第157話:カエシ
レオナードのあの話が無かったら、西部方面軍騎士団ならば心配はないと嵩を括っていたかもしれない。
ノワール領の片田舎に隣接する、屋敷一軒とたった数間の畑の小領地、それをある日魔族が取り囲んだ。そこはザイツ伯爵領こと、〝ザイツ屋敷〟と呼ばれる、言わずと知れたクオンリィ・ファン・ザイツの生家である。
そして、それはつまり銀朱城防衛戦で愛娘を喪った〝抜刀伯〟ライゼン・ファン・ザイツ及びその妻クラリッサ・ファン・ザイツ夫妻の屋敷という事でもある――。
「〝魔王軍〟……とか言いましたっけ? 軍を名乗る以上はせめてもう少し統制の取れた動きをなさい、範囲調節がずれてしまうでしょう? ほら、お隣の畑もその向こうも焼けてしまったじゃないですか……そうでしょう?」
クラリッサは普段は黒を纏わない、西部方面騎士団の攻性魔術支援隊の長として、誇りを持って西部の大峡谷を思わせる砂色を基調とした軍装を身に纏う。しかしこの時の彼女は……黒い着物を纏っていた。
ふわりと裾が翻ると、紫の双眸が雷光を曳く。
「希少魔統|《落雷》範囲指定時間差連撃式攻性魔法……私の最大火力ですが、私はこちらの呼び名の方が気に入っています」
訥々と語る声は、自らの生み出した雷が天から幾条も立て続けに降り注ぐ雷鳴にほぼかき消される。それでも、続ける。
「愛称は《落雷[雷陣]》……ふふ、私の二つ名〝雷神〟と同じなんですよ? そしてね……………………
降り注いだ雷はザイツ屋敷を囲む魔族を次々吹き飛ばす、しかし、それで終わりではない。丁寧に結われた長い髪を留めた簪がクラリッサの周囲に生まれた電磁に髪と共に舞い踊った。怒髪天を衝くとはまさにこういう事だろう。
「あ な た 達 に 殺 さ れ た 娘 の 魔 統 と も お ん な じ」
雷が、迅る――。
さて、落雷から放電された電流というものは行く先を求めて迸る、それには当然の法則性がある、しかし……法則性を無視、捻じ曲げるのが魔法である。行く先を『範囲内の敵』に歪められた雷電は……魔族の群れに暴威となって連鎖した。それが時間差を置いて何度も……。雷光は鎖となり、網となり、やがて陣の名に相応しい様相を成す、その中に呑み込まれた者に生存の二文字は無い。
これぞ雷神の怒り、娘を喪った母の怒り。
「――オイオイ……屋敷に燃え移ったらドースンのよ……」
咥えた煙管から紫煙くゆらせ、袷に片腕を突っ掛けながら、黒の軍装に鳶を羽織った長身の男、〝抜刀伯〟が屋敷の軒先からふらりと出て来る。酩酊でもしているのか、つっかけ草履の足元が揺らいでいる。
「……また、お酒ですか? 裏手の敵をお願いしましたよ? 終わったんですか?」
「応」
何のことは無いと言わん仕草、腰の差し物の柄頭を煙管の頭でココンと叩く。
「やあ、姫サマから御手紙を頂戴した時は半信半疑だったケド……見事なもんだねえ、ドンピシャでウチに仕掛けて来なすった」
煙管を口に咥え直しながら袷から抜いた腕を袖に戻すと、左腰の白鞘、その鍔元に手を添える
「いつまでもちょイとお転婆な弾丸姫のままかと思えば、なかなかどうして……下がれ、リッサ」
「はい」
《落雷[雷陣]》の効果が消えつつある、範囲外の魔族はあまりの猛威に竦むか逃げ出すばかりの混乱状態であった。
大きな兜飾のついたヘルムを身に着けた、緑色の肌をした人型の魔族が周囲に狼狽えるなと怒鳴りつけているが、ふと無造作に近づいて来る男を見て表情を変える……。
この魔族は、魔王軍四天王から指示を預かって、他の魔族に伝達する立場にあった。、そうすると当然四天王本人と顔を合わせる、毎回格の違いにビクビクしていたのだ。
だから感じる、だから思う、何だコレは。
ヒト? ヒューマン?
本当に……?
魔族?
ヒューマンではあるのか?
本当に!?
本当にあんなものが?
なんて殺気だ〝殺戮〟様みたいだ。
対面した気配がまるで〝絶望〟様だ。
いやいやだったら尚更考えてる場合じゃねぇ!! ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!!
逃げよう…………!!!!
「おいおいおいおい……ダメだダメだダメだ、逃げンな逃げンな……な?」
逃げようとした、その機先を引っ掴み。
頭を左右にゆうっくり傾けて首の柔軟をしながら、ざりざりとつっかけ草履でクラリッサに代わり前に出るライゼン。左の手元でクンと鯉口が切られる。まあ聞けよ、と口上の前を置き。
「オジサンはァな……先に立たねぇ思いっての抱えないようにしてるんだわ……ああ、後悔な? あんなもんあんまり建設的じゃねぇよな!」
バカでもわかるよう。
「オジサンよ、銀朱にバカ娘がいる事…………識ってたンだよなぁあ……見かけた時はピンと来たね、ああ、あのバカ、姫サンと喧嘩しやがったなって」
音も無く、ぬるりと滑らかな動きで刀が抜かれる、ゆっくりと、ゆっくりと。
「ガキの頃ならそりゃあな? 『何してやがる姫の所にとっとと帰れ』って叱りつけてゲンコツくれてやったもんだケドよ……いやあ、もう一七だぜ? マリアの姐さんの手前もあるし、引き下がったらヨ?
