第71話:男の子
あと一歩だった、あと一歩で……切っ掛けが掴めて、今夜にでも男になる……そう思っていたオーギュストの『恋の鞘当て』願望はノエルの猫手でさらっと流された。
しかしこのまま引き下がっては童貞卒業も夢のまた夢である、男の子ってのはな! その願望が掛かってるなら! 引き下がれないんだ!
「くっ……!」
振り返り様に一歩踏み出して、なりふり構わず鞘尻で突き込むオーギュスト……。魔物中心の実戦経験が鋭い突きを選択させてしまった。
これでは鞘当てが成立しても勢い次第では鞘頭でクオンリィのわき腹やスカートの下で今は見えないけれどキュッと引き締まったお尻、しなやかな大腿をつついてしまう。
いいね。
けれど勢いがつき過ぎている、つんつんっ! ほぉれ! いや~ん! にはなりそうもない。ドッス! うぐ! が関の山であろう、オーギュストがしまった!とグリップを勢い良く引く。
さてドライツェンはいわゆる両刃の剣である、クオンリィが愛用する刀と剣の構造で特徴的なのは何処であろうか?
それは鯉口、ハバキの堅さである。
太刀佩きで「吊るす」刀や、同様に剣帯に「吊る」事が主な剣は、礼をした際にも重力に従って軽く鯉口の向きが上がる。しかし刃上向きに帯などに差す刀は逆に下がってしまう為「差す」刀は鯉口がハバキと強く噛むようできているのだ。
余談ながら魔鞘・雷斬や抜刀伯の白鞘は佩く事も差す事もできる構造になっている、西部抜刀隊の刀は"差しもの"だけれど、慣例的に"佩きもの"と呼称され、イコール"腰のもの"の意味を持つ。
それはともかく。
差す刀の鯉口が硬いのはなぜか?抜くのに不便ではないか、だから差しモノを帯びる剣士は鯉口を切る。もちろん鯉口も切らずにぶっこ抜いて抜けない訳ではないけれど、それを繰り返しては合わせがバカになってしまう、そうすると……。
すっぽ抜けてしまう可能性がある、鯉口の硬くない刀や剣はなおさら。
一方、何でもないと言ったものの、件の紫髪はこれで諦めるとも思えない……のしのしとした歩みで運ばれながらノエルは仕方がないとクオンに報告する事にした。
「19時方向、鞘当て狙われてるよー」
「ぁあ?」
クオンリィはこの情報に大いに"ビキッ"った、クオンは確かに剣士である、自ら隻眼の剣士などと自称した時期もあった。けれども今は鞘士である、この世に二人といないオンリーワン。
師匠である父にはない、魔統と剣術の応用、更にはそれを強化拡張する魔鞘がある。
剣 士 の 風 習 な ぞ 知 っ た 事 か。
(喧嘩を売ろうってのか?いいですよ?)
腰の位置を軽く尻を左右に振って調節する、差した魔鞘のポジションも完璧だ、骨盤の動きだけである程度自在に動かせる自信がある。
(跳ね返してやりますよ?)
あんなド変態に鞘を打たれる事自体が既に業腹ではあったけれど、なまっちょろい一撃など腰の動きだけで弾き返してくれる。相手はむかつくが立ち姿から多少はできる、と判断はしたけれど。
(だからなんですか、私は抜刀伯――)
「ぁ」
「うぐ!」
飛び道具はちょっと想定外であった。
すっぽ抜けてきた鞘は一端の魔導具らしくそこそこ美しい装飾がなされている一品もの、要は重い。勢いのついた尖った鞘尻がクオンリィの尻、略してクオ尻にドッスと突き当たる。
鞘には当たらなかった。
アッー!もしなかった、残念ながら。
クオンリィが何か貰ったらしいというのは、カランカランと音を立てて廊下を転がる剣の鞘を見れば、その右手側で首に手を廻しているヴァネッサにもわかる。これはこれは、面白いことになりそうであるとノエルに目配せしながら声をかける。
「ノエル」
「あいあい」
「「オープン!」」
まずノエルがヴァネッサを腕の力で放り上げる、宙に舞ったヴァネッサはぴたりと足を閉じて黒髪とスカートを旋風のように巻いてギュルギュル旋回した。続いてノエルが時間差でクオンリィの胸を蹴ってふわりと宙返り。
着地のタイミングはばっちり二人同時である。
「……ノエるん……」
「なあに?」
「なぜ蹴った……」
「……ノリ?」
「……覚えとけ?」
「……」
「前説は終わりまして?」
「「はい!」」
両踵を揃えたポーズで着地しているヴァネッサはいつの間にやら左手に妹短銃も抜き、二丁短銃装備でフラメンコチックなポーズを決めている。
そして素早くその両サイドの定位置に移動するクオンリィとノエル、正面に見据えるのは、まさかの鞘飛ばしで明らかに失態を演じたオーギュストである。
「いや、すまない、こん」
「どんなハズだったのかしら?」
しゅるしゅるしゅるっと短銃姉妹を踊らせながらどこか愉しそうに金眼を細めるヴァネッサ、恋のおまじないだとかそういったものは自慢ではないが片っ端から読破している、当然剣士の恋の鞘当ての風習も知っている。
(ふうん、この前髪男、クオるんに気が有りますのね)
「そこのあなた、鞘が落ちましたわよ……?」
「あっ……す、すまない」
これがいけなかった。
「おい……?不敬に過ぎますよ?此方をどなたと心得る」
「西部侯爵が御長女、ヴァネッサ・ノワール様であらせられる」
「すまない?申し訳ございません、ありがとうございますでしょう?人の尻突いといて何がすまないですか?」
「その鞘いくらで売ってくれる?」
不敬を働いた瞬間クオンリィとノエルがずいずいと迫ってくる。
ノエルに蹴っ飛ばされて改造制服の第三ボタンまで弾け飛んだクオンリィの胸元は大変眼福で、オーギュストとしては弁解の言葉と谷間映像が頭の中をぐるぐる飛び交うのであった。




