第135話:《封印》
そこはいつなのか。
そこはどこなのか。
そこは現実なのか。
夢なのか。
然り、夢の舞台であった場所……。
銀朱の若と白銀の刀が見た夢の中で、黒耀の姫が見世物にされていた台座には何もない、それ以外にも何もない。
ただがらんと広くて円形の台座のみがある。暗闇だけが満ちている空間が在る。
石積みの壁面にはひび割れもあり、死んだように眠る遺跡に、動きが生まれた。
ふわ……一片の花弁が舞い落ちる。
自ら発光して遺跡を柔らかく照らしてながら、ひらひらふわふわ……闇の中を泳いで、しかしそれは時間を逆巻きにしたかのように正確に、台座の中央にぴたりと舞い……降りた。
その瞬間、どくりと大きく脈打つ鳴動、すわ地震かと思えば一度脈打っただけで以降の変化はない、埃がパラパラ落ちる音もしない。本当に揺れたのだろうか? 揺れたのは錯覚だったのかもしれない。
いつのまにか花弁は消え失せており、巨大な門扉を思わせる壁面に一条の薄い緑の色が宿るのだった。
一方、意識をロストしたフィオナは。
よくわからない状況にあった、先程の遺跡もよくわからない状況だから、またと言えばまた、中空に浮いていた。はて[浮遊魔法]なんか使えたかしらん? と思うも浮いてる今でも使い方もわからないしただ浮いてるだけで身動き一つとれない。
星一つなく、月も出ていない、そう、例えば曇天の夜の水面が眼下に広がる。
……の、イメージを感じる、現実感がとんとない。
けれど、ここは? ディラン? どこ?
その水面は学院の外壁から眺めた、王都全体を囲う広く大きな外濠と、学院と瑪瑙城をそれぞれ囲う内堀の合流が湛えていた人口湖を連想する。
けれども、ここは? ディラン? どこ?
やがてその水面が揺らぎ、水の底から桜色の髪に水色の瞳、制式の白基調の学院制服の少女が水面浮かび上がる。
あ……とフィオナは直感した、「わたしだけれどわたしじゃない」と……。
だから問う。
「……あなた……誰?」
水面の〝≠わたし〟がフィオナと同じ声で応える。
「わたしは、あなた」
「ウソよ、だってわたしエラ呼吸なんてできないもの」
「わたし、エラ呼吸なんかしていないわ」
「じゃあなんでそんな水の底から平然と――」
「……沈められたから」
いつの間にか水面の〝≠わたし〟が複数に増えている事に今更気が付いてフィオナはぎょっと息を呑む。なんだこれ……ディランとちょっと甘い雰囲気でイイ気ナマイキになってたものだから「フィオナを懲らしめてやる!」的な作用でも働いたのだろうか? コワインデスケド、割とマジで。
「……」
「……? 聞かないの?」
水中の桃色が揃っておなじ方向に首を傾ぐ、平衡感覚が狂いそうだ……平衡? 平衡とは? いつのまにか昏い水面にぐるりと周囲を取り囲まれている。そんなばかなマン、水面とは正面から背面迄ぐるりと囲むものだろうか? 否? 本当に? 少なくとも表面張力って奴では絶対ないと思う。
単純に水で形成されているだけの面ならば、壁面が足元に在ろうと頭上に在ろうと、ねじれていようと……ねじれ? 縦軸を中心に横軸を回転させている。縦? 横? 何に対しての縦なの? それを問うかと問われれば答えは否で、では聞かないの? とは。
「なにを?」
「どうして私たちが水中にいるのか」
多重。
同時ではないから不気味な残響のように鳴れ渡る、もはや不気味は言うまでも無い、どうしてどうしてどうしてどうして……彼女たちが問うているようで、その実は違う。それはフィオナには理解っている、だから問わない。
「……聞きたく、ないかな」
聞かなくてもわかるんだ、わかってしまう、なぜもへったくれもあるものか。
「助けて」「憎い」「苦しい」「恨めしい」「冷たいよ」
どうして水の中に。
どうしてこんな目に。
決まってる、負けたからだ。
誰に――?
