第67話:万雷
ラスクの頭をお胸の下から出すように体をずらし、横になっていた上体を起こすヴァネッサ。
改めて金の目で三人をぐるりと見回してから、ピンク髪に照準を合わせる。
「なるほど、あなたが『起こり』ね」
「お……『起こり』……ですか?」
「ええ、クイックドローはご存じ?」
フリルに彩られたスカートの下で足を組んでから、おいでとラスクを誘導するように軽く太ももを叩いた。
頭の上にあった重い双丘から解放されたラスクは、軽く頭を振ってから耳をぴるぴるさせていたけれども、招かれては実に嬉しそうにそこに体を横たえた。
車内で一番いい匂いがするのは誰か?無論ヴァネッサ様である。
小麦臭い姉の膝より居心地が良い。
どしっとラスクの背中にお胸が乗っかる、こうして完全にホールドされてしまう以外は概ねラスクとしては満足であった。
(乗ってる……)
「え、ええと、それってクオンの"抜刀術"ですよね?はい、昨日も拝見しました」
「……」
フィオナの回答に沈黙が返って来た、ヴァネッサの金色は右隣の片翼へと片眉を上げて注がれている。
あれ?とフィオナはクオンに視線をやると、血走った紫の単眼と目が合いそうになって慌てて逸らしたら虚無ってる瑠璃色と目が合って動けなくなってしまう。
「……はい、昨日ラスクとフィオナを連れ少々課外活動をしました、ちょいと"死の砦"に行ったら身内が出て来やがりましたので軽く一発キメました」
「つまりクオン、あなた一日中抜きまくってたんですの?呆れた娘ねえ……でも納得しましたわ、あなたがロートルごときに鳴かされるなんておかしいと思っておりましたもの」
「や、ヴァニィちゃん……ロートルって……まぁでも、フィオナちゃんのせいだよねー、クオるんがキズモノにされたのは……」
[音声遮断]が無ければエロ検定が始まりそうな三人娘の言葉の応酬だけれど、ちゃんと伝わっているのはターエ大尉の教導のおかげだろうか?
ラスクの尻尾がばっふんばっふんと振り回されている、さては貴様エロだな?
「ま、その"抜刀術"では御座いませんわ」
「は、はぁ……」
生返事を返したフィオナだったけれど、一瞬の動きに全く反応ができず、水色を丸くして軽く上体を身じろいだ。
ソファに座ったまま、そこそこ大きくしかも太り気味のラスクを膝に乗せたまま、ヴァネッサの左手には妹短銃が握られて銃口が真っ直ぐとフィオナに向けられていた。
「……ぇ……」
どこから出した?どこで地雷を踏んでいた?どこで虎の尾を踏んでしまった?ここは確かにとらのあなだけれど、困惑するフィオナを見ながら、ヴァネッサの金色とその顔が愉し気な笑みに変わった。
「アハ、アハハッ!今あなた……死にましたわよ?」
ケラケラと笑いながらガンプレイで左手の銃をくるくると回す、ごめんなさい笑いどころが分かりません、フィオナは背筋に寒いモノを感じていた。
だってヴァネッサの≪魔弾≫は火薬も実弾も必要が無い、今さっき銃口はぴたりとフィオナの眉間を捉えていた。
「ま、こっちのクイックドローですわね」
「は、早撃ち、ですか?」
「っそ」
しゅるしゅるっと腕を使って少し大きめにガンプレイに妹短銃を踊らせると腰の後ろ辺りにさっと収納した、ドレスの大ぶりなスカートの中にガンベルトを隠しているのだろう、よく見ると相変わらずのスリットだらけである、ラスクがばっふんばっふん尻尾を振っているのでたまに肌色が見える。
「わたくしの得意技、という所かしら……『起こり』を抜きますの」
そう言ってたおやかに微笑むヴァネッサだけれど、フィオナの胸に去来するのは入学式前に見たレオナードvsヴァネッサの蹂躙劇だった。
