第137話:ユメの中へ
ベッドに眠っているフィオナの傍にはスツールに腰掛けたディランが両手でフィオナの左手を掴みながら、「どうしてこんな事に……」「フィオナ、大丈夫だよな?」と声をかけ続けている、お祈りでもしているかの様子であった。少々ウルセェ。
「ジョッシュに伺いましたけれど、クオン……貴女アサイチでフィオナの側頭部にダッシュ掌底ぶち込んだらしいですわね? 貴女の管轄だから別に何をしようと結構ですけど、ジョッシュのお手を煩わせちゃだめよ?」
「ほぁ!? 私ですか!?」
フィオナ寝てんのがなんで緊急招集? と軽く小首を傾げながら黒鞘の笄櫃にリントを差し込んでいたクオンリィは、ヴァネッサからそんな指摘があるとは全く予想しておらず、亜麻の束ね髪を跳ねさせて裏返った声でヴァネッサとジョシュアを交互に見る。
「ブッ飛ばした直後はぴんぴんしてましたよ? 別の要因じゃないんですか? 側頭部狙いに対して、シャラクセェ事に迎え撃つように構えやがったので、顔面狙いに切り替えて空牙はブッ込みましたけれど、小癪にも回し受けで肩に逸らされました。勿論逸らされよーが強引に壁までブッ飛ばしてはやりましたよ!」
「クオるん、ヴァニィちゃんが仰りたいのはやったかどうかでどういう風にぶん殴ったかの事じゃないよー? とりあえずその結果フィオナちゃんがぶっ倒れたらしくてそこのフィオナちゃんの幼馴染くんがジョッシュ殿下にそーだんしたの、おわかり?」
グッ、と右拳を作りにやりと不敵に口の片端を吊り上げてヴァネッサに返すクオンリィに、苦無を《伽藍洞の足音[空間収納]》に仕舞いながらノエルが瑠璃色の半眼向けて、やれやれおバカちゃんめと呆れた声色で応じた。
「はあ? 」
「でも、実際ディランの話では、食堂で食事中に突然倒れたらしい。後から効いたとか《雷迅》を乗せていたんじゃないか?」
「漏らしてまーせーんーっ、美少女相手に浅慮ですよ? 眼鏡たたっ斬ってやろうか?」
「クオるんよくお漏らしするけどね」
漏れてなかったよな? と内心に抱えながらも、茶々を入れる相棒の浅葱色のつむじをノールックでぐりぐりしつつクオンリィは、その視線をディランに向けて「おいボンクラ」と話しかける。
ちなみに《雷迅》はバッチリ乗っていた、むしろ自分から乗せた、突進力と速度強化の[加速]魔法、《雷迅[迅速]》がバッチリ乗っていた、攻性発動ではないにせよ確かに乗っけていたことはここに明記しておく、漏れていたかは本人も思い出せないようだけれど。
「ザイツッ……フィオナが……お前……が?」
「テメェ……まあいい、やってねえっての、まったく筋肉バカはこれだから……《雷迅》乗っけてたンならとっくに腕章が吹っ飛んでますよ」
怒りすら滲むディランの視線には鬱陶しそうに視線交わさず、フィオナに視線を投げてからトントンと指先で自身の左上腕を叩いて見せるクオンリィ、そこに腕章を着けてはいないけれども、シーツの下のフィオナの左腕には確かに腕章がある。
呼び捨ては「クオンリィ」なら兎も角、家名の「ザイツ」は抜刀伯家のものだから、不躾にされると正直やや不愉快で「〝さん〟か〝様〟を付けろやド三下ァ……」ってなものなのだけれど、まあ汚れるのはクソ親父とママ上様の名誉なので我慢が効く、なお「クオン」呼び捨てだったら流石に〝ビキッ〟と来る所存。
とりあえずついでに言えば「お前」呼ばわりはフィオナのブッ飛ばすポイント+1に換算した。コレで四デス。
「ふふっ、わたくしは当然、クオンを信じておりましたわ」
「有難き幸せにございます! ヴァネッサ様!!」
美しき主従愛である、少し釣り上がった黄金色の双眸が優し気に細められ、潤む紫色の単眼と柔らかく交錯する、背景には百合の花でも浮かんだかもしれない、の、だが……。
「………………………………ヴァニィ、キミを医務室に連れて来た途端に〝クオンやっちゃいましたわね〟って呟きながら緊急招集かけたのをボクは聞こえていたよ?」
「まああ! まあああ! イヤですわジョッシュったら! ジョッシュったら! …………あなた キ ル ゾ ー ン に お り ま し て よ」
お水を注すジョッシュの左腕に豊満なものを、左肩にこてりと頭を、鳩尾に妹短銃の銃口を密着させるヴァネッサ。言葉は要らない、要は「余計な事を仰ったら意識を刈り取りますわ」という事、クオン語に訳すと「命が惜しいなら黙れ」であった。
