第59話:剣聖
最初の一撃から次の流れが生まれるのは速かった。
スッ、スッと重心をほぼブレさせないままに送り足で静かに、それは只の送り足だけれど、地を奔る放電のように迅速。
素早くクオンリィが"剣聖"の撃たれていない側に回り込む。
肩を綺麗に抜かれた"剣聖"、骨に異常はないが衝撃で右腕がうまく上がらない、そこで左腕側に回り込む"抜刀伯の娘"を見て、ヘヘと小さく笑う、剣での対峙に拘るかと。
「お綺麗だな!」
「そりゃどうも……ッ!!私はアンタのおかげでお気に入りのパンツがすっかりダメージ加工ですよ!?」
牽制気味の一閃、これは見えていた、左の剣で軽くいなす。
いなした直後に再び刀閃が奔る、違和を感じた、いつ納めた?速すぎる。
二度、三度、牽制気味の"抜刀術"と言ってもまともに受ければ当たり前のように骨を断つ鋭さのそれをいなしながら"剣聖"は違和感の正体を探った。
(鞘か!?鞘が抜いた剣を引き寄せている!?)
「ぅおッ!?」
その様子を待っていたとばかりの雷電纏う一撃、受けるを見越した≪雷迅≫[雷刀]、父"抜刀伯"なら小細工と斬って捨てよう。
されどその小細工がこの場では効く。
片腕でその一撃を受けきる事がもう既に『"剣聖"ヤベェ』の一言なのだけれど、受けて不覚を悟るのは一瞬。
「キメろ、ノエル!」
「おうさー!!」
べちゃっと剣聖の腰にずぶ濡れの小柄な少女が引っ付く。
「まだまだお濠は冷たいゾ」
ノエルが、がちゃんとひと際大きな足音を響かせると、"剣聖"の視界が反転した。
ここは、空中だ、屋根の高さ。
眼下には"瑪瑙城"の内堀が水を湛えているのが見える。
水とは言えこの高さ、相当なダメージを受けよう、少なくとも今夜中の戦線復帰は不可能だ。
「おいおいおいおい!自爆かよ!!」
「んふー、脱獄できたんだねー?アタシはへーき」
この少女が憶えていた、思い出したことも驚いたけれども、そういえばこの少女の母親は何をした?この少女は何をした!?慌てて元の楼閣の方を見れば、二人の少女がニヤニヤとこちらを見ている。
片腕を胸の下に通して組んでいたヴァネッサが左手で指を鳴らした仕草、そして自由落下の中"剣聖"は一人になる。
「――まぁじかー……」
三対一、油断もあった、だとしても。
彼女達は『剣聖を退ける』事を成した、右腕は動くようになってきたけれど今度は左腕がパチってて使い物にならない、これでは"剣聖大旋回"で逃れる事も不可能であろう。
見事だ。
言葉を呑んで静かに落ちるのもいいけれど、『またね』と手を振ったノエるんが決着をくれるなら、若造みたいに叫ぶのもいい。
「ちっっくしょぉぉぉぉおおぉぉぉ!!!!」
遠く叫ぶ声とタパァ……ンという水音が響いてくるのを楼閣の屋根上で三人並んでニヤニヤ哂って聞いていた。
「ざまぁみろですよ?あーあー、こんなにぼろぼろにしやがって」
改めてベルトに鞘を佩こうとして、留め具は自分で引き千切ったんだったと嘆息、ぴったりとしたデニム風生地のズボンはそこらじゅうが斬撃を受けてダメージ加工され柔肌が覗いている。
無論の事流血しまくって黒い生地はその色を濃くしているし、モッズコート風の外套も片袖が前衛的な振袖となってしまっていた。
それを横目でちらりと見たヴァネッサは、口端を愉し気に上げ、ノエルに軽くハンドサイン。
「それで済んでよかったですわ、まさか"剣聖"様がいらっしゃるなんて……大変だったでしょう?」
「っは!あの程度でなぁにが王国最強ですか?御父様の方が千倍強いですよ?そうですよね?」
「ノエル~?[録音]できたわね?」
「いえす!『あの程度でなぁにが王国最強ですか?御父様の方が千倍強いですよ?』こんな感じ」
「それをどうするつもりですか!?」
「「うふふふ」」
にまにま笑う従姉妹同士、どうするって、当然西部送りだ。
