第162話:黒耀城防衛戦・悪夢の終り
片足立ちで真っ直ぐな穂先を持つ短槍を脇に挟むように右手に構え、つま先だけで踵を緩く浮かせてリズムをとりつつ、左掌を真っ直ぐクオンリィ・ザイツの姿をした〝策謀〟に突き付けるジョシュア。
伊達に夢の王などと名乗ってはいない、今がどういう状態なのか、夢の中の登場人物たち、夢の主であるヴァネッサよりも俯瞰に近い視点で状況を分析する。
「ふむ……ヴァニィの夢の中、というのも関係があるのかな。……本当にそっくりだね? ……一七、二年後のクオンと軽く手合わせするのも一興かと思ったけれども……もっとも、あの程度のキレじゃ戦力は期待は出来なさそうだね……期待外れもいい所だね。 キミの事は仮に〝介入者〟とでも言っておこうか」
泰然とした余裕の笑みすら浮かべるジョシュア、相対する〝策謀〟は困惑するばかりだ……何しろこんな男は今この瞬間までここにいなかったのだから、唐突過ぎる一瞬の出現、転移魔法ですらない事象だったからだ。
そして語る内容がまた異様であった……二年後? 介入者? 魔王軍四天王が一柱、それも策略を専門とする自身の預かり知らぬ事象だ。
「な、何を……」
「ああ、喋らなくていいよ。――発言を許した覚えはない」
策謀が戸惑いの声を上げるけれど上げるけれど、ぴしゃりと機先を制した。
「ジョシュア! いらして下さったのですわね! ……あら? でも、何処……から? だってジョシュは今……」
一方一目散に怯えるヴァルターの傍に駆け寄り、困惑しつつもぎゅっとその頭を抱き締めるヴァネッサ。
ここにジョシュアが存在する事がまず第一の疑問、だってジョシュアは今桜色の小娘率いる魔王再封印隊として出征中の筈である。つまりここにいる筈が無い……。
もしも、魔王再封印隊がノワールの黒耀城に駆け付けたと言うのならば、ここにはジョシュアだけではなくレオやオーギュストさん、ピンク頭の……ディランさん? あとオマケのフェル義兄さま……あとピンク頭がいる筈だけれど……そんな姿は見当たらない。それになんだか……。
「ンンッ? ……ジョシュ? ちょっと縮みました?」
「いや……そう言うわけでもないんだよ、何と言うか……おいヴァル何してる」
どみゅんと姉パイに顔を埋めながら、「姉さまぁ!」と歓喜の声を上げ顔をぐりぐりと擦り付けるヴァルター。お前シリアスな場面で何やってんだ駄弟。
――エロガキめ、柔らかさを堪能しているんじゃないぞ。それは僕のおっぱいだ。む? そうか、ヴァネッサも二年後か、それは未来の僕のおっぱいだ。
やっぱ消しちまうか……?
それなりに荒い語調は付き合ってきた幼馴染、特に猛犬のせい。肩越しに義弟に視線をやるけれど、ヴァルターに対しては〝夢の王〟として満足のいく結果が得られず、軽く肩を竦めた。
まあそりゃそうだ、〝夢の王〟と言っても今この夢はあくまでもヴァネッサの魂が再生しているモノなのだから。――彼女に近しければ近しいほどに、《這闇》の夢魔法の操作が及び難い、という事なのだろうとジョシュアは推測した。
「ええい! 一人二人増えたくらいなんだというのだ! 知っているぞ! 直接戦闘よりも『索敵』や『感知』『監視』に強い、対暗殺・調略の王家魔統《闇》の継承者だな!?