正式な婚約は八歳からだけれど、実質は四歳から交際関係にある、お互いを好き合い続けている幼馴染同士、以心伝心……これはそれ以前の問題だろうか? 咳払いを「ンンッ!」と一つ、示指を鼻梁に這わせて眼鏡を直して首肯を返す。
未来のノワール公爵夫妻の力関係はもう決まっているようだ、お互い幸せそうなので問題はないだろう、《這闇》でちょくちょく覗いてるのがバレたらどうなるか知らんけど。旦那のほうはむしろ「キモイ」と言われたらそれはそれで気持ち良くなれるド変態なのだ……。
その未来は約束された未来のようで、実は狭き道の先に在る――。
それは、今は未だ覆す途中の話。
今は……。
「食堂で何があった? 端折らず話しなさいド三下。フィオナの為です、いいですね?」
「それは…………こないだのvsジェシカ絡みを俺が聞いたんだがはぐらかされて……頼みがあるって言うから聞いてみたら〝課外活動班に入ってくれ〟って話で……」
フィオナの為と前置きがあるなら否やは無く、かといってそこまで内容があるわけでもない、ディランにとっては約束の再認識と今更の「おねがい」を聞いただけだった。
かたや回答を聞きながらサッシュに差した腰の物の柄に軽く左肘をかけるクオンリィはピンク女のアホ面が目に浮かぶ。そりゃあディランを課外活動班に勧誘するって話にはなっていたけれど事前に一言くらい言え、ブッ飛ばすポイント+1。
一人になりたいとか言って、自分が席を外したことは棚にレリゴー。しかし……〝転生者〟云々の話でもないとなると……とアタリを付けながら問う。
「こいつは……なるほどな。――んで、なんて答えたんだ?」
「当然いいぜって答えたよ、そしたらぶっ倒れちまって……」
その回答に小さく舌を打ちながら眉間をぐっと揉み解す。アタリ……《封印》に一歩近づいた事で〝眠った〟という事、つまり今フィオナは『あっち側』にいる可能性が高いなと推察する。銀朱にいるのか? それともよくわからん遺跡か?
「お、その顔は心当たりありー?」
「あり過ぎる程に……な」
「わたくしはぜえんぶ見切りましたわ、先日ぴえんした時の事、つまり怖い夢ですわね」
金色の双眸を楽しげに輝かせて口端を弓に上げるヴァネッサの指摘に、かっと顔が熱くなるのをクオンリィは感じた、ぴえんって、そりゃ泣きましたけれども。
「ぴ、ぴえんは……いや、しましたけれどもぉ……っ! あと怖い夢でもないというよりアレはキッツイ悪夢です!」
三人娘で笑い揶揄い合っていると、優しげな声が差し込まれた、男子だ。
「はははっ! クオンが泣いt「黙れ、眼鏡爆散しろ」「ばーかばーか」」
お前はお呼びではない、すっこんでろ。クオンリィとノエルがインターセプトしてジョシュアを煽るけれど、そこで動いたのはヴァネッサだった。
絡めていた腕を解き、左手にあった妹短銃をくるくるくるっとガンプレイで回してからスカートのスリットの奥に隠したホルダーに納めると、ジョシュアから離れてクオンリィとノエルの傍に立つ。
「ヴァネッサ様……?」
「クオるん、心当たりがあったとして、どうするつもりですの?」
答えがわかっている事を親友に問う悪戯めいた笑みを宿した金色、目の前まで距離を詰めると必然と身長差でやや上目遣いだから、紫色は少し気恥しそうに視線をちらちらあわせては外すを繰り返す。
「ねぇねぇヴァニィちゃん、どゆこと?」
「ふふふ、クオンはわたくしにお願いしたいのよねぇ?」
「えー、珍しい!」
「……っはい、実はお願いしたいこ「いいわ! ゴホービよ」」
決まり、とぽんと胸の前で掌を緩く合わせるヴァネッサ。
「ふふっ、それなら」
くるりと踊るようなターンでジョシュアに向き直って居住まいをヴァネッサが正すと、ヴァネッサを中心に右にクオンリィ、左にノエルが侍った。立ち位置はいつも寸分違わない、いつものフォーメーションである。
「えっと? ヴァニィ?」
さっきから藪からスティックに何しているんだい? と疑問が浮かんだからジョシュアは眼鏡の奥の黒い瞳を不安そうに顰めた。
「怖い夢もきつい夢も夢は夢でしてよ? そこで…………」
腰に細いベルトで留めていた黒い扇子を自然な動きで右手に取り、閉じたままの扇子で真っ直ぐジョシュアを差す。
「――夢ならジョシュアですわ!」
「あー」「なるほど」
「…………ンンッ!!?!!?」
……あれ? ボク、『夢』魔法の話……していたっけ――?
