第36話:気付いてしまった
一年二組の教室前でクオンリィに見送られながら教室へと入って行くヴァネッサ、案の定というか教室の中から一瞬のどよめきと、それから水を打ったような静寂が響いてくる。
さもありなん、何か言えるような気骨のある教師だとしてもヴァネッサ様が歯牙になど掛けるものかよ。
クオンリィも閉ざされた扉の前で頭を垂れた姿勢で少しの間微動だにしなかったけれど、顔を上げ背筋を伸ばして自身の教室の方を見やる。
「私も行かねば、そうですね?」
ぽつりと独り言、鞘を持つ位置を直して、スカートの裾を所在なさげにちょくちょく抑えながらゆったりと歩いてゆく。
(……ま、ウソは言っちゃいねェ……私が近くでフィオナがヴァネッサ様に悪さしねぇか監視する、そもそもアイツがそうすると決まったわけでもねぇ……ノエるんも前線疲れなんですよ?)
ノエルの手前フィオナのクラスでの監視は自分に任せておけと言ったのだけれど、甘かった。
クオンは確かにノエルが危惧する通りの甘さがある少女だった。
とはいえフィオナにヴァネッサへの害意は無く、むしろ助けようとしているのだからその甘さがここで出てくるのはクオンの本能的な直感が働いたのか、それはわからないけれど。
ともあれ扉を見上げ、一息つく、ここから席に着くまでが勝負だ、さっと右手でサイドの髪を耳に掛けるように軽く整えてから扉に手を添えて。
「おはようございます」
授業中の為か閉ざされている一年一組の扉もまたヴァネッサとノエルを見送った二組同様の立派な木製の観音開きで、学院入学前の説明では多少の魔力が無いとビクともしない重さらしいけれども、魔力がある者には軽く押せば開ける事ができる便利な魔導具の一種だ。
少なくとも王立魔法学院に入学するような者は新入生であろうとこれを開けられないものはいない。
「ザ……ザイツ君、君は今一体何時だと」
「クオンリィ・ザイツ、主命により遅参いたしました――いいですか?いいですよね?」
入ってすぐに一番奥の教壇に向かって背筋の伸びた綺麗な礼を一つ、遅刻の理由を"主命"とヴァネッサの影を示す。
主のいないところであっても無礼ではない、むしろヴァネッサはクオンリィとノエルがそうする事をこそ望む。
無論の事ながらクオンリィとノエル以外が『ヴァネッサの主命』を翳すなどという事があったら確実に【黒い三連星】戦の始まりだ、命の保証すらない。
「主……主命……先生教師やって十年になるけど初めて聞く遅刻理由だよ……?」
声を戦慄かせる男性講師はちらと『クラスの最高権力者』であるジョシュア第二王子に救いを求める視線を向けるけれども、当のジョシュアはといえば帯刀幼馴染のその遅刻理由にクツクツと軽く握った拳を口元に添えて笑っているばかり。
彼は今朝婚約者の身に何が起こったのかほぼ正確に理解していた。
(ヴァニィのお寝坊さんにも困ったものだね、ふふ……可愛いなぁ)
――というか、視ていた。
ジョシュア・サードニクスは戦闘ガン振りの西部三人娘の幼馴染として過ごすうちに自身もまた"たしなみ"の域を超えて"体術"・"槍術"・"王領棍術"の功夫を積んだホアチャー系の槍闘士に育った。
構えとか片足立ちである、流石に弁髪にはしていないが長い灰髪は首の後ろで一つに編まれてはいるし、当然のように幾度も行われてきた三人の幼馴染との模擬戦闘ではクオンが毎回「ウルセェゾ」と"ビキッ"ているのであった。
と、ここまでなら普通なのだけれど……普通?普通とはいったい?
ジョシュア・サードニクスは魔法にも天性の才能を併せ持っていた。
王家のみが継承する≪光≫と≪闇≫の魔統、例え王女が婿を取ったとしても、実際は不義の子であったとしても"アルファンの王家"ならば≪光≫か≪闇≫のどちらかの魔統に産まれる。
血に継承される以上の何かが"アルファンの王家"なのだけれどその話は置いておいて。
希少魔統≪灰闇≫は名の通りの闇属性で[音声遮断][気配探知]など密談や暗殺への警戒能力に長けた魔統、欠点は周囲の光を少し吸って薄暗くしてしまう事だけれど……。
――言っただろうッッ!ボクの≪這闇≫は完璧だって!!
