第130話:知っている
――フィオナ・カノンは知っている。
ヒロインと悪役令嬢がトレードオフの関係であるという事を。
自分が《封印》の魔統に目覚めなければ、復活した魔王を再封印する事が出来ずに世界の未来が閉ざされる事を。
ヴァネッサの尾を踏み牙を剥かせてしまえば、残弾式だなんてうそぶいて、世迷言に等しい世界滅亡論に耳を貸してくれた友達が不幸になる事を。
――ジェシカ・レイモンドは知っていた。
悪役令嬢が世界の滅亡に関わらず自分を殺す未来を。
愛するフェルディナンドへのこの想いが報われない未来を。
ヴァネッサが国を傾ける、傾国である未来を。
――フィオナ・カノンは知っている……。
ディランは攻略済みという事を。
《前世の記憶》がシナリオ方面でどうにも役に立たないという事を……。あれ? ディラン攻略で改変したのがもしかして原因……? 知らない、知らない。
――ヴァネッサ・ノワールは我儘である。
世界の流れ? 運命? 知った事ではありませんわ。
――クオンリィ・ザイツは知った。
絶望しないだけでは、大切なものも自分も助からない事。
やっぱレオのことが好きという事。
《雷神》の使い方が起きたらさっぱり理解らなくなった事。
このクソ恥ずかしい淫夢はすっとこどっこいが原因である事。ブッ飛ばす。
――レオナード・ヴァーミリオンは知らない。
何故魔統《龍焔》を使うと全裸のミニ幼馴染が炎精として召喚されるのかを。
嫌い合っている幼馴染が自分に向ける思慕を。
――フィオナ・カノンは知らない。
朝イチで教室の壁に叩き付けられるほどぶん殴られる事を。
「空牙ッッ!!!!」
「ぐっはあぁああぁあぁあ!?」
今フィオナちゃんは三回くらいキリモミ回転しました、友達相手にひどくないですか?
フィオナは回転の中考える、しかしクオンリィがハードな悪夢を見てしかも夢の中であふんあふんした事をフィオナは知らない……ゆえにお前の悪夢は一〇八まであるぞ、煩悩の数だドスケベちょろ子め、と言えるハズもない。なぜ助走つき掌底突きこと空牙を出合頭にぶち込まれて生身でバレルロールを決めさせられているのか?
解せぬ。
「あ、姐御……流石にやり過ぎなんじゃァ……」
慌てた様子でマスク姿の少女フレイがクオンリィと壁をずりずり落ちるフィオナを交互に見やる。
「おや? いつも仲良く舎弟二号バカマスクと愛称で呼び合う仲の二人なのは知っていましたけれど、お前 は 優しいですね? フレイ」
「や、やさ! そんなそんな! 恐縮っス!!」
白いマスクで鼻先まで口元が覆われていてもわかる程、見る見るうちに首元や耳たぶまで紅潮して謙遜するフレイはなんだか小動物みたいで可愛いなとクオンリィも紫の単眼を柔らかく細めて……。
「――はぅ」
「えっ!?」
その場で腰砕けにぺちゃりと座り込んだ、軽く伸びたクオンリィの右手がフレイの髪を緩く撫でたからである。「スゲェ、何だ今の技」「鳩尾に一発、オレじゃなかったら見逃しちゃうね」「髪撫でただけじゃなかったのかよ、流石だな」などクラスメイト共が好き勝手にどよめく。けれども、鳩尾に一発なんざクオンリィ本人も見逃している。
「ふ、フレイ……大丈夫か?」
所在無さげに右手を中空で泳がせるクオンリィ、「わたしの心配が先では?」などというたわ言が聞こえる以上ヤツァ大丈夫、なあにこれから片手吊り上げアイアンクローの狼牙と引き込み肘打ち上げの骸牙までぶち込む予定なのでフィオナが頑丈で本当に良かった。
そんな事よりも今は教室の床にへちゃり込んでしまったフレイが心配だと意識を其方に向けると、うるうると潤んだフレイのまんまるまなこが目に入って、クオンリィもまた紫を丸くした。その直後――。