正直人間業ではない、レオナードが何か言おうとする言葉を予測して『起こり』の音を次々撃ち抜く。
フィオナの戦慄は尤もだけれど、ヴァネッサとてあれは相当集中していたし内心必死に思考を巡らせていた、何より相手がレオナだったから読みやすかったというまである。
「まあいいですわ、それで、クオン?本題を」
ゆっくりと背凭れに身体を預けると、お胸から解放されたラスクがヴァネッサの膝の上で身じろぎして頭を上げてクオンの方を見つめた。
「……はい」
ふっとクオンリィの仮面の奥の口調は柔らかい、彼女なりの考えがあってこうした場を設けたのだけれど、内容が内容なので緊張していたのだ。
頼もしい主はそんな事はお見通しと、そう言っている。
仮面は不要だろう、カチャと脇の留め具を外せば銀の鎖が力なく垂れて亜麻色の髪に混ざる。
フィオナとしては眼帯すらしていない本当のクオンの素顔は何だか見てはいけないような気がして視線を外して俯く。
「フィオナちゃん、だいじょーぶだよ」
ノエルの声がしてはたと顔を上げる、確かにクオンの左眼にはいつも通りの眼帯があった。
ほっとした様子のフィオナを見て、少しノエルの機嫌は良くなる、ちゃんとそういう所は気が使えるのだなと。
「さて、フィオナ……お前これからの学院生活少し気を付けろ」
「え、いきなり!?」
「ヴァネッサ様が本題をと仰りましたけれど?何か?」
といったところからいきなりのクオンからの警告、思わずと素で応じてしまうフィオナであった、じろりと紫の単眼を横目に向けられて少し肩を縮こませる。
「昨夜、私とノエルはジョシュアの仕掛けで分断されました」
「ちょ!?クオるん!?」
「ノエル……。続けなさい、クオン」
次に慌てたのはノエルだった、いくら何でもその情報は王家とノワール家に関わるものだ、確かに≪伽藍洞の足音≫が生む[音声遮断]の魔法の範囲内であるこの車中では"ガランの影"も様子を窺う事は出来ないけれども……。
ヴァネッサに窘められてソファに座りなおす、。
「まぁそれ位のイタズラなら良くあるのですけれど、今回私の拘束にぶつけられたジョシュアの『駒』は"剣聖"でした、ヴァネッサ様とノエルが駆け付けていなければ、まぁ死にはしないでしょうが十中八九私はどこかに閉じ込める等で盤上から落とされていたでしょうね?」
フィオナは眩暈がする思いだった"剣聖の弟子"オーギュストが突然現れたと思えば、オーギュストはクオンに一目惚れしていた模様で紹介してくれと言っているのに、もしかしたら昨晩その師匠の手でクオンが排除されていたかもしれないなんて。
そして退場するにしても速すぎる、クオンを退場させない事を意識したのはまさに虫の報せだったのだろうか。
「というわけで、フレイとお前は特に気を付けろ、いいな?」
「え?なんで?」
「私とクラスで一番近いのはお前とフレイだ、ジョシュアに気を付けろ……ガラ持ってかれて人質になっても私は諸共ヤんぞ?」
ジョシュアの名前が出て、ヴァネッサが少し不安気に睫毛を伏せた、よい"愛刀"だとそう思う……何かがあるとはヴァネッサ自身も感じていた事なので撃鉄は上がらない。
金色の瞳を開けば、ノエルがこちらを心配そうに窺っているから大丈夫だと淡く口角を上げて応じる。
「と、いうわけで、ヴァネッサ様」
「なあに?」
「フィオナは使えます、魔法の制御に関してはお母様が太鼓判を捺しました。昨日も肩慣らしに連れて行きましたが、以前一度見せただけの私の[音声遮断]を見よう見まねの真似事でやってのけています」
「そうだねー、フィオナちゃんは状況が良く見えている、勘がいいのかな?」