ジョシュアは十歳の若さにして既に魔統を≪這闇≫に覚醒していた、這い寄る闇は決して彼女を離さない。
彼女から離れない。
彼女に影がある限り、その闇から彼女を見つめ続ける。
逃がさない。
ヴァネッサの顔が見たくて身体が見たくて髪が見たくて金色の瞳を見つめたくてその頬を舐めるように見たくて着替えが覗きたくてお風呂も見たくて寝顔が見たくて十歳でもう膨らみ始めたお胸が見たくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて会いたくて。
ある日気が付いたら王城"瑪瑙城"の自室にいながら馬車でも10日はかかる"黒耀城"のヴァネッサが視えた、それから毎日毎日毎日毎日彼女の姿を影から追い続けたら声まで聞こえるようになった、なんて幸せな魔法なんだ。最近ではヴァネッサの周辺の暗がりからなら視点を飛ばして彼女が視えるようにすらなった。
「できたッッ![視点変更]!嬉しいね、眼鏡がずり落ちてしまいそうだ!コレだよコレが欲しかったんだ!次は[拡大・縮小]か[念写]魔法の応用で[映像の保存・再生]だな……」
王家に生まれた高い魔力を自室で一人ただ只管練って練って練って練って、王国最高峰の魔術教育を真剣に受け、技術を知識を理論を懸命に吸収し応用する。
全てはただ一人の女の為。
超ド級の覚醒型ストーカーである。
[催眠]や[悪夢]等の強い効果を持つ魔法も覚醒したことで使えるようになったけれど、ジョシュアにとってそんなものはどうでもいいおまけのようなもの。
≪這闇≫の[影視]はジョシュアにとっては[純愛の世界]という愛の魔法だ、他人の影?試したこともないが多分視えるが絶対視ない、魔力の無駄というものだ。
もちろん彼は紳士だ……『不慮の事故』でなければ出来るだけ彼女の寝室は覗か……視ないようにしている。
浴室は湯気で光が拡散してしまうのか影が薄くてよく見えない、まだ研鑽が足らないと言うのか……。
――覚醒している事は誰にも言っていない。
ヴァネッサにもだ、目を潰されかねない。
その程度の自覚はジョシュアにもある。
(……ボクの[純愛の世界]……最高にキモイよね……知られたらヴァニィに嫌われてしまうかもしれない、蔑まれてしまうかもしれない、あの金色の瞳で汚物を眺めるような眼差しで……!それも悪くないか?いけないいけないダメだダメだその扉はまだ早い、せめて結婚してから……ヴァニィが"ボクだけ"になってからだ)
だから、絶対に逃げられないようにしなくてはいけない……邪魔なゴミは全て排除してきた……。
けれど……。
けれども……。
眼鏡の奥の昏い瞳が、愛する婚約者に随って大遅刻かましたおバカちゃんを一瞥する。
教師が戸惑っている隙にさっさと窓際手前の席に座って、いきなり顔を真っ赤にして隣の席のカノンさんに垂直式のゲンコツをガツンとやっている。
一緒に育った、喧嘩もした、笑い合ったこともある、槍と刀を交わした、魔物狩りの訓練では背を預けたすらある、嫌いではない当たり前だ、ボクの幼馴染だ、ヴァニィの"愛刀"だ……。
(ねぇヴァニィ……ボクは気付いたんだよ、気付いてしまったんだ。キミをボクだけのものにするには如何すればいい?キミの邪魔をするゴミを排除すればいい?足らない……それだけじゃ足らないんだ)
ヴァネッサの傍にずっと侍り続け、ヴァネッサの為ならば何でもする、ヴァネッサもそれに応えて侍る事を許し続け、絶対の信頼を寄せる側近。
どこかガランの忍として一線を引く従姉妹のノエルと違い、その信頼に総身を以てなりふり構わず応え助ける……思考する狂犬。
はいてないけどな。
(だから、キミが一番邪魔な親友なんだよ……クオン)
どうやらフィオナは目的達成の為にもう一人救わなければいけないようだ。
ジョシュア・サードニクスは……。
クオンリィ・ザイツの【DEAD END】
けれども、それを今はまだ誰も、気付いていない……――。
『恋は魔法で愛は呪い』
第二章 END
つづく