第151話:はにかんだ笑顔
「……レオ様?」
思考と動作を停止してしまったレオナードに心配そうに声をかけるのは、いつか、ここではない過去の銀朱城で片腕を失った弓手ナッシュであった。
レオナードには、クオンリィ程に明晰な記憶はない。けれども――――。
「――ッ……なに、大事無いぞ、ナッシュ、キサマこそ腕は大事ないか?」
「は? 腕は……ぴんぴんしておりますが……ぶら下がりますか?」
「いらんッ!」
薄くて、朧げな何かはある。
戦場、強く雷が鳴り響いた。
しかし、その時ばかりは良い予感が無かった。
そも、なぜ稲妻になど吉兆を覚えるのか? 山岳地帯の南部において、稲妻は決して吉兆だけではない。落雷による山火事、共に訪れる豪雨による水害との戦いの先駆けこそが南部を預かるヴァーミリオン家という《龍》なのだから。
そして、レオナードの脳裏にやッッたら残るのだ…………いや、脳裏だけではない。
クオン。
ある日起きたら、唐突に《龍炎》が《龍焔》に覚醒していた、読みは共に『りゅうえん』。父である南部侯爵〝魔龍候〟ギルバート・ヴァーミリオンの保有する希少魔統である、しかし……こんなオプションはついていない。我が《龍焔》は狂暴女の炎精付き! つーかこれクオるんじゃねーか! 真っ裸だぞ服着ろ!!
しかも発動に 必 須 と来た! 必ず出る! 出て来よる!
おかしくないか? 肝心の部分はつんつるてん仕様……はともかく! なんでお前? どうせならヴァニィちゃんであろう!?
なんでよりにもよって――――あいつの笑顔なぞが浮かぶのだ。
笑う顔なんて、子供の頃から何度も何度も見て来た、とはいえ幼児を過ぎて隻眼になってからは、もっぱら勝ち誇ったドヤ顔ばかりだし。少し自分の柔和な顔立ちを自覚した頃からは、ウソ臭い微笑みなんかも浮かべるようにはなった。
そういうのとはまた違う、見た事がないはずの、亜麻色の髪を揺らし、紫色の瞳を少し潤ませたはにかんだ笑顔が、どうして脳裏に浮かぶ……………………そんな表情知らんぞ、誰だお前。
――「ォ様? レオ様!」
困惑した思考に呑まれたレオナードをナッシュの声が我に返す。
「――――ッッあ!? なんっ……でも……何でもない! 些事であるぞナッシュ!」
「レオ様、些事という事は少なからず何かあったという事では?」
ラウンジの喧騒から踵を返して努めて胸を張り部屋へと向かい歩き出すと、すかさずロウリィが続いて歩きながら斬り込んで来る。銀朱戦隊の中でも最も付き合いの長いロウリィは、レオナードの母であるマリア・ヴァーミリオンの傍仕えである女中と当時の竜騎士隊副隊長の息子であった。
レオナードとは半年違いの生まれであり、それこそ西部三華こと黒い三連星が「ぁーぅー」と同じベッドで蠢いていたのと同じと言って良い距離感の仲である。
幼馴染。
しかし男女の違いか……あの三人とは違う、主従としての一線を置いた関係を保ち続けてはいる。
「ええい! 揚げ足をとるな……っ」
でも銀朱城で一緒に育ち、一緒に笑い、一緒に泣いた。それはすなわち……親友のポジション。周りに誰もいなければ……いいや、誰がいても無礼が存在しない。一応ナッシュをはじめとした他の三人も四~五歳には引き合わされた南部重鎮の子息達である。多少レオ様が可愛すぎてケツを狙っていると疑われる愛でかたをしているだけだ、疑いだ、そういうことにしておこう。
だからわかる、この童顔の主はすぐ顔に出るところがある……。
「レオ様……何かお悩みですね? 本日は何度かお一人になりたいとの事でしたが……」
「な、なんでもないっ! そ、それよりデヴィドよ、ノワールの動向は……?」
失言だ、ノワールの動向を聞けばアイツの名が出るというのに……くそっ、大キライだ出しゃばりめ!