二組の浅葱色の頭がピクリと反応した。
「……」
「ノエるん、如何しましたの?」
「んー、なーんでもなーい」
隣の席で超珍しく朝のホームルームから出席しているヴァネッサが問うとなんだか間延びしたお返事を返すノエル。
勿論一限は魔法学です、『制御』だけの講師の筈がいつの間にかコマ数を増やしていた。
その原因は西部の三惨華こと黒い三連星が、行く先々で何かぶっ壊してはその修理請求で「私はチョキしか出しません」と宣誓させられたバカ娘が、修理じゃんけんで敗け続けるからだ。一言で金である。
さて修理じゃんけんって何だよというのは過去話のどこかにありますという話として、ノエルはのんびり朗らかでよく笑っているけれど、実際ノエルが笑うのはヴァネッサ、クオンリィと行動を共にしている時くらい、その瑠璃色の双眸はまさに彼女の魔統《伽藍洞》のように深く、ぶっちゃけ笑っていない。そして見分けは極めてつきにくい。
それでも従姉妹の目から笑みが消えた事を見逃すヴァネッサではない、黒に金が飾る制服のポケットからいつもの扇子を取り出すと、ふわり開いて口元を隠した。
「クオるんに何かありましたの……?」
そっと声を潜めて問いかければ、ノエるんの伽藍洞がぐりん! と首ごとヴァネッサのほうに向いた、それだけで十分だ。
あー、なんかありましたわねぇ……なんてヴァネッサは金の瞳を天井に向けるのであった、またぶすくれノエるんにならなければいいのだけれど――。
一方。
「ちょっ、フレイ? 離しなさい? いいですね?」
感極まったフレイに腰に抱き着かれてクオンリィも困惑顔である、こんなもん正直蹴りとばしゃいい話なのだけれど、流石にこうまで慕ってくれてノワール親衛隊白銀直属章を与えているフレイをブッ飛ばすのも少々気が引けるのだ。フィオナ? ヤツは特別な存在だからです。
「ぐすっ……でもぉ! アタシ嬉しくてえ!!」
「この間から随分淋しがりですね……ったく、わーったわーかった、離さねぇと腕章没収すっぞ」
この応えにフレイは目を剥いて慌てて離れる、素早く跳び上がる様に立ち上がるのと直立不動に腰の後ろで手を組むのはほぼ同時であった。
「押忍ッッ!! 失礼しました!!」
「応」
「良かったねえバカマスク」
「おうよ!」
「待てフィオナ……お前は何ナチュラルに復帰してナチュラルに席に着いてやがりますか?」
右手を鉤爪のように力強く開き軽く脇を開いて左肩が前に出る姿勢で腰の高さをやや下げるクオンリィ……ガチじゃん、目がマジじゃん、なんか静電気もパリってるじゃん。
「えっと、クオン? その……聞きたいのはこっちって言うか、オハヨのオのタイミングで掌底されるなんて流石に身に覚えが……??」
「その割にはしっかり回し受けしやがったな……?」
「んんっ!」
安定の墓穴である、フィオナちゃんピンチ。
計ってないからわからないけれど、一年最速を誇ると思われるクオンリィの空牙を、一体全体どうしてピンク頭のアホの子が回し受けに成功したのか、そのからくりはこうだ。
朝の一年一組、今朝はちょっと汗ばむくらいの陽気で、衣替えの待ちきれない男子などはとっととジャケットを脱いで自分の席に置いて長袖のシャツにネクタイとラフなスタイルを晒している者が大半だった。
男らしい腕を女子に見せつけてワンチャン狙うべく無駄に力を込めてやや動きがカクついてる男子もいるけれど、そんな中に「ちょっとお前反則だろ」という男子がいる。ディランだ。
