第35話:昼下がりの優雅
ばりぼりといい感じに焼かれたラスクをクオンが頬張っている、なんでも三番街のパン屋が作ったモノが委託販売されているそうだ。
一口齧ると焼けたバターと生地に練り込まれて一緒に焼かれ、仕上げにもう一度ガーリックバターと共に上に塗られたバジルが香ばしい。
ちょっと匂いは気になるけれども。
「なかなかですわね、クオン、褒めて差し上げますわ」
「はっ!このクオン! 忠 臣 ですから!ですよね?……ね~ぇ?クズ従姉妹……?」
手にしたラスクをひらひらさせて、応接室の床で土下座るノエルを煽る下水、ドブ以下のクズである。
「……っぅ……くっ」
「なにか言ったらどうですかぁ?閉め出してごべんなざいですかぁ?私の心は荒野より広いですからね?いいんですよぉ?顔に"敗けドッグ"って書かせてくれたら食・べ・て・も?」
「あら、懐かしいわね"敗けドッグの刑"……何か勝負でもしていたの?」
「「……いえ」」
いかん、両成敗という名の私刑が始まる。
クオンは小柄なノエルの腕を掴んでグイと無理やり立たせると、定位置に着けと目で告げて顎でヴァネッサの左隣の席を促す、クオンは当然右隣だ。
「食えよ」
「うん、あんがとクオるん」
「ノエるんは後でお金払うんですよ?当たり前でしょう?いいですね?」
「はいはい、ゴチー」
「はした金でみっともないですわよ?クオるん」
「は……」
ヴァネッサにまで言われてしまってはクオンも二の句が継げない、結局精神的ダメージはノエル、金銭的ダメージはクオンリィというこれは痛み分けというところだろうか。
「そういえばクオるん、さっきクソババァ連呼してましたけれど……まさかね、お亡くなりになったのでしょう?」
「そう!そうなんですよぉ!?チャップマンのヤローしくじりやがった……左眼はロストしてましたケド生きてやがったんですよ……ターエ大尉が!」
ガリッとラスクを噛み砕きながらヴァネッサの問いにクオンが応えた、その内容にヴァネッサもノエルも驚きを隠せない。
「そんな……段取りは完璧だったはずでしてよ……!?」
「左眼って……クオるんますますそっくりじゃん……」
二人とも、ノエルはともかくヴァネッサもこの三人の空間で見せる素の表情で「うげ」とげっそりとした表情を見せる。
何気にヴァネッサがぽろっと漏らしてるが大したことではない……いいね?
「そっくりなもんですか!いいですか?私はあんな重量級になった覚えもなるつもりもありません!いいですね?」
「あ、太ってたんだ?」
「でしたら見分けはつきますわね?ふふ」
「若くてピッチピチなのが私!老いぼれてガッサガサなのがクソババァ!一発で見分けがつきますよ!?そうですよね!?」
身内だからと酷い言い草である、なお購買での様子はこうだ。
「デイム、はいよババァ大尉殿ご希望通りの釣銭無しだ、デイム」
「足んないねェ……」
「……は?」
「"戦地支給"だよ、理解るな?"わんわんスタイル大好きっ娘"」
がっつり姪っ子から倍額徴収していた、やっぱりクソババァである。
向こうからしてみればクソガキなのでお互いさまと言ったところ、ノエルは遅れを取り戻さんと両手にラスクを掴んでバリバリ交互に食べている、小動物みたいで可愛いとヴァネッサは金の目を細めて眺めていた。
「そういえばクオン?"新しい猟犬"は使い物になりそうですの?」
「はい、私のクラスのリオネッサ伯爵令嬢を筆頭に親衛隊を編成いたします、有象無象は置いておき忠誠心で選抜いたします」
「そっ……確かアンジ宮中伯の娘でしたわねぇ……『役に立ったら』お父様にお願いして領地でも割譲してくれてやると言うのもいいエサになるでしょうね?……よろしくてよ、躾は任せますわ、ただしジョッシュに少しでも近づこうとしたら斬り捨てなさい、クオン、貴女の一番大事な役目でしてよ?」
「無論、承知です。それで、親衛隊には腕章など下賜するのも良いかと」
「いいんじゃない?どうでも……そうね、黒地に"三人の色"をお入れなさい、ノエル、仕立てておいて」
「はーい!」
ヴァネッサは身内にこそ情に厚いけれど、それ以外の人を人とも見ていない冷徹さを兼ね備えている。
掌中の駒となるなら使ってやる、そうでなければ自身を飾るアクセサリ以下、ジョシュアに近づかない限りは文字通り眼中にすらない……もしもその金眼が照準に捉えたならそれは終焉を意味する。
ヴァネッサ・アルフ・ノワールは純粋なる【悪役令嬢】なのだから。
「他、報告はございますか?」
「「ありません」」