ジョシュアの背筋に、氷柱を放り込まれたかのような緊張感が奔った。基礎のというべき《灰闇》に覚醒したのは物心とイコール、これは多少の差があってもヴァネッサ達と同じだ。
しかしジョシュアが一〇歳で覚醒した《這闇》は違う。ヴァネッサが好きで会いたくて見たくて逢いたくて触れたくて見たくて見たくて擦りたくてハァハァクンカクンカしたくて好きで触れたくて見たくて見守りたくて好きで好きで好きで好きで〝限界突破〟した結果の魔統だ。変質者上等! 嘘みたいだろ、アルファン王国の第二王子様なんだぜコイツ。
さて、ここで《灰闇》について情報を確認してみよう。まずは王家の証でもある《闇》の魔統で、適性がある要素は『感知』と『隠蔽』の系統、つまりはおなじみの[音声遮断]をはじめとして[視覚遮断]や[聴覚遮断]……そう、感覚に対する『隠蔽』である。その他には[敵意感知][潜伏感知]等の『感知』が《灰闇》の主要魔法……。
はい、『夢』を含む『精神』系統は《這闇》からです……。
「ジョッシュー、あ~んた悪夢を見せる魔法使えるでしょー?」
「入学式の日の二組の東部伯爵令嬢……他にも何人かいますね、上級生も含めて……? 後始末が緩いんだよテメェ、ノエるんの諜報網を潜れるとでも思いましたか? バカですか? バカですね?」
「[悪夢]見せる魔法がいけるなら夢への介入もいけますかしら? 詳しくは聞かないで差し上げますから正直に仰ってくださいまし? わたくしクオンにおねだりされてますの」
並ぶ三人がそれぞれの顔で詰める、《魔統》の魔法を開示するなどノエルとクオンリィは最悪無視しても問題はないが……ヴァネッサの一言が特に重い。ジョシュアに回答拒否権は無かった……――。
「……夢へ入ることは……可能だよ……」
「潜った事は?」
低い声でヴァネッサが問い、クオンリィはサッシュから黒鞘を抜いて左手に持ち直す。入れるのかを聞いた時点で入った事があるのかないのかを問う気は無い、「潜った事は?」とは即ち「わたくしたちの夢に入った事はあるのか?」という問いである。そして左手に鞘を持ち直すとは即ち主君への回答如何で抜刀術という事である。
「待て! 待て! 待って! 待ってくれ! [夢潜り]は条件が厳しいんだ!! まずは眠っている所に直接行かなきゃいけない、そして入れるのは一人の夢だけ、更に入っている間は眠りに落ちる! こんなリスキーな条件でキミ達の誰かの夢に入り込む隙があるか!? 入り込ませる愚を犯すかッッ!?」
要は「側近がいるのにヴァネッサの夢に入る余裕があるか?」という事、クオンリィとノエルが「セーフ?」「アウト?」と小声で相談する、両掌を肩の高さに上げて必死に降参の意思を示すジョシュアは、眉をハの字に愛する婚約者に縋る視線を送っている。
「うふふっ、先日のわたくしのお昼寝タイムとか、何度も十分チャンスはありましたわねぇ……ふふふっ。――結構ですわ、潜れるのはジョッシュだけですの?」
「…………他者を送り込む事もできる……と、思う。ただしすまない、試した事が無いんだよ」
ヴァネッサ本人が怒ってないのでセーフ、そしてそんな事をヴァネッサが聞くという事は「わたくし夢に入ってみたいですわ」という事だ、いちいち確認するまでもないから示指を鼻梁に添わせて眼鏡を支えて素直に白状する。
実際の所『他者を他者の夢に送り込む』事は可能だ、《這闇》の使い手としてそれは理解っている、しかし実行したことがない魔法をヴァネッサに使うのは気が引ける、それに……。
横になっている桜色の少女を横目に見やる、ディランが必死の剣幕で訴えた彼女が意識を手放した状況は間違いなく異常だ。医務室に運び込み、常駐医師に診察魔法で状態を確認してもらったけれど生体としては至極正常、しかし少し強めの気付けを嗅がされても起きる事が無かった状況は生理現象ではないという事だ。――その夢は本当に安全か?
そこにヴァネッサを送ることを躊躇うジョシュアの様子、気付いたディランがベッドを挟んだ向かいでスツールから勢い良く立ち上がった。
「試しが要るならオレを使ってくれデンカ! オレが行かなきゃウソだろッッ!!」
けれども。
「嘘で結構、テメェは其処の変質者に対する見張りだ」
再び〝魔鞘・雷斬〟を白銀のサッシュに差し込んで笄櫃から純白の髪飾りを取り出してから、長い亜麻の髪を束ねている組紐をさっと解いて長い髪を下す。
「いいですか? 次があるかも知れないから覚えておけ……〝西部の黒い華〟ヴァネッサ・アルフ・ノワールの露払いは、この〝西部の黒い迅雷〟クオンリィ・ファン・ザイツと――」
「アタシ、〝西部の黒い疾風〟ノエル・ファン・ガランにだけ与えられた栄誉だよ」
リントの笄を唇ではむっと挟んで髪を括りなおし始めたクオンリィの言葉を、息の合ったタイミングで継ぎながら《伽藍洞の足音[視覚妨害]》で、髪を束ね直す姿をディランから隠すノエルが腕組して仁王立ち。
「…………ねえクオるん、これクソダサイから普通に黒いシップウと黒いジンライでいいんじゃないかな……?」
「ノエるんも、ヒトの顔面周りを印象派に加工すんのはやめろ……」
※いつもお読みいただきありがとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。




