第5話:西部の黒い華
朝の入学式の空に、輝く金色の魔力が彩り豊かにキラキラゆったりと降り注ぐ。
ヴァネッサの足元は射撃の反動で敷き詰められた桜の花弁が綺麗な円形に吹き飛ばされて巻き上がり、降る魔力と折り重なって大講堂前を舞い踊る。新入生を祝福しているかのように見えなくもないけれど、多分違う。
これらはただ一人の令嬢の我儘に色を添えているだけなのだ、携行キャノンの砲身に据え付けられた保持レバーを掴み、魔導器らしく武骨でゴツイ銃床を石畳に置き、片足をかけてすっきりした顔をして澄ましているヴァネッサの為の茶番、そして結果は彼女の思い通りだ。
正式名称『西部東部合同開発第一号試作対物魔法銃』は問題として射撃前に特別な弾丸に魔力を[装填]する必要があり、更に燃費も悪く二、三人の魔力を全力で込めてやっとという……言ってしまえば欠陥品だ。ノワール父娘以外には。
"戦争候"リチャード・アルフ・ノワール現侯爵の魔統は《魔砲》ヴァネッサの魔統は《魔弾》どちらもヴァーミリオン家の《龍》に並ぶ《銃》の魔統であり、つまるところ魔法出力がこちらも規格外なのだ。今聞き捨てならないワードが飛び出したけれどそれはまぁ別の話。
《魔弾》は実にシンプルな魔統で、一言でヴァネッサには装填が必要ない。
魔力弾を思うがままに生成できる「トリガーが軽い人に与えてはいけないタイプ」の魔統である、銃そのもののポテンシャルや撃つ時の気分で多少威力が上下するらしい。
先鋒はクオンリィに任せ、搦め手はノエルに任せているからと言って、ヴァネッサが弱いわけがない。
緩い風は金と桜色に彩られ、黒地に金刺繍の制服と長い黒耀の髪を柔らかく撫でる、西部出身の貴族も平民も何度も凱旋するその姿を見てきた、その姿に憧れて来た、その姿に鼓舞されてきた。
西部方面軍騎士団特務ヴァネッサ小隊「黒い三連星」隊長としてのヴァネッサ・アルフ・ノワール侯爵令嬢。
他の地方出身者とて、軍閥は違えど同じアルファン王国に生きるもの、この黒耀の姫が味方として、或いは将として民を守ってくれると信じられる。
クオンリィは西部方面軍式の敬礼をヴァネッサに送り、それからノエルは再び《伽藍洞の足音[空間転移][空間収納]》を開いた。
割れた収納空間に携行キャノン砲を放り込むヴァネッサ……。
ヴァネッサ・アルフ・ノワールはトリガーが超軽い。
比喩的にも、物理的にも。
観衆の注目をまさに一発の銃声で自分に集中させたヴァネッサは、改めてレオナードに向き直る、相変わらず朱の髪質が女の子みたいにサラサラで、虚勢を張っているのが見え見えの瞳はあっち行ったりこっち行ったりと落ち着きがない。
ヴァーミリオン侯爵家も次代で絶家かと思うと。
――実に、実に、実に、実に実に実に実に実に実に……みっともない。
入学前に聞いた話では一五歳にもなって婚約者の一人もいないという。情けない。さっさと絶家を陛下に申し入れて南部の森林を西部領に寄越せば侯爵様とお母様と三人楽隠居させてあげますわ。などと不満を心に装填すると見下ろす金色の瞳が冷たさを増していく、侯爵家に連なる者が目を逸らすな、子供か、今手元に使える銃があったのならノワール側からの不祥事でいいから《魔弾》撃ちたい。
「ご機嫌麗しゅう、レオナード・ヴァーミリオン様」
ミドルの『アルフ』を省いて呼べるのは家格が同格か格上だけ、そしてヴァネッサは同格の『アルフ』だ、また今後の学院生活においては須くミドルは取り払われる。
ヴァネッサが再び選ばれしものの特殊ムーヴでホントに新入生かと思う豊かな胸の下に腕を通し抱きなおしながら若干涼やか過ぎる声を発すると、騒めいていた周囲が一気にシンと静まり返った。
新入生男子エロ検定のお時間ではあるけれど、ヴァネッサの凛とした立ち姿に女子生徒も目が離せないので今回の検定は中止。
何よりそれ以上に薄く口角を上げて微笑んでいるにもかかわらず、金色の目が全く笑ってないので、纏う威圧感と緊張感が半端ではない。周囲の空気は固唾を飲んで状況を見守るしかないというものに一変した。
約一名ピンク髪が水色の瞳を潤ませ地面に膝をついてヴァネッサに祈りを捧げるように手を組んでいるのには気付いたけれど、ヴァネッサは無視をする、もうクオンリィ並に不規則な少女だと思うことにした。
対するレオナードにとって、ヴァネッサは大本命ではあるが状況は大誤算だった。
絡んだ時点で出てくるのは九割クオンリィ、この読みは正しかった。
妙に要らぬ恥をかいた気はするけれども、結果的にクオンリィを遣り込めることができ、しめしめと思ったところでまさかヴァネッサ自らが庇いに出て来るとは。
ドヤってないでさっさとクオンリィを詰めてしまえばよかったと先に立たない思いに冷や汗が一つ浮かぶ。
ヴァネッサはレオナード本人に思う源泉の如く湧き出る不満は勿論、更にもう一段怒っていた、誰でもなくレオナードのやり方が気に入らない。
今回一番悪かったのは誰か、と誰かに問われたならヴァネッサは真っ先に自分だと答える。
クオンリィに任せっきりで警戒が足らなかった、ノエルを置くなどしてレオナードの射線を予め切っておけば易々と人質になどされなかった。ヴァネッサに射線が通っているならクオンリィは前に出る事を優先する。
後ろを向いて確認なんかしないでもわかる、クオンリィがどんな辛い気持ちでうな垂れているのか。……相棒の頭殴ろうと思ってます。
よくもよくもやってくださいましたわね、よくもよくもよくも、わたくしの愛刀を辱めて苦しめてくれましたわね?……この代償、高くつくと知りなさい……!