ノエルが補足した言葉にフィオナは内心ドキリとした、この流れは……きっととても嬉しい事に繋がるけれども、≪前世の記憶≫の事や『ヴァネッサ様、あなたは死にます!』だの『クオン!退場しないようにね!』なんて打ち明けたところで何の良い事もない。
(≪前世の記憶≫の【戦闘BGM】のおかげで戦闘発生が少しだけ早く判るなんてのも……何かいい言い方とか無いかな、当分は勘がいいで済めばいいけれど)
「コイツと後でご紹介するフレイはクラスでも親しいコンビです」
「ぇえ?」
「黙れ?」
思わずといつもの調子で返したフィオナの桜色の前髪が数本だけはらりと散るのが水色の瞳に映った。
はい黙ります。
びしと直立不動で踵を合わせて背筋を伸ばす、ヴァネッサ様の膝の上でラスクがへらへらと舌を出していた、おのれ今日のおやつは半分だ。
「ふふ、仲がよろしくてよ……それで?」
「はい、親衛隊に加えます。私の直轄で」
「はああ!?クオるん!?わかってんの??警戒対象認定しておいてお近づきになって直轄にしましたなんて西部に絶対伝わるしそれで処分されるのクオるんだよ!?」
これに声を荒げたのはノエルだった、なりふり構わず相棒を思い留めようと立ち上がって身を乗り出す。
「落ち着いてくださいノエるん、いいですか?ジョシュアの魔統は闇系です、情報系ですが妨害などにも使われますね?……手合わせしていてたまに感じるのですが、アイツ精神系も使えますね……勘です」
「ぐぅ……」
「私達はともかく、フィオナとフレイ経由で何か仕掛けられたら大変めんどくさい。いいですね?」
「いいでしょう、西部が何か言ってくるというのならば私の許しを得たと返しなさい」
「ヴァニィちゃん……」
「ありがとうございます、ヴァネッサ様」
座ったままヴァネッサに頭を下げるクオンリィ、ノエルはまだ若干不満そうにその亜麻色のつむじをじーっと睨んでぷくと頬を膨らませる。
改めて、黒鞘を腰のサッシュに差しながらソファを立つクオンリィがフィオナの前に移動する。
黙っていろと言われて前髪迄一瞬で斬られて緊張が増したせいか、フィオナは口を真一文字に結んでガッチガチに固まっていた。
「息を止めろとはいってませんよ?バカですか?聞いてましたか?」
「き、聞いてた!聞いてたよ!!」
クオンリィが懐中から黒地に三人の色が入った親衛隊の腕章を取り出す。
本日彼女はドレス姿、懐中?
乳間。
これにはフィオナちゃんの水色の瞳から光彩がスコーンと抜け落ちる、それをノエルは見逃さなかった、フィオナの胸元を見る。
敗けた、しかしこいつに谷はない、荒野仲間だ。
「……目、ドブみたいな色になってンぞ……まぁいいでしょう?これは特別性です、簡単に言えば中に制服のタイが織り込まれていると思いなさい」
差し出された腕章をフィオナが受け取って改めて見ると、リオネッサやギギ同様、黒地に金の刺繍、白銀の縁と赤銅の装飾だけれど、白銀のエングレーブが豪華で目立つ。
白銀とはクオンリィを示している。
文字通り、クオンリィ・ファン・ザイツ直属の証だ。
「フィオナ、クオンを良く助けなさい」
金色の瞳を笑みに細めるヴァネッサのその声はとても優しくて。
どちらかだけにさせない一歩を踏み出せたのだと、運命なんか覆せるのだとフィオナに強く実感させてくれた。
「はいッ!!」
【戦闘BGM】がフェードアウトしていく。
フィオナの頭の中に未だに響き続けている【強制力】を≪前世の記憶≫が弾く音は、まるで万雷の拍手のようだった。
『恋は魔法で愛は呪い』
第三章 END
つづく
ヒロイン、悪役令嬢一味に参画!!
三章は地雷に始まり万雷に終わる章でした。
雷に絶望が襲い掛かる事はもうないでしょう。