娘だけでなく奥方まで西部を離れ王領に来てしまうなんて寂しがっているに決まっているじゃないか。
そこに愛娘の『剣聖撃破』の報せはきっと嬉しい事だろう。
「まったく、どうして教えてくれませんでしたの?」
「そうだよ、娘のくせに知らなかったとか信じらんなーい」
そう、ジョシュアとの報告合戦は廊下で結構ガチ目の徒手組手になり、気付けば二組の扉の前で"雷神"クラリッサに遭遇する時間切れに至った。
「マ、ママ!!少しだけ!夜明けまでお待ちください!!」
「講師エイヴェルトですよ?バカ娘?」
「ぴぎゃぁ!?」
すっとクオンの肩に添えられた布にくるまれた杖……娘に黒鞘を渡して白鞘を回収してそれで終わりの筈だけれど、なんで持っているんだろう……。
[電流]流されて廊下に倒れ、ビックンビックンしているクオンを見ながらハハハと愛想笑い浮かべながら数歩後退るジョシュア。
「殿下……サードニクスくん?なぜ逃げるのです?」
「え、いえ、もうすぐ三限かなと!!」
「そうですね、ちょっとこっち着なさい」
「急がなければ、ボクは王族の規範を示さなければ」
「そうですね、ちょっとこっち着なさい」
「嫌だッッ!!」
「痛くしませんから」
「嘘だッッ!!!!」
杖?の先端がバチィ!バチィッ!!と雷電を纏っている、絶対痛いやつだ。
ふと見ると、クオンの悲鳴に気付いて様子を見に来たのだろう、二組の扉をうっすら開けて隙間から顔を覗かせたノエルが其処にいる三人娘最終兵器を見て表情も光彩もスコーンと抜け落とした顔で小刻みにプルプル震えていた。
(チャンス!!)
「こ、講師エイヴェルト!そちらに生徒ガランが!」
躊躇なく幼馴染を売ってこの場を離れようとするジョシュアだったけれど……。
「ぴぎゃあ!?」
「逃げるからですよ?誰が『触らないと電流が流れない』と言いましたか?勉強不足ですね、次の授業までに理由をまとめておくこと」
「は、はい」
たしかにクオンにぶち込まれた奴よりは電圧は低かったのかもしれない、ただただ単純に痛かった。
「さて、お久しぶりですね、ノエるんちゃん……」
「はわ……はわわわ……!――ヴァネッサ様ぁぁぁぁ!ぴぎゃあ!?」
三限目の鐘が鳴る。
ノエルの首根っこを掴まえて引き摺りながら教室に入ってゆく講師エイヴェルト、予備知識なしでの"雷神"降臨に二組の生徒は借りてきた猫のように大人しいヴァネッサというレア物に遭遇するのだった。
改めて"瑪瑙城"の三人娘の部屋、まずは汚れた衣服を控えていた侍女に預けてからさっさと三人で体を洗ってしまう、今日は一日本当にいろいろあった……。
ヴァネッサ様は[乾燥]魔法で髪を丁寧に整えて夜着に着替えるとさっさとベッドに潜り込んでしまった。
「えらい目にあいましたね、一本ダメにしてしまいましたし」
「おっちゃん強かったー?」
「じゃなきゃこんな目にあいませんよ……あいたた」
お風呂でも散々傷が沁みると大騒ぎしていたけれど、改めて応接室の椅子に座ってノエルに[回復]魔法をかけて貰っているけれど、ノエルもそんなに得意ではないのでたまに痛い。
それでもクオンリィが自分で[回復]を使うよりはましだ、何せ九割痛い。
明日あたり学院か普通に"瑪瑙城"の医務室を訪れよう。
「……ねえノエル」
「うん?」
「狙いはお前か私か……どう思う」
「"剣聖"ブチ当てられてアタシかもと思うのー?」
「やっぱ私かぁ……」
「不敬キメ過ぎたんじゃない?」
「「それな」」
ヴァネッサにはあまりこの話はしたくない、ジョシュアが好きだと全身で表現するヴァネッサが二人とも好きなのだから。
ケラケラと音は控えめに、笑顔の花が並んでゆれる。
続きになっている寝室では≪這闇≫がベッドのヴァネッサをしばらく見つめてから、すっと消えていった。