第127話:銀朱城防衛戦・煉獄・2
白面を脱ぎ捨てて、眉間に深く皺を刻んだ剣呑の紫紺で敵を射抜く。
巨漢の首元には傷ついた痛ましい首級が髪を紐代わりに首飾りとなって飾られていて……ほんの数日前の苦渋を思い起こさせた。
「応! 一ツ目娘か! 逢えて嬉しいぜェ、テレンスレッタのババァが使い物にならなくなるまで良くもやってくれたじゃねぇか!! おかげで俺ァやりたいように暴れられるけれどもよ!!」
「仕留め損ないましたか……私も逢いたかったですよぉ……テメェこそ汚ェ指はくっ付いたみてぇですねぇ? その飾り方は腹に据えかねますけれど、持って来たなら好都合、その首級は返して貰います……ついでに大将首も置いて逝けやデカブツゥ」
策謀のテレンスレッタとクオンリィの戦いに割って入ったギルバート侯爵は、妻の姿をした策謀を庇い、恐ろしい剣幕で紫紺を輝かせる娘を何とか止めようとした。つい先日妻から「レオちゃんのお嫁さんにと思うの」と言われたのは、目の前の息子の幼馴染で自らも馴染みのあるザイツ抜刀伯の娘であったのに一体何があったら妻に襲い掛かるというのか。
父親に似て多少血の気が多いけれど、妻にはよく懐いていたし、別に反対するものではない、将来的に≪龍≫の男子と≪雷≫の魔統を継ぐ子を生さねばならないので一体都合何人産むことになるのか、母体は大丈夫かという王国貴族らしい心配があるくらいであった。
しかし嫁のあまりの猛攻にもはや怪我をさせるのもやむなしと≪龍焔≫を放つ瞬間に、妻だったものがこの世のものではない邪悪な笑みを浮かべたことに気付かなければ……危ないところであった。
息子の嫁は真っ二つに切り裂かれていただろう。
果たして、庇う為に割って入った鋼の筋肉が長大な蛮刀を巌となりてドズンと受け止め、その隙に妻だったものは嫁の手で身体を上下二つに別たれた。
「ちい! テレンスレッタ! 転移で退けッ!! なんだこいつ……何だこの体ァ!! 術士じゃねぇのか!?」
「侯爵……さま……ッ!!」
策謀の転移魔法による暴虐の奇襲。策謀本人の戦線離脱と引き換えにギルバート侯爵は致命傷を受ける事となった……[保護]は無いにしても[障壁]を全て割られた、なんという暴力か。
「なんたる不覚……この期に及ぶまで謀られていたか……ッ」
全身の筋肉を収縮させ体にめり込んだ人二人分の目方はありそうな巨大な蛮刀を離さず身体から焔を昇らせる、この娘ともっと話す機会があればこんな不覚はとらなかっただろう、それも敵の策謀か。
幸いにして民の避難は進んでいる、取って返しこの巨漢に刃を振るう嫁には多産の体力の心配はいらなそうだなと口端に笑みが浮かんだ。だが、潮時だ。
「二ノ丸まで退けィ! クオン!!」
「しかしっ!!」
妻の仇をあと一歩討ち漏らした苦渋に柔和な顔を歪ませる義娘は、何としてもここで自身の仇にもなろう巨漢を討ち果たすつもりだろう、もしやもあれば、既に巨漢の指数本を斬り落としたこの女傑ならばそれも成せよう……。
しかし、成した先は疲弊した上で既に雪崩れ込んだ魔王軍の只中だ、ゴブリンやオークの姿も見える……生き残ろうと無事には済むまい。
「義父の願いを聞け!! レオナードを新妻が迎えずして誰が迎えるのだ!?」
他家の者に知られているのもどうかとは思うが、ノワールのお転婆三人娘は銀朱城の抜け道に精通している、今ならば十分撤退も可能だ。勢いに任せて義父などと柄にもない事を言ってしまったが……。
「侯爵様……ギルバートお義父様……ッッ!! ――御免ッッ!!」
「ぬうああ!! 一ツ目娘ェ!! おい逃がすな! そいつは嬲ってコロス!!」
もはやこれまでである事、そして最善は何か、軍人として義父すら身代わりに退く屈辱は、凌辱の羞恥にも勝る、奥歯が砕けそうになるほど噛み締めながらクオンリィは背を向けて一目散に走り出したのだった。
「嬲るとはパパとして聞き捨てならんなァ!!」
ギルバートの放つ焔の壁が二枚、真っ直ぐとクオンリィの退路を護る様に立ち上がる。
「くたばり損ないが!!」
「これしきなぁ! お義父様と呼ばれた我が胸の焔には未だ届かぬ!! 義娘が退路を護る、私は確かに火力しか取り柄の無い情けない侯爵だが……ここを通したらあの世で妻に叱られるわ!!」
「しゃああらくせえええええ!!!!」
