第15話:たった一回でも
思わぬところで残弾制限付きながらえらい人脈ができてしまった、
236+強とかで画面外から飛んできて一閃でもしてくれるんだろうか。
「ミュリア先生、連れション隊戻りました」
「――ちょッ!クオンさん!!」
「クオンでいいと言ったでしょう、バカですか?人間生理現象に何を繕うものかと思いますが?特に平民には繕うものがあるとも……嗚呼わかったわかった、そう睨むな。ま、貸し一つにしておきましょう」
教室に戻るなり開口一番また教室内を凍り付かせるクオンリィ、そして行きに連行される囚人だったフィオナはやたら元気に物怖じせず学級崩壊の権化を睨んでみせている。
――何 が あ っ た!?
これにはジョシュアも黒の目をめいっぱいに見開いて唖然としている、思わず眼鏡がずり落ちてしまいそうだ。
「クッ……クオン、その、いいのか?髪が……眼帯ちゃんと隠せて……」
「……元々ヴァネッサ様には顔を隠すなと言われてましたから……この方が視界も広いっちゃ広いんで、"入学デビュー"で良いのではないですか?良いですよね?眼鏡落ちますよ?割りますか?」
右目の真上辺りで額が出るほど大きく分けた亜麻色の髪の左側一房を指で摘まみ軽く耳に掛けながら吹っ切れたように笑われてしまっては、それ以上何も言えなくて、恋慕はヴァネッサ一人のものだがクオンにも幼馴染としての親愛は持っているジョシュアの心にチクリと何かが刺さった気がして引き攣った笑みを浮かべていた。
……
懇親の時間ももうすぐ終わりという頃、気が付けばクオンリィを中心とした会話の輪の中にフィオナはいた.
ヴァネッサ派を自称する二人の少女、生粋の西部民リオネッサといつもフィオナの実家にパンを買いに来てくれる王都民のギギ。
そしてクオンリィを『姐さん』と呼ぶマスクをした少女フレイ。
『連れション』前は威圧感もあり話しかけにくかったそうだけれども、戻ってきたクオンリィが「なにか用があったんですか?」と話しかけ、フレイが姐御とか呼ぶ以外は言葉遣いこそ硬いが五人で談笑できるようになってきた。
ふと、傾きかけた日差しがキラリとクオンの額で反射してフィオナの目を差した。
「ふおっ、クオンおでこ眩しい」
打ち下ろしゲンコツがノータイムでフィオナの脳天にズゴンと突き刺さる。
「入学デビューで久々額出してる相手に上等キメてくれますね?殴りますよ?殴られたいんですか?殴らないとは言ってねーゾ……!?」
「ご、ごめんなさい……や、その、眼帯のチェーンが」
とんでもなく痛くて「ふおおぉぉ……」とピンク頭を抱えるフィオナ、光を反射したのは白いデコではなく、眼帯から延びる固定用の繊細な金の鎖であった。
「ああ成程……――結局、ヴァニィちゃんの仰った通りになりましたね」
細い鎖に手をやり、ふっと懐かし気に目を細めるクオン、フレイが両手を頭の上にやってウサギの耳のようにぴこぴこ動かした、ウサギちゃんとはその発音だったから。
「ヴァニィちゃん、っすか?」
「そのウサギではありません、まぁ強ち間違ってもいませんが……。ヴァネッサ様が許したものだけが呼ぶことを許される愛称です、間違っても貴女達がそう呼んではいけませんよ?――特にヴァネッサ様の耳に入ったら……そいつァ私の一線を超えるってことだ」
「お、押忍ッ姐さん!」
慌ててウサギの真似をやめるフレイ、ヴァネッサの事とあってクオンリィの目はすっかり獰猛な光を取り戻していた。リオネッサとギギはヴァネッサの秘密情報とあって興味津々だけれど、青い顔をしたフレイが慌てて二人の肩に手を置いて首をブンブンと左右に振る。
姐御がバイオレンスモードに突入してしまう、斬ると言ったら姐御は斬る、獰猛な光を向けられたものとしてはこの新しい友人たちを守らなければいけない、話を変えなければとフレイなりに必死だった。
(そ、そうだ)
「あ、姐さん!そういやその眼ェどうしたんですか?ご病気ですか?お怪我ですか?」
クオンリィ以外の三人が『何言ってんだこのバカマスク!?』とぎょっと目を見開いてフレイを見やる、それは愛称とかよりよっぽどヤバいネタなのでは。
(((ヴァネッサ様の仰った通りってどういうことですか?とかでよくない?)))
