第88話:何してくれてんだ
特製の親衛隊腕章には軍事機密である[警報]の魔法がかかっている、契約系の呪術に近いもので、素材は猛犬中尉本人の毛……勿論髪の毛。
そして素材にしているとはいえクオン毛百パーセントではない、当たり前である、ハゲるわ。一本づつが実際に編み込まれている。
掛けられた[警報]の魔法の効果は、着用者の腕章が破壊された時、同じ素材を使用した腕輪の着用者と素材提供者の耳元で鳴るガラスを割ったような音。
今回の場合着用者の条件で観客席のマスクの少女フレイに、そして素材適用者の条件がクオンリィに当てはまる。
魔導具:ヴァネッサ派閥親衛隊白銀直属章の所持者は学院内で二人、一人が前述のフレイ、ということは。
(フィオナの腕章が破壊されましたね?)
「緊急事態です、ノエルッ!」
右手は軽く拳を握り、左手には"魔鞘・雷斬"、肩幅より少し広めに足を開き大の字立ちになるクオンリィ。
「あいよー!」
ちょっと気のない返事をしながらタンと足を踏み出したノエルが≪伽藍洞の足音≫の[認識阻害強化]と[空間転移]を発動させて正面に直立のまま倒れるように小さな体を亀裂に呑み込ませて消えた。
こんな目撃者の多い衆人環視の中で堂々と使用しているけれど、意図的に存在感を伽藍洞に落とす[認識阻害強化]下であれば身内か手練れくらいにしか察知されまい。
観客席で驚いている者の中にはミュリア先生も勿論いる、ただのダメ教師ではありません。
消えたノエルが現れるのはクオンの頭上、くるくるくるくるーと体を旋回させて……。クオンの上半身におぶさる形で抱き着いた、両腕はしっかりとクオンリィの首に回してあるけれど別に締める為ではない。
両脚をクオンの胴に絡ませると、腰に巻いたサッシュに重なるようにがっちり足首でホールド。
背中はぴったりと密着している、お胸がないから? シバくぞ。
まるで背嚢のようにノエルを装備する、ノエルの足は自由に動くので足と足を打ち合わせる事で≪伽藍洞の足音≫は発動可能、乱戦の中刀を失っても即補充の継戦能力と[空間転移]による高速移動を実現したフォームである。
西部方面軍ヴァネッサ直属特別抜刀隊衛士軍装クオンリィカスタムver.魔法学院装備ノエルパック装備型。完成です。猛犬中尉は自主的に外しました。
「ヴァネッサ様」
「わかっておりますわ、ここにはジョッシュも抜刀ママもクソババアもおりますもの」
それぞれ第二王子、元"雷神"と元"風神"のこと、純粋戦力ならばヴァネッサ自身も含めればこの現時点練武場はかなり安全な場所である。
「お往きなさい、クオン、ノエル。フィオナにはわたくしも興味が出て来ましたわ?」
「「はっ!!」」
ヴァネッサ様の興味が出たものが失われようとしている、それを通すわけには行かない。
二人ともが息の合ったタイミングで西部方面軍式の敬礼をするとノエルの右拳がガツッ! とクオンの鼻柱をしたたかに打っている。
「絶対わざとですね?」
「にゃんのことー?」
「じゃれてないでとっととお行きなさい」
「「はい!」」
すちゃっと右手に姉短銃を抜いて銃口をピタリ向けるヴァネッサに、慌ててどたばたとステージから降りて走り出すクオン、時々ショートジャンプで出たり消えたりしているのはノエルがやっているのだろう。
「でもクオるん、場所の心当たりがあるの?」
「あります、腕章の[保護]がカチ割れたときは、てっきりジョシュアが何かやらかしてくれたのかと思いましたけど」
「けど?」
「フィオナは今日レイモンドに呼び出されている、男子寮近くの外壁だって言っていました……反応のあった方向と一致します」
「はぁ!? あのお嬢様がやったって思うの!?」
クオンの推測に信じられないとばかりにノエルが声を上げる、信じられるものか、ヴァネッサ派閥の親衛隊に弓を引くバカがいるだなんて……。
それが西部を敵に回す事が理解できない商家の令嬢とは……。
学院を取り囲む長大な外壁……文字通りかつては城壁だった堅牢な外壁には今は≪大結界≫が張り巡らされ学生を護っている。しかし、外壁に蔦が這うように長い月日の内に綻びが生まれる……。
かつての未来、ジェシカがヴァネッサに撃ち抜かれた場所、ジェシカが放課後の待ち合わせに指定したのはそこだった。
フィオナはそこがそういう場所とは知らないけれどまったく生徒も教員も見かけない。
男子寮が一応見えるけれど相変わらず臭そうで、学食からも近い距離にあり、日当たりも良好な女子寮との扱いの違いを感じる。
石段をえっちらおっちら上ったはいいけれど、待ち合わせ相手のジェシカはいなかった、けれども。
「わあ……!」
少し暖かくなり始めた夕方の心地よい風、≪大結界≫は目で見えるものではない、すなわち外壁上から望む景色は大変美しいパノラマでフィオナの前に王都民のフィオナが知らない王都の景色を広げた。
学院の中にいるとその広大な敷地と外壁に阻まれて意識する事は無いけれど、ここは王都サードニクスの一部なのだ。
日暮れの時刻、夕食の支度や今夜の商いにさぞ騒々しいのだろうなとは思うけれども、流石に喧騒の音も届いては来ない。
「ほぁー、すっごい景色……来るの面倒くさいけれどたまには来てみたくなるねこれ!」
弾む足取りで市街側のヘリに手をつくと眼下には王都全体を囲む大濠が静かな水面に暮れ行く日の光がキラキラと煌めいている。
「自然の宝石箱やぁ~」
水色の瞳を歓喜に輝かせ、自然な挙動で全身で感動を表現するあざといムーヴが出る……クセになっているんだ……キュートなアピール。
――ガガン!!