ヴァネッサ・アルフ・ノワール。
ぶわ、と周囲の状況が黒く黒く渦巻く、ノットイコールたちの姿はもう見えない。黒い、黒い中に、わたしは立っている。わたしは負けていないからだ、わたしは戦ってもいないからだ。ははあん、こいつは夢だな? ピンときたけれどほっぺをつねろうに手が動かない、なるほど確かめさせる気は無いようだ。
しかし理解った、ここは……わたしの中だ。確かめる事とかはたくさんあるのに、ヒロインの記録の記憶を持つジェシカとろくに打ち合わせる事も出来ずにここに辿り着いてしまった、という感想をフィオナは抱いていた。
そして、来た。
来た理由は……きっとディランだ。きっとじゃない、間違いない。
だって目の前にいたのだから。
だってかっこいい事をわたしに言ってくれたから。
だって、課外活動班に入ってくれたから。
入ってくれたのは始まりだ、そう、始まりに過ぎない。
この先、何があるのかなんかわからない……。
お助けキャラが張り切り過ぎてディランは何の経験も積めないとか……わたしの場合はもしかしたらクオンが暴れて「もうあいつ一人でよくね?」になってしまったらディランはただ課外活動班に入っただけのモブで、一切成長ができないなんてことがあるかもしれない。
そうしたら《勇者》にディランはきっと目覚めない。
希少魔統|《勇者》は本当に……特別な魔統だ。
《勇者》は属性を持たない。
単体での攻性魔法を持たないからだ、その代わり……――。
「《聖剣》で行く!!」
「併せるぜ!! オーグ!!」
メンバーに続いて『自分がその魔統のように振舞える』、オーギュストの《聖剣》に併せて拳盾の肘に光のブレードを発生させて「じえええぃやッッ!!」とエルボーアッパーで斬り上げる合体技はかっこいいし、キリンの首にだって届きそうだった。
そして、《勇者》は相手の魔統に対してすら問答無用の反撃ができた、ラーニングカウンター、それが《勇者》……繰り出される敵の技を己の技として跳ね返す……唯一無二の[反射]魔法がその性質。クオンリィの《雷迅》も、ヴァネッサの《魔弾》さえ跳ね返す、〝最強の盾〟がディランなのだ。
最強と言う評価もある一方、勿論制限がある、ヒロインをかばわない限り反撃は発動しないのだ。《雷迅》がヒロインに襲い掛かる時、《魔弾》がヒロインに襲い掛かる時、魔物がヒロインを襲う時、『護る者の危機に勇者は立つ』そういう魔統。
魔法なのかこれ、とは思うけれど、ヒロインをかばうとなれば行動順さえ無視して飛んでくるから『時間』『空間』辺りなのかもしれない、『空間』は希少でも使い手がいるけれど『時間』だったら完全に遺失魔性だ。ちょっとすごいじゃん。
「こんにちは、わたし」
唐突に耳に飛び込んできた声は、また自分の声、でも単体。正面に制服の上に白いブレストアーマーなんか着けている〝≠わたし〟がいた、腰に妙に装飾華美な鞘に入った剣を提げている……鞘の内のままでもそれが剣だと理解るのは、もうこの不思議空間ならある事だと思おう。
「わたしがわたしの意思でまた話せるなんて思わなかった、なんかスッゴイ若返ってるし! ここにいるって事は、わたしは一七歳か一八歳くらいだものね? 私もそのくらいになるのかな?」
「一五です……もうすぐ一六」
「うっそ……オーギュスト堅物だったでしょ?」
「オーギュスト? さん?」
そうか、剣の〝≠わたし〟ということは、もしかしてとフィオナは思う。だからここは攻める事にした。
「わたしもしかしてフローレンス?」
「えっ怖い、なんでわかるの????」
水色の目をカッ開いてフローレンスが後ずさる、後ずさりながらもしっかり鞘から剣を抜き払い右手の中に収め、自然体で構えを取っているのは流石だった。
「や……私のトコにいるジェシカが……あなたのトコのジェシカで」
「ジェシー!? ジェシーは助かったの!? わたしカタキ討て……あれ? ちょっと待って? あれ? いや、ヴァネッサは報いは受けたんだけれど……勝手にヒロインムーヴでお亡くなりだったというか……あれ??」
左手で額を抑えるフローレンス、記憶が混乱している様子にフィオナのほうが顎を上げて相変わらず暗闇の虚空を見つめてしまう、ジェシカの言ったとおりのアホの子だ。こーいうのって、なんか出てきた側って超越者的なムーヴを見せてくれるもんじゃないのだろうか?