前衛に向かぬくせに、よくものこのこと……! ものどもかかれっ」
応! と気勢が上がり、クオンリィ・ザイツの姿をした〝策謀〟の後ろに控えていた魔族が一気に押し寄せる! 数で押し切れぬ相手ではない筈だ。
「ふむ、直接戦闘なら容易いと……? 僕はアルファン王国の第二王子、ジョシュア・アルファン・サードニクスだよ? 王国最強の西部方面軍騎士団総帥を継ぐ男だよ? 《伽藍洞の足音》ノエル・ファン・ガランと《雷迅》クオンリィ・ファン・ザイツの対等の幼馴染で、《魔弾》ヴァネッサ・アルフ・ノワールを妻に迎える男だよ?」
両手を使い槍を旋回させる風切り音が速度を上げるたびにジョシュアの周囲に黒い闇が靄のように立ち込める。それにしても口数の多い男である。
「ふおぅぉぉぉぉおおおおおおおお……ッ」
ジョシュアの唇の隙間から肺から空気を出す音が響く、怪鳥音とも言われる呼法だ、これがジョシュアの『制御』シークエンスであった。故に発動する。
この《這闇[識]》の靄に触れずにジョシュアに槍も剣も、矢弾さえも奇襲が届くことは無い、何故なら識られているから。速度、角度、大きさ、クオンリィ・ザイツの記憶がコイツが出たら不意打ちは無理だと教えてくれる。
正々堂々と正面から……〝策謀〟が最も苦手とし、姿を奪った少女が最も得意とするスタンスであった。
「舐められるのは心外、不快、不愉快、腹立たしい、不敬だ、対応するのも実に業腹だけれど……。
まったく、クオンの姿ってのは厄介だな、ヴァニィの目があると無理矢理消せそうにない……ああ、他のゴミはNGだよ? 夢の外へ立ち去りたまえ。フォゥ!」
「え……きえ、きえ……き……え????」
〝策謀〟が隻眼を白黒させる程度に、もはや正々堂々どころではなくなった。
襲い掛かろうとした魔王軍の軍勢は、ジョシュアがただ一瞥をくれた、それだけで忽然と掻き消えてしまったのだ。
最前列が、中衛が、後方の遠距離部隊も、今なお最後尾に合流し、自身の役割に動き出しているはずの姿も、何もかも、装備できるものは装備していた鎧も、多くは西部騎士団から略奪した武器も、忽然と消えてしまった。
残ったのは丁寧に一定間隔で並ぶ燭台の間接照明が作り出す淡い光、窓一つない黒耀城西回廊の一角でザイツ令嬢が第二王子に喧嘩売ってるという光景である。わりとよく見るやつ、左手が異形の鞘に変化している程度だ。
「邪魔だからね、消させて貰った。
けれど……フゥン……そうか、なんとなく理解が深くなって来たよ……ああ、自分の魔法なのにわかってなかったのかって? いや、〝アルファン〟を名乗るこのボクだよ? そんなバカな事があるはずないだろう……君にはわからないのだろうね、夢の中における……存在の『格』のようなものがあるのだろうね」
「な、な……何が起こった……の」
「ン? キミの発言は許していない、口を慎みたまえ」
「まあ、ジョシュったら、相変わらずダラッダラお話が長い上に一方的ですわね、よくわかりませんけれど素敵ですわ!」
「フフッ、ヴァニィ、ダラダラ長いは余計だよ?」
「では普通に長いですわ」
「ハハッ、相変わらず手厳しいね」
煽っているようにも見えるけれど、これでいつものやりとりである。婚約者で名実ともに相思相愛の恋人同士であり、それでいて四歳児の頃から楽しく遊んできた気心の知れた幼馴染同士という積み重ねがあるのだから。
さて、この夢の中という状況、単純なようでいくつかの思惑が入り組んでいる。そこで、一先ず現状の整理をしてしまおう。
まず、ここが何処かという事からだ。一言で言ってしまえば、ここはヴァネッサ・アルフ・ノワールが見ている夢の中である。
日中に『フィオナ昏倒事件』があり、そこでヴァネッサはジョシュアが『夢に潜り込む魔法』を使えるという事を見抜き、協力させた。
そこでヴァネッサは夢の内容までは覚えていないものの、夢を見せたり入り込めるのならば、今夜の夢にジョシュアを呼び出すことは可能と判断、的確に(?)指示をして自室でスヤァした。その夢である。