オイオイオイ。死ぬわアイツ。
「ほう、それを聞きますか……いい目の付け所です、聞きたいですか?聞きたいのですね?いいでしょう……あれは私がまだ七歳の頃でした――」
(((今の通るんだ……)))
■◇■
八年前の夏、アルファン王国西部はノワール候領都の"黒耀城"に手練れの賊が侵入した。
賊の標的は先日八歳を迎え、遂に国内外に発表、告示された"第二王子の婚約者"ヴァネッサ・アルフ・ノワールの命。
クオンリィはその賊が放った毒矢と刃からヴァネッサを庇って大怪我をしてしまった。
幼い身で鞘付きの木刀しか携帯していなかったにも拘らずその奮戦ぶりは……敵を討ち果たすのではなく、ヴァネッサとノエルを背に庇い、いくつもの刃を受けてなお倒れることなく賊に立ちはだかったというものだ。
幸いにして賊は全員あっという間に取り押さえられた、襲撃から決着まで三十秒足らずの瞬く間の事件だった。
力尽きて倒れたクオンリィは一時は命も危ぶまれる危篤状態にまで至ったけれど、西部ノワール家の総力を挙げた治療で辛うじて一命は取り留める事はできた。
……しかし意識は戻らず眠り続けて一週間になる。
そして何よりヴァネッサにとって一番の残念は可愛らしい紫の瞳が一つ永遠に喪われてしまったことだ、深みのある紫色は垂れ目がちで柔らかい顔立ちのクオンが日向で笑うとヴァネッサが見惚れてしまうくらい鮮やかに輝いて、それが自身の黒耀の髪を映すとお互いの色を補い合ってくれてとても綺麗なのだ。
右眼は残ったけれど半分になってしまった喪失に変わりはない。
ヴァネッサは試しに訓練場で眼帯で片眼を塞いでみたのだけれど、普段ちょっと戯れに片眼を閉じて『片眼でも余裕ですわ!』なんてはしゃいで的を撃ち抜いていたのがバカバカしくなるほどに全くもって当たらない。
常に片眼とたまに片眼では全く感覚が違う。後衛の銃士であるヴァネッサでそう感じるのだ、前衛の、ましてやザイツの剣は『間合い』を最重視する抜刀術だ……クオンは剣士としてはもう、きっと。
(――あの時わたくしを庇わなければ)
侍らせる主としてそれを思ってはいけない事は侯爵家の、ノワール家の令嬢として大切に大切に、常に護られる環境で八年育てられたヴァネッサにだってわかっている。
それでも外した眼帯を握りながら『目を隠す』のではなく『疵を隠す』為に無骨なこれをすることになるであろう幼馴染を思う。
若干七歳にして伯爵令嬢クオンリィ・ファン・ザイツは疵物になってしまった。
「クオン……」
「姫様、うちのヤツが何か……いや、今まさに不出来してましたね、オレとしたことが育て足りなかった。ご心労かけて申し訳ありません」
涙声のヴァネッサの呟きに応えたのは、全体の気配は飄々とし、雑にポニーテールにまとめた亜麻の髪をした偉丈夫だ。
偉丈夫の言葉に恥じない長身で引き締まった体躯をノワール家を象徴する黒い軍服に包み、黒い鳶を羽織って白地に金細工の装飾をされた業物を手にして訓練場に入ってきたところだった。
「抜刀パパ……」
「はっは、"抜刀伯"でクオるんパパ、だから抜刀パパ?って?いいね?はいよ、ライゼン・ファン・ザイツ、誅滅任務より帰還したよ、姫様」
ヴァネッサを姫と呼び、にっこりと温和に笑う優しいおじさま。
そんな"抜刀伯"ライゼンの姿に稀代の剣豪として名を馳せる武人の面影は無きに等しい。
元は子爵家の三男として生まれ、西部方面軍騎士団に所属する騎士の一人に過ぎなかったのだけれど、その卓越した剣技と数多の戦場で上げた武勲を国王直々に認められ"抜刀伯"の名と伯爵位を賜った映え抜きの剣豪で、クオンリィ・ファン・ザイツの実父である。
そして確かに抜刀伯の剣技は抜群のものだったのだけれど、その才能を見出し側近として重用し続け、国王へと推挙したのは当時西部方面軍騎士団で彼の同期であり莫逆の友、現ノワール侯爵リチャード・アルフ・ノワールその人であった。
武人を自認自負する抜刀伯にとってその恩義と友情は『王家剣術指南役』の座を辞退してでもノワールの軍閥に留まる忠誠を誓うに値する十二分すぎる要素だった。
そして奇しくも主君の息女と同い年の娘が産まれた。
これに抜刀伯は歓喜した、これは運命だ。
己は今でこそ西部方面軍副団長という侯爵の最側近の地位を手に入れたのだけれど、騎士団に入団した当時は年も近かったこともあってそれはたいそう反目しあった、リチャードとは取っ組み合いの喧嘩も何度かしたものだ。
無論の事今生の果てまで主はノワールと誓っている、そんな主家に産まれた姫もまた忠義を尽くす相手に違いない。
しかし……そうは言っても己ももう齢三十を過ぎた、夏に産まれた姫に捧げられる残りの剣はいかほどかと考えていた……しかししかし、しかしだ、既に近しい環境で主家の姫と同年に産まれた愛娘は違う。