「そりゃ生きてるし、死なせるつもりもないけど……わたしまだ入学して初めの試験前だよ……あと、オーギュストさんとはお話しする程度だし、彼はクオンの事が好きみたい、出るトコ間違ってない?」
予想した通り、〝ルート〟によってヒロインが違うのだと、確信する……それどころか先程現れた大量の〝≠わたし〟は悪役令嬢に敗れたヒロインたちの姿だ、一体何人いるんだか……。
しかしそれならば、今のこの場はオーギュストルートのフローレンスが出てくるタイミングではない筈、ここで出るべきはディランルートの恋敵、お前じゃない帰れと言外に告げながら、シッシッと手の甲で払う動作をするフィオナ、いつの間にか手も動くみたいだ。
「はあああああああああ!? クオン!? クオン・ザイツ!? オーグの浮気者おおおおおおッッッ!!!! 良い事教えてあげる!! クオン・ザイツは失踪……して……あれ? 死んだっけ? 死んだはず、レオ君が遺品を持って来たから……」
「わたしにその気が無いから浮気じゃない気がするけど……失踪したら死ぬのね……まあ、失踪しないと思うケド」
少なくとも、フィオナの知るクオンリィは『自分が学院を去る事がヴァネッサの死に繋がる』と知っている、だから……たとえヴァネッサ様に失望されても失意を得るほどヤワじゃない。ヴァネッサが死ぬかもしれない選択肢を受け容れる筈がないと思う。しかし失踪までで本人がどうなるかはジェシカも知らなかったしフィオナの《前世の記憶》でもその辺が不明だった、この情報は収穫だろうか? 本人に「失踪したら死ぬんだって」って言ったところで「そうか死ね」とブッ飛ばされる気しかしない、フィオナはそっと心に仕舞っておこうと誓うのだった。
「え、フィオナってリアクション薄くない? 人が死んじゃうのよ?」
「あー、まあ元々ある程度死ぬのは知ってるし、ジェシカで慣れた」
なんなら剣鬼モードのクオンとは文字通りの死闘を演じる事になる事もフィオナは知っている、いや再現する気は無いけれど。
「慣れたって、ジェシー生きてるんじゃなかったの!?」
「話せば長いけど生きてるけどよく死ぬ系」
「あの子に一体何があったの!?」
「フローレンスのが良く知ってると思うケド……」
だってアレはおたくの世界が産地ですから。つか何でわたし精神世界でビックリ仰天される側やってるんだろう……逆じゃね? ふつう逆だよね?