最後の一つのラスクを奪い合いながらクオンとノエルが声を揃えると、ヴァネッサは満足したように頷いて席を立つ。
念の為ホルダーに差したままの妹短銃のトリガーを軽く爪弾いて、軽く[洗浄]の魔法を発動し口中の汚れを消し去るエチケットも忘れない、淑女ですもの。
「では二人とも、行きますわよ……ちゃんとお口は綺麗になさいね?」
「「はい!」」
二人も各々席を立ち、靴音を軽くさせたり、手指で印を結んでそれに従う。
最後のラスクは仲良く半分こしたらしい。
こういった生活魔法はアルファン、特に学院生徒ともなれば幼い頃から皆日常的に使っているのだけれど……。
「……んほぉ!?」
制御をミスったおバカちゃんが口端からパリッている、≪雷迅≫は雷属性の魔統、そのせいで何でもかんでも雷属性になるから元からこういった生活魔法にはなかなか不便を感じるらしい、そもそも口中に[洗浄]とはいえ雷属性魔法を直接発生させるというのは既になかなかエキサイティングな試みだと思うけれども九割方巧くいく。
つまり十回に一回は感電する……ダメですわね。
「もー、横着して直接口の中で発動させるからだよー、ほらしゃがんで、あーんして」
「ぅぅ……昨夜はうまく行ったんですよぉ……ぁーん」
その点ノエルは空間魔法のスペシャリストだ、こうしてクオンのお口洗浄をしてあげるのなんてお手の物、楽し気に笑う様子にヴァネッサもつられて微笑みの花を咲かせる。
「――そうでした!」
「あぶな!指噛まれるかと思った!!」
「どうかしましたの?」
「いえ、そういや感電してて思い出したんですが……軍装のクセで忘れてまして……」
そう言ってクオンはいそいそと二人部屋の方へと移動してゆく。
ちなみに購買でも一回思い出しているが三人分のラスクを買って帰ってくるまでにツルリと脳から抜け落ちた。
「またぁ?昨日も忘れてたんでしょ?いーじゃんもう履かないで過ごしたらー?」
「そうはいきません、いいですか?淑女たるもの何時見られるか判らない……か……ら……」
二人部屋に引っ込んだまま応接室のノエルと話すクオンの声が尻すぼみに弱くなる。
ヴァネッサとノエルは疑問を得てこてりと小首を傾げ、次いで金色と瑠璃色を見合わせてから、様子を見に行くことにした。
「クオン?」
続き部屋の二人部屋を覗き込むと、クローゼットの前で白い下着を顔の前に翳したままクオンが顔を真っ赤にしてわなわなと震えているのが見える。さっさと履けば?
「キ……」
「「キ?」」
直後乙女の大失態に嘆く悲鳴が女子寮周辺に雷鳴の如く鳴り響くのだった。
……
咄嗟にノエルが開いた≪伽藍洞の足音≫で距離を離したのでヴァネッサとノエルの鼓膜は無事だったけれどもまだ少し耳がキーンとなる。
伽藍洞が開くよりもヴァネッサが≪魔弾≫[ヴァニィちゃんナッコォ]で白い下着ごとクオンをぶん殴るほうが速かったので悲鳴の発生源は強制沈黙させられたけれども、残響だけでもなかなかの威力、少し魔力も乗っていたのかもしれない。
「うう……すーすーします」
「罰として今日はそれで過ごしなさいな」
「やーい、おっこられたー、ロングなんだからそうそう見えないって」
頬を染めスカートの裾を業物を手にしたままの左手で抑え難そうに抑えるクオン、鞘をサッシュに差せば抑えやすいし右手を使えばいいのだけれども、いつでも抜くためにクオンは基本的にいつも右手を空けている。
そして抜刀術は『抜く』と言っても鞘使いこそが術理の神髄、今のクオンに「剣士?刀士?」と幼い頃のこだわりのようなものを聞けば「しいて言えば鞘士ですかね?」と普通に聞いたらさっぱり意味不明な回答を得る事ができるだろう。
「なーに今更女子みたいに恥ずかしがってんのさー?朝からずっとそのカッコで購買までダッシュ決めてたんでしょ?」
「購買ダッシュの話は思い出させないでください……いいですか?……いいですね?あと今更もクソも私は女子だコラ」
相当恥ずかしいのか険のある言葉もいまいちキレがない、しかしそうして羞恥に悶える"愛刀"もなかなか興を弾ませてくれる良いものだとヴァネッサは上機嫌に口端を僅か上げて上品に微笑み、二人を左右に従えて堂々と三限授業中の庭園に面した廊下を登校する。
西部侯爵令嬢ヴァネッサとその他二名、前代未聞の学院初日、麗らかな春の昼下がりの優雅であった。
当然大遅刻である。
でもそんなものヴァネッサ様には関係なしッッ!
「いいお天気ですわね、軽いお昼寝が捗りそう」
だってお散歩ついでに椅子に座ってうたた寝しに来ただけですもの。
またすやぁする気満々であった。