第66話:不愉快ですわ
思えば入学式の朝、彼女に『往来の邪魔』と言われたことが始まりだった。
本当だったらという言い方も適切かはわからないけれど、あそこで【ヒロイン】に注意するのは【攻略対象】ジョシュア・アルファン・サードニクスだった。
それがきっかけとなり、共に学ぶうちに絆を深めてゆく二人だったけれども、そこに立ちはだかるのが今まさに目の前でカノン家の愛犬ラスクを……強いて言うのであれば"乳置き"にして優雅に寛ぐヴァネッサ・アルフ・ノワール様。
そりゃ好きあって婚約している婚約者に女性が近付くというのは、十五歳という年齢を迎え、少女から乙女へと踏み出した年頃ならばちょっと……。
否、かなりの嫉妬を抱く事だろう。
その女は誰ですの?
どうして笑っていますの?
どうしてわたくしに報告がありませんの?
どうして。
だから寮の部屋に実弾送りつけて宣戦布告してから妨害行動に移るのが【悪役令嬢】ヴァネッサ様の風儀。
「は、はい、フィオナ・カノン!王都民です!」
礼を失すれば死ぬ。
ヴァネッサの右手側のソファに移動して鞘をサッシュから引き抜いてから腰を下ろしたクオンリィ、フィオナは知っている、ここはまだ彼女の間合いの内。
「そっ……」
ヴァネッサは名乗り返す事もなくラスクの背中をやんわりと撫でていたけれど、軽く自身の左側のソファに向けて片手のハンドサインを送る。
クオンは右側のはずと思っていたフィオナはそこで初めてコの字に並んだソファの三辺が埋まっていたことを知った、浅葱色の髪に瑪瑙の瞳の少女ノエルがここに居ない訳が無いのに、フィオナは忘れてしまっていた。
(びっくりした……それとも思わされた?【強制力】に≪前世の記憶≫が抜かれた?)
勘ぐり過ぎである。
ノエルはヴァネッサの指示にこくりと頷いてこつん、と座ったまま己の座るソファの足を蹴った。
途端にそれまで聞こえていた街中の喧騒がシンと静まる、おなじみの[音声遮断]魔法である。
「特別でしてよ、クオンがどうしても≪伽藍洞の足音≫で遮断をしろと言うものですから、カノンさん、クオンに感謝なさい」
くすくすと綻ばせる笑顔は、それは年齢相応であって、少し揶揄うように白い仮面の"愛刀"に金色の視線を向けていた。
「あ、ありがとうございます!クオンリィ・ファン・ザイツ様!」
慌ててクオンに向け頭を下げたフィオナだったけれど、反応が無い……空気が重くなった。
垂れる前髪の隙間からちらりとクオンの方に視線をやると、深々と溜息を吐きながら仮面を右手で抑えている、覗く紫とばっちり目が合った。
「クオン?」
ヴァネッサ様の声のトーンが一つ低い。
「わたくしはクオンと呼ぶことを許していると報告を受けましたわよ?」
「――ッはい!いえ!フィオナは平民ですのでヴァネッサ様の御前で改めているのでしょう!ですよね?」
「何の為の[音声遮断]なのやら……」
呆れたように首を左右に振るヴァネッサ様。
(先に言ってよぉ……クオン……)
クオンの評価を下げてしまったようで、フィオナとしては大変心苦しい……しかし、呼びに行った事にする他にこういう事があるなら先に言う事だってでき――。
ふと腰を曲げたままのフィオナとラスクの目があった。
ヴァネッサお胸に埋もれながら、撫でられる手に気持ちよさそうにしてじっとこちらを見つめてくる。
――アイツのせいやで。
(オオォォギュストォォォォ!!)
フィオナの中でオーギュストに対する"紹介してあげるかもね"残弾数が減った、マイナスである。
そんなものは無いけれどフィオナちゃん的にはマイナス100、自分が一発二発の増減で一喜一憂している割にはエグイ裁定が下った。
改めて身を起こし、クオンにいつものように笑いかける。
「あっ!えっと、は、はい……クオン、ありがと」
「ああ、気にしないでいいですよ?」
フィオナはノエル側から一瞬澱んだ何かを感じたけれど
それもすぅっと消えてしまった。
ハイパーぶすくれノエるんである。
大体がノエルは今日のこの場の意味が解らなかったのだ、どこかで時間を作ってジョシュアがどうして今更あんなことを仕掛けてきたのかを話さなければいけないのではないのか?
そう考えていたノエルの予想は相棒の突然の提案で裏切られる事になったのだから。
「ヴァニィ様、美味しいパン屋に昨日ノエるんと行ったのです、昼食はそこにしませんか?」
「あら、愉しみですわね」
「ノエル、馬車の手配を」
とんとん拍子で二日連続の訪問が決まる。
(クオるん……何を考えているの?)
「……はーい」
不審は思うが馬車の中の空間は都合がいい、ノワールの馬車は実はその豪奢な見た目に反してそこらの装甲馬車よりも強力な[魔法防御]がかけられたいわば戦車、そして優美な調度に反して一切絨毯が敷かれていない。
馬車の中は完全にノエルの空間魔法の支配下にすることができる。
「ああそれとノエル?私は昨夜のオッサン戦で消費が激しいので、"断つ"のは任せます」
確定だ、クオンはヴァネッサ様にフィオナを引き合わせるつもりだ。
フィオナに忘れろと言った特殊で行程が多いクオンの[雷属性音声遮断]。
真似をしようとすると確かに無駄なのだけれど完全に自分のものにしたクオンにとってはそこまで魔力の消耗が激しいものではない事は知っている。
この幼馴染達のやり取りの中、
ヴァネッサは頬杖を着きながら思考を巡らせていた。
・昨晩の"ゲーム"を仕掛けたジョッシュの意図。
・クオンがフィオナという少女を気にかける意図。
・眠い。
(結構、虎穴にはいらずんば孤児も生まれまいけれど虎児は可愛いですわね、でもわたくしわんこの方が好きですわ)
そう、ヴァネッサはヴァネッサでジョシュアの様子に異和をちゃんと感じていた、確かに"愛刀"をどうにかしようというのならば最適解かもしれないけれども。
(何を急いでいますの?わたくしはジョシュアのものですのに……)
だらけていては眠ってしまいそうなのでヴァネッサは立ち上がる。
なんだか最近周囲がおかしい。
・ジョシュアは以前より積極的になった、大変結構。
・クオるんは随分視野が広がった、結構。
・ノエるんは逆に視野が狭まった、不安。
・フェルディナンドも何かおかしい、不安。
・レオナウザイ、いつか撃つ。
純粋に【乙女ゲームの悪役令嬢】のまま悪役令嬢ものの世界の流れにあるヴァネッサの中にある感情は一つだ。
(よくわかりませんけれど……)
――……不愉快ですわ。
覆す者、流される者、そして……撃ち砕く者。
『世界の流れ』に変化が生まれようとしていた。
これまで半ば寝てたヴァネッサ・アルフ・ノワール、遂に出撃!
眠いのですもの。
そして次回三章最終回!!
面白いと思っていただけましたら感想や☆大歓迎です!