「というかフローレンスは何しに出てきたの? まさかわたしピカタに毒が入ってて死にましたとかそういうわけじゃないんでしょう?」
「ああ! そう、それ!」
くるっと身体を回してビッス! と剣を持ったまま両手の人差し指を伸ばしてフィオナを指さすフローレンス。私こんな動きしねーしとフィオナの目が半眼になる。
「オーギュストの《封印》かと思ったけれど……違うの?」
「なんかさらっと重要情報っぽいけど……まあやっぱりかな、違うよ、ディランの筈」
「あー……ファウナかあ……じゃあ私とはまた今度かな……でも……《封印》はとかせないよ。じゃあね」
意味深な笑みを浮かべ、剣の切先を突き付けるフローレンス、何言ってんの? としか思えなくて、はあ? とフィオナは訝し気に返した。
――世界が変わる。
至る所で破壊の音が響く王都サードニクス、すぐ近くに大砲が着弾したのかフィオナが感じたのは轟音と爆風、そして――。
粉塵の中、冷たい水色の〝≠フィオナ〟が佇む。
涙もとうに枯れ果てた……理解る、アレはすべて失ったわたしだ。フローレンスによれば確かファウナとか言ったか。
彼女の傍には誰もいない、誰もいないけれども……その左手にあるのは、傷だらけの盾手甲。それはディランの装備だ。
着慣れている感のある学院の制服、少しだけ短めのスカートから覗く大腿が眩しい。そしてよく見ると白いニーハイではなく白い魔導外骨格が脚を覆っている…………魔導外骨格? なんだそれは、古代遺跡で稀に出会う事があるという魔導人形、ゴーレムのものだと最初に思うべき事じゃないのか? フィオナは疑問を持った。
〝≠フィオナ〟が紡ぐ。
「わたしは、あなた」
「わたしは、あなたじゃない」
フィオナは否定の応えを返す。ここはバトルフィールド、フィオナの耳に【決戦BGM1】が鳴り響いている。戦え、倒せ、〝≠フィオナ〟を、そういう事なのだろう。
どうしてサードニクスが戦火に呑まれているのか、考えるまでもない……ファウナは敗者だ、どんな負け方をどこでしたのかわからない、けれど……王都がこうなる未来はバッドエンドに他ならない。ディランはどうなったのか……聞きたくもない。負けやがったのだファウナは。
「〝人形使い〟ファウナ」
えっ……? 名乗りに疑問が深まる。
文献で知っている、〝人形使い〟太古の遺失技術じゃないか。魔導人形を繰り戦わせる……何千年も前に失伝したものだ。魔導外骨格といい……技術が古すぎる。「……まさか」フィオナがそう思ううちに[魔導人形]が次々とファウナの傍に降り立つ、そう、次々と……。長い脚の関節口からごしゅーと排気する群れはばっちり武装している。
「え、ちょっ……あなたって本当にわたし!?」
「自分で違うって言ったじゃない! ディランの《封印》……渡さない!!」
ファウナが気勢を発すると、彼女の脚が変形し脛からつま先にブレードが展開され、場の緊張が一気に高まった。魔導人形たちの内部機構が甲高い音を立て、いくつもの機械の瞳が光を宿してフィオナを射抜く。やべぇ、負けやがったにしてもフィオナがタイマンで勝てる相手じゃない。
その時一発の銃声が響いた――。
「な、なに!?」
一瞬ファウナの攻撃かとぎゅっと目をつぶったフィオナの耳に、困惑したファウナの声が届く。
一体何が? 二つのピンク頭が困惑に周囲を見回すとそれに答えるのは崩れ落ちる人形、頭部を消し飛ばされた人形の一体だった――。
そして、地響き上げて倒れた人形のその向こう側から、戦火のサードニクスを悠然と歩いて近づいて来る三つの黒い影。
「ねえ、わたくしの愛刀が困ってますの」
黒耀の髪が優雅に笑った。手にした短銃をくるくると手元で回し、上機嫌に歩いて来る。
「や……困ってるって程じゃ……ないです、お手を煩わせるほどでは」
少し気まずそうにその右隣りで黒鞘の業物を携えた亜麻色の髪が続く。
「でもわたくしに頼ったでしょう? クオン」
振り仰ぐ金の瞳はどこか嬉しそう。
「しっかしフィオナちゃんも、えらい悪夢見てるねー」
浅葱の髪が足元の瓦礫を蹴り飛ばしながら周囲を見回した。
「そうですね――おいフィオナ! そいつら……殺りゃいいのか?」
黒い三連星、フィオナの夢に介入であった。
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