なお、自室というのは当然女子寮の四階に位置し、クオンとノエルが常時警護する黒い三連星部屋である。そしてジョシュア自身も己の魔法の射程はわかっている……発動の為には要潜入だった……死ぬ。おバカちゃんズは第二王子でも侵入者を嬉々として吊るすだろう。不敬罪がなんぼのもんじゃい。
それはさておき、ジョシュアがヴァネッサに見せようとしていた夢がどんなものだったかというと、流石にこんな〝黒耀城防衛戦〟の悪夢ではない。もっときゃっきゃうふふのイチャコラ天国だ、ノエル? クオン? ヴァルター? 燃える黒耀城? そんなものは予定にない。
この夢は先日クオンリィが見た〝銀朱城防衛戦〟と同質なもの。そしてこの悪夢はもちろんただの夢ではない。
これはフィオナが自身の見た悪夢で感じたように『遥かな過去に起こった現実』であり、『今後彼女たちを待ち受ける破滅』である。
忘れてはならない事に、この世界には【原作ゲーム】が存在する。そしてヴァネッサ達黒い三連星は其処に於いて桜色の少女こと〝封印の聖女〟に対して繰り返す悪行のツケとして破滅……いわゆる『ざまぁ』を受ける運命にある。
それは、何度も何度も何度も何度も繰り返し破滅し続けて来たという事である。
そして、それを今もまた確定させようとしているのが〝介入者〟とジョシュアが呼んだ存在……フィオナが〝世界の流れ〟と呼ぶソレに違いない。
というわけで、そんな〝女子寮潜入中の変態王子〟ジョシュアと〝介入者〟が、ヴァネッサの夢の中で鉢合わせている、というのが現状であった。相互の理解はまた別の話として。
また、見た目の話であれば、ヴァネッサと〝策謀〟クオンは『一七歳』の姿、二人ともなかなかにきゃっぴきゃぴの美少女盛りだ、アルファン王国では成人が一八歳、暗黙にいくつからでも婚約は認められているけれど、大体八つが一つ目の区切り。容姿は立派に女の姿である。おぱーいとか腰つきとか。
対するジョシュアはといえば、夢に潜入を試みている現時点と同じ一四歳、思春期真っ盛り……とはいえ成長著しく、なかなかに好青年の蕾である。ヴァルターに関しては一一歳、これはまだまだ可愛らしい少年である、母譲りの栗色の髪が短く切り揃えられているのはきっとこのヴァネッサの夢の中では軍属して訓練に励んでいる頃という事なのだろう。
閑話休題。
「ま、いいさ――」
ひゅると短槍を旋回させる風切り音。
「――ッ!」
左の肉鞘から素早く半身抜いた刀身で受け流せなければ、膂力に遠心力を乗せた一薙ぎが〝策謀〟の左肩を切り裂いていた。
「ほぉ、今のを躱すか、まぁ、アイツの姿で凌がれる事に本来違和感もないのだろうけれど……うん、確信したよ、キミはクオンを真似ているけれども、クオンじゃない。
ヴァニィ、キミもそう思うだろう?」
「……ッ! ええ、アレはクオるんではありませんわ」
ジョシュアに促されヴァネッサがそう断じた瞬間、〝策謀〟は自身のカタチに揺らぎのようなものを感じた。
夢の主であるヴァネッサが自身を、ここに姿を奪われて顕現したクオンリィ・ザイツを紛い物だとはっきりと断じたのだ。
理由は明確だ、困惑しつつも防いだ抜きかけの刀身を、そのままの勢いで雑に抜き払った。白刃が回廊に設置された照明を照らし返している。
もう十分だ、そんな姿は彼女ではない。死んでしまったんだ、腰の〝魔鞘・雷斬〟に軽く手を添え、ヴァネッサはきつく睫毛を伏せた。
「揺らいだね? 答えは聞いていないよ。
どうしてこんな事で、ッて思っているのだろう、いいだろう教えてあげるよ。あいつは刀を抜き放ったりしないのさ、アホだから。抜き払わない方が次に備えやすいとか言ってね。どう考えたって納刀し直す方が手間だろうにね?」
刀身を晒す事を嫌う風儀こそは本能の領域、記憶の上っ面を奪ってどうにか出来るものでもないし、そんな無駄な動きを普通はするわけがない、故に〝策謀〟は抜き放ち、片手で構えたのだ。
でも、彼女を誰よりも知るヴァネッサがそんなわけがないと確信を持った。夢の世界でそれは存在を不確かにさえしてしまうものだった。
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なっ、何なの? どうして!? これじゃ維持が出来ない! ただの【攻略対象】のクセにィッ!!