ヴァネッサは一瞬だけギラリと金色の瞳を鋭く変化させてから、嵐が凪ぐ様に威圧感を静かに納め、たおやかな笑みを浮かべれば、すうと息を吸ってから『起こり』を悠然と待つ。
「よ「よかったですわ、ご覧になって? 皆様とても驚かれてますわ! レオちゃん!」
春の陽気に歌うかのような声が紡がれて、するりと周囲の人々のその耳に届けられるヴァネッサの声。
「そ「それにしても、相変わらずの素晴らしい魔力……これぞ南部ヴァーミリオンですわね」
ハッキリと聞こえるその声は先程までの緊張感が嘘だったかのような甘い感覚を周囲にふわと広げていった。
そして……先程からよとかそとか入る雑音は誤字ではない。
「ようやくお出ましか、ノワールの女狐よ」「そんな呼び方をするな!」
と、レオナードが悪態吐こうとした『起こり』を同じ音の言葉で『撃ち抜かれ』ているのだ、同時に発言するのではなく狙い澄まして『つま先を撃ち抜く』、しかもほんの僅かのタイミングをずらして被せてくるのでそのずれがレオナードに二の句を継がせない。
魔法でも何でもないし、話術と言えるような高尚なものでもない。
単純な『読み』だけで一方的に己の言い分だけ言ってしまう会話する気など皆無の話し方だ。
レオナードはこの感覚に覚えがあった、いや、たぶんこの世の誰よりも知っている……この世の誰より会話を潰されてきた。
だからこそ、今の万全に近いヴァネッサとこの場で直接やりあいたくはなかった、多少なりと精神的有利を取って逆にこちらが一方的に言える状況を作ることが必要だった。それで言い負かせるかはまた別の話である。
正面切って口喧嘩になるといつもこれにやられてしまうのだ。
ヴァネッサの声ははっきりとした発音、発声で、声質も凛としておりよく通る。
聞く側も通りかかった者も耳に言葉が飛び込んできて一瞬意識をそちらに割かれてしまう。
割かれてしまえば……それで終わりだ。
「さ「さあさあ皆様もご覧になりましたでしょう? レオナード様の魔力の高さは今年入学するわたくし達の世代でも随一、始めの余興は《龍炎》ではなくレオナード様の『魔当て』でしたのよ? [発揚]すらしていないのに素晴らしい出力でした。わたくし達はアルファン王立魔法学院でこの水準の術士と共に学び研鑽する幸運に恵まれたということです」
おもむろに両手を広げてパチリとイタズラめいた表情で片目を閉じ、くるりとゆっくり舞う様に周囲に身体ごと貌を向ければ、その少女から女へとまさに花開く直前の美少女が振り撒く妖艶な色気に周囲からは男女問わずほぅと溜息が漏れる、特に新入生男子どころか引率の父親まで男は己の中の欲を擽られてしまい耳まで真っ赤になっている者もちらほら。
先程の《魔弾》の爆音に何事かとやって来た警備の王領騎士や学院の教師さえも、そこに在る黒くて金色の輝きをまとう姿に声をかけるでもなく、意識を持っていかれた。
ほら、もう一瞬じゃないか、焦れて「先程から一体何を謡っている」と言わんとしたレオナードのその言葉を撃ち抜いて、殊の外高らかに桜の中で謡う、謡う、謡い続ける。レオナードの名を口にするが最早こちらなど見ていない。いけしゃあしゃあと周囲を巻き込み、その美貌を使い虜にした。
なんだかとても懐かしい。だらりと脱力し、瞬きもせず朱の目でヴァネッサの舞台を見上げ続けるレオナード、流石にロウリィはじめ四人の銀朱のショートマントを羽織る少年達は完全に呑まれてはいなかったのだけれど、視線はヴァネッサとレオナードの間を行ったり来たりとせわしなく、時間の問題とレオナードは唇を噛みながら思う。「ふん……だ」と、拗ねた子供のように。
「わたくし達も皆様と同じ新入生の身ですが僭越ながら西部ノワール侯爵家から学友となる皆様にご入学に少々の驚きと、未来への展望、そして祝砲をお贈りさせていただきました。御入学おめでとうございます、共に高めあいましょう!」