なんだ? 〝魔王軍〟っつったか? テメェ等だよ……攻め込まれて銀朱が戦場になったっていうじゃないの……気が気じゃなかったっつーか、飛び出すべきか迷ったっつーか」
白地に金の装飾がされた鞘を片手でぐいと深く帯に差し込み。
「ンで、オジサン、結局飛び出さなかったンだよね――――」
とん、とん、抜いた刀の峰で己の肩を、首元を叩く。
「そしたらよ、死んじまった」
待て、と言われて待ってしまった、正しくは身動き一つとれなかった、それで何が起こったって、酒臭いオッサンが長口上述べながら、差し料抜いてふらふら近づいてきた。もう、その気になればこの手の鋭い爪でオッサンの喉笛くらい余裕で切り裂ける間合いだ。
しかし、動けない。
誰一人だ、誰一人動けない、知性ある魔族が威圧されるなら兎も角……いや、ヒトごときに威圧されるとか普段「魔族に恐怖心なんかないけェの……」とかやってるのだから冗談でもあってはならない。
「……一七だぜ? 親バカ結構よ、隻眼だろうが母譲りで器量もいい、ちょいとバカだが愛嬌もある、何より技量は抜群だ」
知性に乏しい魔獣さえ……ライゼンに畏怖を受けて動きを止める有様……とうとうその片手が震える熊型の魔獣の鼻先さえ撫でた。
「なっさけねえ、姫の為でない戦場に散るようなやわな鍛え方をして何が〝抜刀伯〟だ……なあ?」
ズンと、空気や言葉に重みがあったなら……否、重みがあるとしか思えない。重圧の格が変わった、指一本動かせない、必要か定かでない呼吸さえも怪しい……。鼻先を撫でられていた熊型の魔獣が、力無くぺたんと地面にお尻を落としてしまう姿は少し愛嬌さえある。
「西部ノワールを攻めンならまずはザイツとガランの両翼を崩す、コイツは正しいねエ……。大方俺がリッちゃん(※リチャード侯爵の事)のトコを離れて屋敷に入る機会を伺っての奇襲ってトコか」
上出来上出来、と笑いながら撫でていた鼻先をピンと指で弾く。
「――残念だったのは、ザイツにはな〝ザイツの姫〟を殺られた報復がしてえって連中がわんさといるンだよ……」
鼻先を弾かれた熊型の魔獣の横を通り抜け、指揮官の魔族へとざりざりと草履を鳴らして近づいていくライゼン。
「あ、オジサンは筆頭な? よろしくぅ」
にっと口角を上げた目が笑ってないオッサンの作り笑顔。その背後で熊型の魔獣の頸がドスンと落ちた。
「斬った……??」
思わず上擦った声が魔族の口から洩れた。多分、この偉丈夫が斬った、斬った筈だ。でもいつ? 斬る動きが全く見えなかったのだ。
「お、良かった良かった、やっぱお前さん言葉が通じるな。通じなかったらオジサン独り言ぶつくさ宣ってたことになっちまうトコよ。で、なんだって? 斬ったかって? そらオメェ、抜いて斬らねえワケがねぇだろ――オウどうした、もう間合いだぜ?」
「――――ッ!!」
かかれ。そう言おうとしたのがその魔族の最期となった。
「居に合わば斬る」
もはや恐慌と言って良い状態の魔王軍のザイツ邸奇襲部隊、隊長格はほかにも複数人いたが、先の《落雷[雷陣]》で既に数名が塵と化し、今また一人胴を両断された。
手薄と聞いていた。
将格の手練れが二人とは言え、護衛も全くおらず、使用人も非戦闘員ばかりと聞いていた。
「居に合わざれば……合わせて斬る、単純だろ?」
一歩、一歩、草履の足音が地面を擦るたびに一つと言わず二つ三つの魔族魔獣が下肢を腹を胴を頸を頭を鎧も骨格も断ち割られていく。娘の〝抜刀術〟が、目にも留まらぬ抜刀からの納刀を一拍子で完遂する刀速ならば、別に納刀に拘らない親父の刀速は……もはや人理を超越していた。
手練れがちょっとこれ強すぎるわ、下手すれば侯爵級。生き残った隊長格の魔族が恐れを抱き撤退の判断をしようとした時だった、空間にパキリとヒビが奔った。
「応、御着陣か……さっきオジサン筆頭って言ったな、ありゃ言い過ぎだ――」
硝子窓が割れるように空間が割れて、黒衣が二人、跳び出て来る。
「オジサンは次席、いや、三席かね……どうだい? 最高の〝ズッ友〟を持ったろう……俺の娘は」
「抜刀パパ、お待たせしましたわ……」
「魔王軍四天王ってのは釣れなかったかー、やっぱもう少し兵力配置しとくべきだったんじゃなーい?」
「いいえ、十分ですわ……わたくしは間に合ったのです」
ノエル・ファン・ガラン。
ヴァネッサ・アルフ・ノワール。
〝ザイツ屋敷防衛戦〟参戦。
――ユメの中で、ミライ/カコが変わる。
「報復の時間でしてよ……」
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