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夢の中、ジョシュアは微かに眼前の〝策謀〟から視線をずらして、その瞳に僅かに考え込む色を滲ませた。
「――見つけた」
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はあっ!?
何言ってるの? 兎に角――。
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――
# interference
......FAILURE
――
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どっどどどどどどどうして!? 【介入】が……弾かれる!?
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音成らぬ声が聞こえる――。
正しくは声でもないし、聞こえているわけでも無いのだろう。意志だ、意思が伝わって来る、愛する人の安寧に介入しようという下劣な意思が。ならば――。
――言ったろう、僕が王だ!
短槍の石突で足元を強く叩くと、石と金属を鋭く打ち合わせる音が響いたと同時に、ぶわと意志を持ったような闇が薄く広がっていく。
「こんな夢は終わりにしよう……」
ジョシュアがそう呟くと、ヴァネッサの耳に母の声が届いた。驚くほどに穏やかで、呑気な声色。気付けば煙の臭いもしなければ遠い爆音も聞こえない……。
『ヴァネッサ、何処に居りますの? ノエルちゃんが血相を変えてこちらに飛び込んできましたけれど……どうかいたしまして?』
「……えっ? ご、ご無事ですの……!? 撤退は!?」
『撤……退……? 何を仰ってますのこの子は……』
話が全く噛み合わない、ノエルとは無事合流できたようなのだけれど、リアクションが明らかにおかしい……まるで、戦闘など初めから起こっていなかったのよう……いや、起こっていないのだ……。
他ならぬ、ジョシュアの『闇』の魔力である。
夢とは、不確かで、朧気で、夢を見る本人にすら自由にならない、けれど、限りなく自由でどんな不条理も許容される。時に悪夢を見る事もあるけれど、悪夢かと思いきや次の瞬間には幸せな夢に変わったりもする。
夢の王を自称し、他者に悪夢を見せる事が出来るジョシュアには、その変化さえも自在という事だ。
「ぁ……っ……!? がッ……! から……身体が……っ!!」
その影響は、クオンリィの姿を真似た〝策謀〟にもまた及んでいた……姿のそこかしこに細かい存在の欠けが生じ始めている。それは言ってしまえばブロックノイズのようなもので、その存在が不確かなものになっているのがヴァネッサ達にも伝わった。
「っ……!」
偽者だと理解していても、死別した幼馴染の姿の苦しむ様子に、ヴァネッサが眉尻を下げる。その視界を遮るようにジョシュアが立ち位置を変え、槍を構えた。彼もまた思う所はある。
「バイバイ、クオン……こんなの本意じゃないだろう? 次は普通に戦ろう」
送る言葉、右の脇に槍を挟み、伸ばした左手の先でパキリと指を一つ鳴らせば、介入者に穢されたその姿も影に蝕まれ、叫びも残さず掻き消えていく。
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こんなはずが……!! どうして!? どう――し――――…………。
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介入者の気配も消えた。ふうっ、と一つ大きく息を吐く、肩越しに愛する人に視線をやると、相変わらず弟をぎゅうぎゅう抱き締めて……金色の双眸にもハの字の眉にも惜別の悲しみが宿っていた。
「……ダメだな、僕は……」
――何の為にここまで来た、彼女の笑顔の為に女子寮にまで潜入してあばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば…………!!!!!!!!
――つづく。
※いつもお読みいただきありがとうございます。




