第58話:気分ですの
――声がした。
わたくしを呼ぶ声が、多分気のせいなのだろうけれども、ポーカーに興じながらふと窓の外に視線を向けた。
「クオン……?」
「ヴァニィ、どうしたの?」
頬杖をついて余裕ありげな幼馴染の婚約者の黒い瞳を見つめると、優しく細められる、今は二人きりのプライベート。眼鏡をしていないその顔立ちの方が見慣れていて、少しの機微も見逃す筈もない。
(相変わらずイケメンで困りますわ~……でも……あー、何か企んでますわねこれ)
ふむ、と一息、手札を見る。
フォーカード、降りるには惜しい手だけれど……。
――ぺふっ!
左手の指を鳴らし『呼ぶ』。
たちまち室内にずばっしゃーと水と一緒にノエルが現れ、ジョシュアの右の頬が軽くヒクっと攣った。
「ぷっはぁ!ありがと!ヴァニィちゃん!無事?なにもされてない?」
開口一番随分な勢いで、まくし立てるものだから、何もされていないヴァネッサとしては呆れてしまう。
「ノエル?何ですのその恰好は」
床に広がる水から避けるように軽く足を上げつつ見れば随分と水草だらけだ、浅葱の髪に藻が絡んでいるし、お気に入りだと言っていたダボついたズボン、確かクオンと同じサイズとか言っていた。
「えへへ、ぶっかぶかー」
「ブン殴るぞ?それとも斬るか?」
嬉しそうなノエルを横目に、タイトに穿いているクオンリィの頬は引き攣っている、そのぶかぶかの分ノエルの方がお腹周りが細いことを意味しているのだからなかなかの挑発行為だ。
背の高さや発育の問題で仕方が無いのだけれど、同じことをされたらわたくしなら一晩ノエルを犬舎にぶち込みますわね、とヴァネッサはノーコメントで通した。
余談だけれど、以前実験的にクオンを一晩犬舎に放り込んだところ、数日飼育担当の言う事すら聞かなくなってしまったのでヴァネッサが怒られた……理不尽である。
そのぶかぶかズボンをサスペンダーで吊って着るものだから、見ようと思えばおパンツが丸見えになってしまう、一応ノワールの血に連なる従姉妹なのだからもう少し恥じらいをとヴァネッサは思わなくもないけれど可愛い事は可愛い。
水に入る事を想定してなければ。
ズボンの中に潜入して[空間転移]に巻き込まれたと思しき小魚が、ジョシュアの部屋の絨毯の上でぴちぴち刎ねている、レディのズボンの中になんか潜入するからそうなる。
「ヴァ、ヴァニィ?どうしたんだい急に」
狼狽えるジョシュアににこりと微笑みかけるヴァネッサは、ハーフアップに髪を留めていた髪飾りを外して、大事そうにそっとテーブルに置いた、先程まで興じていたポーカーの手札は伏せたまま。
「ノエル達が登城したようですし、お部屋に戻りますわ、また続きをしましょうね?」
≪伽藍洞≫を開かせて呼び出しては『登城』とはとても言えない。
半ば強制召還だという事はジョシュアも知っている、でも、私服でこの[空間転移]忍者が水の中に飛び込むわけがない。
水中では余程頑張らなければ≪伽藍洞の足音≫は発動しづらい。
しかも街中で低い音が響きやすいよう重いブーツの靴底に更に金具まで仕込んでいるからまぁよく沈む、水底までたどり着けば結構簡単に音は響いてくれるから理には叶っているけれど。
(クオンがぺったん娘だから良く沈むなんてゲラゲラ笑ってましたわね、[空間転移]で引きずり込まれてスケキヨってましたけれど)
「あ、ああ……その、手札を」
そっとヴァネッサはテーブルに身を乗り出したジョシュアの額に、しなやかな人差し指を添えた。
指を銃の形にしたヴァネッサが左の金眼を閉じて見せる。
「スリーカード、わたくしの勝ちですわ」
実際の手はより強いフォーカード、でも。
(分断するおいたはここまででしてよ?)
「……ああ」
ジョシュアは手札を確認し、スリーカードとコールされた意味を悟る。
降参だ、と背凭れに身を預けてホールドアップ、今夜のゲームはこれまでだ。
「ノエル、クオンは?」
「屋根にぶん投げたから多分あっちの屋根上!」
びっちゃびっちゃと人の部屋を水だらけにした瑠璃色が一瞬ジョシュアをなかなかいい殺気を込めて睨んだけれど、そこに今は言及するのが惜しいのかヴァネッサを先導するように部屋を出ていく。
「屋根上に投げられたなら屋根上で来ますわね、目的地はわたくしだったのでしょう?」
「さっすが、そゆこと!上に出るよ!」
ノエルが廊下を走る足音で前方に開いた空間の亀裂にその小柄な背中に続いて飛び込むと、楼閣と楼閣を繋ぐ渡りの屋根上、月明かりに照らされて切り結ぶ剣侠の影二つ。
切り結ぶ?一方的だ、その場へ走りながら確認するに双方がヴァネッサの知る人物。
片方は言うまでもない、クオンだ、そして相対しているのは『王家剣術指南役』"剣聖"ニバス卿。
ジョシュアの体術の師匠なので、時折ご挨拶はさせていただいている、粗野な中に優しさと温かさのあるおじさま……その実力こそ言うまでもない。
「ノエル、二人の間に出して」
「……ッ!わかった、気を付けて」
ガチャンと屋根材を蹴飛ばした音が聞こえる、聞こえるという事は目の前の空間が開く、迷わずヴァネッサは飛び込んだ――。
――
「私はクオン!!クオンリィ・ファン・ザイツッ!!――ヴァネッサ・アルフ・ノワールの刀也ッッ!!」
立ち直った愛刀をひっさげて、三人並んで"剣聖"と対峙する。
「はは、いやこれ……参ったな」
力無く笑って双剣構える"剣聖"ニバス、改めて"抜刀伯の娘"が纏った≪雷迅≫から迸る雷はこれまでの比ではない、そしてあの日の決意の切っ掛けとなった娘ノエるん、"西部の黒い華"の側近二人とはそうか、そうであったか。
そして何より……。
双銃構え、ぴたりとこちらに照準を合わせる"西部の黒い華"本人の放つ威圧感、四侯爵家とはこれほどか。
「待てよ、待て待て待て、俺ァそこのザイツ令嬢とヤってたんだ、無粋が過ぎ――」
無粋が過ぎねぇか?その言葉は尋常でない弾速の≪魔弾≫が耳を掠めた事で途切れた、雑に伸ばしていたサイドの髪が消し飛ばされる。
幾度か弟子のジョシュアとの組手は視て≪魔弾≫は知っているつもりだった。
……知ってるつもりに過ぎなかった。
(俺が……反応できねぇだと?)
ヴァネッサの魔弾が変化するのは威力と性質だけではない、当然弾速も我儘である。
ゲームにおいては瞬発瞬着という、まぁゲームならよくある話だけれども、現実は違う。
「"剣聖"様、わたくしは『よくもやってくださいましたわね』と……そう言っておりましてよ?」
「はは、いや、俺も仕事でね?」
「そう、わたくしは気分ですの」
即着の一撃が"剣聖"の肩を貫いた。