シャツの袖をマスターロールでまくり上げれば何でお前ふくらはぎが腕に付いてるの? と問いたくなるようなバルクの前腕が空気にさらされ、タイを緩め首元のボタンを外すだけで、ワイルドな顔立ちも相まって、濃厚な雄フェロモンであった。「フェリ君有りじゃない?」離れた席の女子集団が囁けば、男子の舌打ちがこだまする。
「おーっす、フィオナ、宿題写させてくれ」
「またあ? しょーがないなー。アンタちゃんと寝てないでしょ?」
「へへ、オーグと宿題やろうって事で集まったんだけどさ」
「またどうせ朝まで武稽古でしょ、んっとにもー、怪我は?」
「大丈夫だって、いつもの事だ」
「どうせ腕痛いんでしょ、稽古で木剣使うならアンタも手甲つければいいのに……ほら、痛いとこ出して」
――おいおいおいおいおいおいおいおい。
我々は何を見せられているのだろうか? 有りと言った女子も「ちっ、イチャイチャしやがって。もげろ」と毒づいていらっしゃる、多分西部出身の女子だ。
「ざーす」
そこに登場したクオンリィ、鬼さんこちら、フィオナのほうへ。クラスにいた男女生徒のしっとのおんねんを期待に変えて――。
その時、激しいドラムとギターサウンドがフィオナの耳に届いた!
膝裏で椅子を蹴って立ちあがり、クオンリィを正面で迎える。肩幅に開いた両脚はつま先をわずか内向きの内股に、へその下を意識して力を入れつつ、上体は焼きたてのバタートーストみたいに外はカリッと中はフワッと、頭ン天辺から真っ直ぐ固いバゲットを身体の芯に通す。
最後は脇を締め、軽く拳を握った手首をきゃぴっと反せばディランの構えを見様見真似したフィオナちゃん立ちの完成。はい、可愛い。呼ッ。
「三戦立ちじゃねぇか」
ディランがぼそりと呟いたけれど、フィオナにリアクションを返す余裕はない、見えた!【攻撃範囲】。
まさに彼女の魔統《雷迅》が如き迅速に乗ってスカートを翻し亜麻色の髪がたなびいて紫の右眼が妖しく光る……。サッシュに差さないで魔鞘・雷斬左手持ちしてるけどコレ《雷迅》発動してない?
【攻撃範囲】の狙いは顔面! 顔面!? きゃぴった腕を円の動き、クオンリィの右掌底を左の手首で受け流すように……。
猛犬中尉の突進力と速度がフィオナちゃんのにわか回し受けの速度をぶち抜き、顔面は逃したものの右肩に掌底を吸い込ませた。
「空牙ッッ!!!!」
「ぐっはあぁああぁあぁあ!?」
というわけだ。
《前世の記憶》の【戦闘BGM】と【攻撃範囲】が無ければフィオナちゃんは座ったまま真横から掌底を頭部に喰らっていたことだろう。
クオンリィは友達だけれどたった一つのルールで敵になる。
ヴァネッサに弓を引けばクオンリィは相手が誰であれ斬るのだから。
【好感度センサー】とシナリオの話は共有したけれど……フィオナはそれ以外の《前世の記憶》の能力、特に戦闘系をクオンリィと共有していない。
当然手の内は明かすべきだと思う、しかしまだその時じゃない……フィオナが応えに困っているとクオンリィの方から打ち切ってきたのだった。
「まあ、いいです……」
まだ何かある事はわかっている事です、と付け足してクオンリィはどっかと自分の席に座る。
これにはフィオナが意外を得て水色を丸くした、なんだかちょっと元気が無いような? いやまあアサイチで掌底キメてくるのは元気が無いとは言わないけれども。
「クオン、どうかしたの?」
気遣う様にうかがう声とそんなフィオナの表情を見て、チッと舌打ちを一つ返すクオンリィ。悪夢の内容はまだ相棒とさえ相談できていない案件であった。
※いつもお読みくださってありがとうございます。
第五章開幕でございます。