ふわりふわりとヴァネッサがダンスでも踊るように身を回し、周囲に金の目を流して謡う、徐々に速度を上げていくと長く艶やかな黒髪と、黒い制服の夜会のドレスを思わせるロングスカートが桜の花弁を巻き込む程度の空気の流れを作って舞い上がり、巻き込まれた花弁はされるがままにヴァネッサの周りでその動きに翻弄されていた。
緩く舞い上がったロングスカートが実は数ヶ所に深いスリットが入ったオーバードで、中は通常制服と同じ長さのスカートに絶対領域まで搭載していることがチラチラと見えて、追加のダメ押し新入生男子エロ検定に脱落者が続出した、ただ、容赦なく向けられる新入生女子からの白眼視も随分と温度が違うもので冷めと呆れというよりは不愉快と咎めが強く、中には完全に睨んでいる者もいる。
それは、「あいつはエロ」ではなくマーク対象の不埒者発見という視線だ、彼らは学生生活の中で授業以外でヴァネッサの一五メートル以内に近づく権利を失った。
彼女達はこの後自主的にヴァネッサだけの派閥を形成していくのだから。
「我らが西部出身の方々はもうご存じでしょうけれど、今宵の夕食時間には遅ればせながら西部出身新入生の壮行会を企画しておりますが……無論皆様のご参加も自由ですわ! ――まあ……西部の威を目の当たりにすることにはなるでしょうがそれはごめんあそばせ?」
形のよい唇を三日月にし自信と確信に満ちた金眼、西部を誇るような言葉とその表情におおと西部出身者達からは勢いが上がる、参加自由と聞いて他三地方と王領の新入生からもわっと歓声が湧いた。
レオナードはすっかり諦観に飲まれてしまった。クオンリィの失態さえノワールの手柄に上書きされる、完全敗北だ。さぞ場には仲の良い令嬢に手を貸す心の広い令息とでも評価されている事だろう。フハ、笑えて来るわ……。
何処までも一方的に、何処までも我儘に、苛烈に暴虐に、威風堂々と気高く咲き誇る。
ヴァネッサ・アルフ・ノワール
社交界に"西部の黒薔薇"と讃え称され、そして無法者には"西部の黒百合"と恐れ称される。
"西部の黒い華"
「わたくしからは以上で御座います……。さぁさ、急ぎませんと本当の入学式が始まってしまいますわよ。また後で、まずは教室でお会いしましょうね?」
本当に一方的に言いたいだけ言ったヴァネッサはまたゆったりと速度を緩めて回るのをやめ、パンパンッと景気良く手を二つ叩いてこの場の解散と大講堂内への移動を促す、我に返った周囲の人々に騒めく声が戻り、人々は再び流れを作り始めた。
ヴァネッサは再び踵を返し、クオンリィとノエルに虚飾無く微笑みかけた。
「今度こそ、行きますわよ」
「「はい!ヴァネッサ様!」」
二人の幼馴染で親友が揃って弾む声を返すと、ヴァネッサは内心でようやくの安堵を得る。
『あなたに恥をかかされる』わたくしなどいません『あなたが窮地の時に共に立たない』わたくしなど在り得ません……軽く手を伸ばし"愛刀"の亜麻色の髪をなでてやる。
西部以外の新入生を壮行会に入れることになったけれども好都合、他地方の猟犬は多いに越したことはない、使えそうなら躾ければいい。
上機嫌のヴァネッサはクオンリィを伴って一般出入口であるこことは別の高位貴族専用の出入り口の方へ歩き出すした……――さぁ三人で共に参りましょう、胸を張って、共に西部方面軍行軍歌など歌って行進してもいいかもしれませんわね。などと鼻歌でメロディの歌い出しを呟いた時、気づいた。
だが、一歩で止まった。
「? ……クオるん? ノエるんは?」
「どっか行きました!」
思わずの疑問に素の口調で問いかければ、首の後ろで束ねた亜麻色が嬉しさに左右に揺れているような表情のクオンリィから即答が返ってきて、ヴァネッサは軽く天を仰いだ。行きますわよとはそういう…………まぁ……すぐ帰ってくるでしょうと考え、「そっ」とだけ返して今度こそ歩き始めた。
あの子はどうせ呼べば跳んでくるのだから。
※お読みいただきありがとうございます。
2020.11.21 加筆修正差し替え。