兼ねて、街の散歩でもしたい。
もしかしたらロイゼがこうやって自由に出来るのは今日が最後かもしれないのだ。
命を守るためとはいえ、彼女の自由を奪ってしまう事には大きな罪悪感がある。
それなら今日くらいは出来るだけ一緒にいてあげたい。ちゃんと僕から離れてくれるように。
「それで、いいかな?」
「……………はい」
ロイゼは悲しそうな顔で頷いた。それはまるで初めて会った時のような顔だった。
僕はそんなロイゼにどう話しかけてあげればいいのか分からずに、ただ森を抜けるために歩き出した。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