今日の休み時間、学院の外周を囲う外壁の回廊部に出た、市街地と逆側のこの辺りは瑪瑙城と魔法学院を囲む濠とその対岸には王都二〇番の番街に数えられない厳密には王都ではない扱いの〝番外地〟が見える。平民以下の流民や貧困層の居住区である。
そんな所で暮らすくらいならば、南部に来れば林業なり炭鉱業なり食い扶持はいくらでもあるというのに、まったく凡俗は愚か者ばかりだ。
「望んでそうしているならば、とやかくは言わんがな」
建築・彫刻の分野であるとか、ショウビジネス、そして流通などの商業に携わるとなれば、やはり王都サードニクスか東部候都アズールを目指すであろう。幸い上水とは言い難いが濠の水は豊かだし、[浄化]等の生活魔法は比較的使える者は多い、案外西部の荒野よりは快適かも知れない。
まあいいさ。本題に入る。
「――来い……《龍焔》……ッ!」
『発揚』はレオナード程の術士ならば一瞬。ぶあと周辺の温度が上がり、空気の流れに羽織る銀朱のマントが裾を躍らせる。ちりちりと空気中の埃が火の粉となって舞うが、その熱がレオナードを焼くことは無い。
イメージするのは同じ《龍焔》の使い手である父侯爵の雄大な焔、最強の火属性魔統……幼い頃から傍で見て来たのだ。そして……あわよくば出て来てくれるなよと祈る。
「……!!!! ……!!??」
右か! 左か!! 発揚を終え必死な顔で見回すレオナード、奴が出現してるのではないか? しかし、ぱっと見その姿はない――。
「やったか??」
ほっとした呟きに答えたのは……ふわりとした意図しない熱気、やってない。
「違うっ!? 上か!!」
見上げれば、脚を揃え腕組をした半竜半人の姿の焔、炎精が高みから見下ろしていた。全裸クオンだ。別に言葉は無いけれど「甘ェよ雑魚」とレオナードの記憶がアイツの声を脳内で再生する。
「ダメか…………ん?」
落胆しつつ魔力を確認すれば、確かにそのムカつく炎精とは一次リンクが確立している、直接接続だ……。待てよ、という事はだ……。
試しに《龍焔[焔投射弾]》の攻性魔術をリンクを通して空に放つと、とても《龍炎》では出力できなかった火力の炎が、まさしく〝龍の息吹〟に匹敵する焔を炎精が放った。
「……………………ぇぇ……」
じっと手を見る。しかし手は何も直接投射していない。試しに空に手を掲げて放てば、焔には僅か紫色やプラズマ化した電光も混じる火力の差はあるけれど、自身でも焔を放つことはできた。
「…………っはあー? はあああああああああっ!?!? ……これ、どっちからでも出せるのか!?」
自分から放つことができる、それは次期魔龍候たる者ならば当たり前だ……、それ以上に遠隔の投射ポイント、それは任意の地点に焔クオンを配置して一人十字砲火も可能になったという事だ。
試しに腕を軽く振ると、ふよふよと焔クオンが意図した場所に移動した。
戦力というなら、これ以上ない。なにせ炎精は術者以外には触れる事も斬る事もできないただの焔の塊なのだ。
一人でコンビネーション攻撃もできれば、ゼロ距離にまとわりつかせて焔が放てるとか強力……凶悪な事この上ない、正面切ってヴァネッサとも戦りあえるだろう。ヴァネッサ戦とか炎精が言うこと聞く気がしないが。
しかし絶対に使えない。恥ずかしすぎる。
回想を終わらせ、朱色の部屋着の襟元を正す。
レオナードが歯がゆく思ったいたところ、情報収集をメインに動いている取り巻きの一人デヴィドから出たのは別の話題であった。
「……はぁ? 〝ご学友〟……だと? ジョシュアのか?? ――ッは! バカバカしい……ッ、そんなものヴァニィちゃんが認めるものかよ」
報告されたのは、鼻で笑い飛ばせる内容だ。まがりなりにも幼馴染で侯爵家嫡男の己さえ学友の扱いは受けていない……ヴァネッサとの関係を考えればレオナードだからこそ指名を受ける筈も無いのだけれど。
「いや待て……それがなぜ……ノワールの動向から報告が上がる……? まさか?」
「……はい、ノワールの伝令がそれを王宮に申請しました」
「ノエルが!? バカな! バカなバカなバカな! 認めたというのか!? ヴァニィちゃんが!! この俺様以外を!! ジョシュアに近しい存在として!!」
足を止め、デヴィドの胸倉に掴みかかるレオナード。
「レオ様、胸倉に手が届いておりません……抱っこしましょうか?」
「っお前は黙っとけェ!!」
掴みかかったは良いが身長差のせいで届いていない。
助け舟を出すロウリィとキレるレオナード、普段はナッシュ達も微笑ましく笑う構図だけれども……レオナードの剣幕が違う。
だから、まずはデヴィドが廊下に跪いた。そして大人しく胸ぐらを掴まれる。報告をする事が、ノワールの動向を探るように命令を受けた自分の最優先の任務だ。
「はっ! 書状にはジョシュア殿下の署名とヴァネッサ嬢の添え書きがございました……ッ!」
「誰だ……ッッ!? 一体何者だ……ッッッッ!?」
「はっ! ――ディラン・フェリ、王都三番街の防具鍛冶と城の通い侍女の一人息子です……」
「平……民…………だと……?」
報告に呆気にとられたような顔を浮かべるレオナード、ありえない、貴族の常識としてありえない。例えば己の取り巻きの四人……ロウリィ、ナッシュ、デヴィド、シゲン。家格で言えば一番低いのは実はロウリィなのだが、それでも男爵家、つまり貴族である。
「何故だ、ジョシュだって理解っている筈だぞ!? 何の接点も無い平民などを王族の〝ご学友〟などにすれば、周囲の貴族が黙っているハズがない…………ッ!!!!」
「ディラン・フェリの幼馴染は、特待生のフィオナ・カノンと言います……そして彼女は……」
――ノワール親衛隊〝白銀〟。
ノワール親衛隊、一年隊長は確かリオネッサとかいう西部の貴族令嬢だが、〝白銀〟はいわば別動隊。親衛隊総隊長である彼女の側近部隊。
〝白銀〟などと、ネーミングでわかるわ、黒地に銀色がパーソナルカラーのクオンリィの直轄だ。
「っっやっっぱりアイツか! やはりアイツが裏にいるかァッ!!!!」
なお〝赤銅〟ならノエル。存在しないが〝黒金〟がヴァネッサ直轄の証である。強いて言うならばクオンリィとノエルの二人が〝黒金〟といえる。
言えばクオンリィの〝魔鞘・雷斬〟が正に黒地に金装飾で、ノエルの〝苦無・空〟も同様だったりする。
ともあれ。
「くそっ! やっぱりオレ様はクオるんが大キライだ!!」
「ィィィッ!!」
急なクシャミ、優雅な淑女ムーヴは幼馴染であり親友、そして主君であるヴァネッサ様から叩き込まれている。
ゆえにできる限り呑み込んで、口元に扇を添える。――あ、扇ねえや、じゃあいいやこれで。
「どしたん? クオるん」
顔を掴み、ぶちまける。
「ヴェクショゥイ!!!!」
「おぎゃああああああああああああああああああ!?!?」
※いつもお読みいただきありがとうございます。