フィオナの背中に二連の大きな衝撃が走る。
[保護]が働いた、つまりはそういう攻撃だった。
「[保護]の魔導具!?」
「ジェ……ジェシカ!?」
よろめいて背後を見れば、機械式クロスボウを片手で構えたもう一人の転生者がいる。
「フィオナだけなのね、でもいいわ、あなたも転生者なら! ≪セーブ≫はできるんでしょう!? ≪セーブ≫しなさい! 確かめてあげる!!」
「できないよ!?」
フィオナは咄嗟に≪前世の記憶≫さんを探るけれど、勿論そんなもんはねぇ。
ほーん、ジェシカは≪セーブ≫して死に戻るのね、と情報は収集するけれど、まずい。
今更ずんがずんが【中ボス戦のテーマ】が脳内に流れる……。
(奇襲には弱いね【戦闘BGM】……ッッ!!)
クオンリィに改めて気を付けろと言われていなかったら今のでタイの[保護]を剥がされてチェックメイトをかけられていた……左腕の腕章がチリと化して夕暮れの空に散っていった。
こいつ、転生者確認のためだけに奇襲仕掛けてきやがった! バーカバーカ!
(転生者イコール死に戻り可能と思ってる!?)
冗談じゃない、試したことは無いけれど!
「ちょっ!! ジェシカあ!! 洒落になってないよ!?」
「ええ、本気よ? 転生者フィオナ!!」
機械式のクロスボウがフィオナに向けて次のボルトを放った。
外壁の上はそこそこ広い、石造りの回廊になっているからそこに身を投げ出して必死にジェシカの【攻撃範囲】から逃れるフィオナ、たどたどしくも的確に回避する。
「ひいああ!? やめてってば! 転生者なら誰にでも死に戻りがあると思わないでよ!!」
「やっぱり!! あなた転生者だったのね!!」
口が滑った、慌てて口を両手でふさぐけれどそんなもの何の意味もない。
しかし……。
しまった、フィオナの足が止まった……!!
――ガキュン!!
激しい打撃音に続き乾いた音を響かせてジェシカの放ったボルトが石造りの回廊に転がる。
「なっ!? 誰!? ザイツ!?」
応えたのは男の声。
「なあ、俺ァバカだからよ、よくわからねぇけどまずは手が出ちまうんだ」
風が、金の髪を靡かせる。
広い背中がジェシカの姿を隠してしまうのだけれど、水色の瞳は一度大きく瞠目して、そして涙ぐむ……「遅いよ」……「悪い」、言葉もなく意思が伝わる。
【戦闘BGM】が彼のテーマに切り替わる、のちのヴァネッサを含む五連戦のテーマだ。
「そ、そんな、どうして!?」
ボルトを撃ち切ったジェシカが背中に背負ったサーベルを抜き放つ、フィオナの[保護]は全て剥がした、あと一歩、あと一歩なのに!!。
「どうしてもこうしても!! 幼馴染だ!! バカやろぅ!!」
一息、ボルトを打った右の手甲がまだ痺れる様な感覚……こいつは強い。
意を決め、腹を据え、背負った幼馴染を前に拳を構える。
「女殴る趣味はねぇケド!! お前フィオナに何してくれてんだ!!」
――勇者参上! ディラン・フェリが立ちはだかる。