幼き日からずっと姫のお供であり姫に侍り続けることができる。
もし産まれたのが息子だったら大変めんどくさい主は「家格が違う、近づけるな」と"抜刀伯"に命じた筈だ、娘で本当に良かった。
ああ"ズッ供"とはなんと素晴らしい運命の娘か……。
その妄執がクオンを作った。物心つくかどうかという頃から徹底的に叩き込まれる姫ヴァネッサへの忠誠、そして敵を斬り捨てる剣技。【悪役令嬢の取り巻き】クオンリィ・ファン・ザイツはこうして育てられたのだ。
なお、野盗団の誅滅作戦中にクオンリィがヴァネッサを庇って重傷を負った報せを受けたライゼン卿は、即時帰還を進言する部下に不要と一喝、見事大義を果たした愛娘を大いに褒め称え、大いに快哉を叫びながら前線に飛び出していき、西部ノワールに抜刀伯在りを大いに賊の冥途の土産に示したという。
――……間違いなくライゼンとクオンは親娘である。
「抜刀パパ、ごめんなさい……クオるんが、クオるん私のせ――」
「ああ……それ以上はいけねぇよ、姫」
ふわりと抱き締めてくれた抜刀パパのお腹は全然柔らかくなくて、でもヴァネッサが昔から知っている、生まれた時から知っている頼りになるお腹だ、むぎゅっと顔を押し付ける様にしてしがみ着いていると心が落ち着いてくる。
「姫様、うちのが不覚を取った、それが全てなんだよ」
優し気に、黒髪をゆっくりと、ゆっくりと撫でるライゼン。
「今後例え百回、千回同じ事があっても百回も千回もクオンリィは姫の前に立ち続ける、他ならないこのオレが立てるなら喜んで立てって、そう教えてきたんだから……」
「……でも」
「例え九百九十九回同じ目にあって怪我をしたりしてもうちのは胸が張れる、でもそれ以上にたった一回でも姫様に届いちまったら……その一回がクオンリィにとっての死に等しいんだ、そう鍛え上げた、だから謝るんじゃなく褒めてやってくれ。そんで恨むなら自分じゃなくてオレにしてくれな?」
顔を押し付けたまま優しく黒髪を撫でられて言葉を貰う、きっと抜刀パパのほうがクオンがあんなことになってつらい筈なのにヴァネッサは思い、抱き着く腕に力を込めた。
「大丈夫、ヤワな鍛え方はしていない……研ぎ澄まされて眼に頼らなくなったうちのをまたいつか傍においてやってくれるかい?」
その言葉にヴァネッサは驚きに顔を上げ、お腹にしがみついたまま、見下ろす抜刀パパの紺色の双眸を見つめる。
クオンの紫紺は抜刀ママ譲りだ。いや今はそれよりも。
待ってほしい。
またいつかと、そう言わなかったか?
それは今は傍に置いてないとでもいう事なのか?明日は?
クオンを傍に置かないとはどういうことだ、傍に置かなかったらクオンが。
(クオるんが傍に居なくなる?――どうしてそんな酷いことを言うの!?)
「いやよ!!抜刀パパ仰ったじゃない!たった一回でもわたくしに届いたらその一回がクオンにとっての終わりって!だったらクオンは終わってない!またでもいつかでもありませんわ!!」
「…………そうか、置き続けてくれるのかい」
"抜刀伯"ライゼンは、金色の瞳を燃えるような意志に染めてこちらに向けてくるヴァネッサを見て、一瞬だけ気圧されそうになる。
「……なんだ、それならうちのは寝惚けてんだろうねえ、行ってやってくれるかい?ついでに明日から訓練は倍だって伝えてくれよ」
愛娘はしっかりと姫の傍に"ズッ供"として侍って来られたのだなと金の瞳が訴える意向を察せば堪らぬ嬉しさを覚え、抱擁を解いてヴァネッサの背をそっと押す。
ヴァネッサは無言で力強く頷き、訓練場を飛び出していった。
抜刀伯はその小さくて大きな背を眩し気に見送りながら、考える。
"ズッ供"たれと鍛え上げはしたけれど、片眼を失ったなどそのままでは巻き藁と一緒。
クオンリィには一度侍従を離れさせ、妻の待つ屋敷のあるザイツ領に連れ帰ってじっくり本格的に鍛えなおす必要があると思っていたのだけれど……。
寝惚けているだけならば叩き起こしてやるだけでいいだろう。
鍛えるだけならば別にノワール領都でもできる事だ。
「さぁて……クラリッサにゃなんて言ったもんか」
ただでさえ年に一度か二度くらいしか屋敷には帰らない愛娘が大怪我をしたと伝え聞き、尋常でないほど心配してザイツ領の屋敷で今かと待っている妻には既につい先ほど『一度しばらく連れ帰る』旨の伝令を出してしまっている
ここでやっぱ連れ帰るの無しと伝令を出したら家令に屋敷を任せ飛んでくることになるのは確実だろう……一体どんな≪雷≫を落とされるやら。
「西部の女は王国一気が強くておっかねぇってのは、今も昔もだねぇ」
……戦場から即帰還しなかったことは伝わっていないといいのだけれど。
抜刀伯は煙管に火を着けて言い訳を考えるのだった。