「ふん……羨ましいかよ……」
焔に導かれた抜け道を抜けた後、轟轟と燃え盛る四ノ丸を呆然と見守るしかなかった、炎が治まる深夜にひっそりと抜け出して戻ったけれど、そこには侯爵のマントを留めていた飾緒が辛うじて残るばかりだった。今その飾緒はレオの胸元に輝いている。
二つの仇とヴァーミリオンの名誉、同時に得る機会が向こうからやって来た。
レオにゃ悪いが、ここで私が斬る。
「クッハ! いいねェ、剣気溌溂と言ったところじゃねぇか……だが忘れたのかい? テメェが不覚を取らなきゃコイツは死ななかった! また庇われてキャンキャンケツまくりてぇのかァ!? 指のお礼にぶっ壊れるまで玩具にしてからテメェもオッサンの仲間に入れてやる!! 覚悟しなァ……」
「発想に品がねぇんですよ下衆野郎、今更そんなモンで私が狼狽えるかよ……私を玩具にしていいのはレオだけです!!」
――なあ、視ているんだろう? 私/オレ。
「じいいいえいやああああああぁぁッッ!!!!」
女の出す声ではない裂帛の気合、かつてない充実した剣で攻め立てる。
振りかぶればその二の腕から脇の下を斬る。
振り下ろせば身を翻しながら脇腹から大腿を斬る。
横薙ぎを見れば間合いを跳んで離し、振り抜いた膝を斬る。
しかしデカい相手、刀閃がその頸に届かない……。
ならば届く迄、斬るだけだ……!
――ここから見るのは、結末だ、終わった未来だ。
血の泡が歯を食いしばった唇から零れる、無遠慮に握り潰される右肘がイッた……不覚、やはり刀身は鞘に戻すべきであったか、ぬかるんだ地面に取り落とした刀が刺さる。
けれど、吊り上げられたここなら届く!
髪を留めていた笄を空いた左手で引き抜いて、暴虐のその首に突き立てる、笄とは思えぬほどの鋭さで深々と空の王者の角が突き刺さり、確かな手応えをクオンリィに返してくれた。
ぐうおと巨獣が吼えながら片膝を着き、もののついでと腕を掴んだ小娘の身体をまさしく玩具にかんしゃくを起こすように地面に叩きつけた、腕を掴まれていたはずなのに身体が泥の上を二度三度と跳ねて転がる。意識を吹っ飛ばしそうな激痛は腹をぶん殴られた時から絶え間なく襲ってくる……隻眼に隻腕とは何てザマだ、笑えないけれど、諦めるもんか。
「ノエル……今です……」
半ば無意識に呟いた、暴虐の頭上に≪伽藍洞≫は割れないし、奴を穿つ≪魔弾≫もない。けれどクオンリィのぼやけた視界にそれは見える、次に自分がどう動くのかだって視える。
「……ああ、そうですね」
心が離れる事なんか、無いんだ……。腰から魔鞘を抜き、左手で杖代わりにして無理矢理に身を起こす、生まれてからずっと、ずっと一緒だった、居るのが当たり前すぎる三人……レオと一緒に謝りに行かないと。
「ぐおああ……コイツっ……!」
地響きを上げ泥を跳ね上げ、とどめを刺さんとドシンドシン一歩、一歩と歩み寄る巨体、散々斬ったダメージは無いわけじゃないらしい。その向こうに、何やらひでぇツラでこっちへ叫ぶロウリィが見えた……丁度良い、私の刀を拾っておくれ、投げればいい……鞘はある。
「私のママ、雷神って呼ばれてるんですよ…………」
飛来した刀身をごく自然に鯉口で鞘内に受け止める事ができる、こんな曲芸めいた事、ヴァニィもビックリするでしょうね、流石に勢い任せで鍔が高らかに鳴るのはエレガントじゃないですけど。
理解る、とはこういう事か、だからそうする。雷迅、転じて。
「……迸れ……≪雷神≫」
轟雷が、文字通りに渦巻いた、ぬかるんだ地面から一瞬で水分が蒸発してもうもうと煙る中央、魂を燃やす雷電が立つ、喪った腕の代わりに電光が腕のような形を成している。
「私としたことがヴァニィよりお寝坊さんだ……遅ェ覚醒めです……」
「なん……なんだァ……ソイツは……」
「目ン玉かっぽじってよぉく見な……テメェの冥途の土産だよ」
紫電、迸る。
実体を喪った魂燃やす腕に、間合いは無用。振り抜く抜刀術一閃、暴虐の身体を逆袈裟に刹那の紫雷が迅り。
「――――!!!!!」
断末魔さえ轟雷の音と光の柱に呑み込んだ。
「魔王軍四天王、暴虐……討ち取ったり……――あ、目えかっぽじったら見えねぇか……締まりませんね? そうでしょう?」
――続く。
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