第126話:銀朱城防衛戦・煉獄・1
「昨夜はお楽しみでしたか? 若奥様」
へらへらと軽い調子で茜のドレスを雪風に靡かせる前線指揮官に話しかけたロウリィであったけれど、刹那の後に前線指揮官の親指が鯉口を戻した鍔を軽くチンと爪弾く。
すると、はら……とロウリィの前髪がパッツンカットされ、その上軽く赤い線まで走っていた、額を薄く斬ったのだ。
「ロウリィ……なかなかアバンギャルドな髪形ですね? ――品が無いんですよ……頭蓋割られてェか?」
「ち、血ッ!? 斬れてる!? ナッシュ!」
「……レオ様と良い仲になったって言ってもお前相手の中身はザイツ嬢だぞ、レオ様のノリでからかったら怒られるに決まってんだろう……若奥様、失礼いたしました」
中身呼ばわりとはこいつもパッツン希望か、次は無い。
「……ったく、だ、誰が若奥様ですか……」
あれから一週間、兵士たちの間では「クオンリィ嬢」と呼ぶ者はいなくなっていた。軍議に堂々とレオナードの傍らに立ち参加する仮面の令嬢は、今や大奥様と呼ばれることもあるマリアの遺したマリアノートの記述に従い「若奥様」と呼ばれている。死してなお外堀を埋めるお義母さまの執念めいたものすら感じる話である。
顔は相変わらず仮面に隠されているけれど、亜麻の髪を右手でくるくると指に巻いている、ロウリィにからかわれて怒るよりは照れてるらしい。照れ隠しでそのうち誰か四肢を切り飛ばされるんじゃなかろうかとナッシュは雪の降る空を見上げた。
随所で暖をとる為に篝火が焚かれて、未だ朝方だというのに宵の口を思わせる、暗雲は日に日に低く下がって、太陽の光を弱く遠くする、けれど。
「傾注ッッ!!」
適当な木箱に上ったクオンリィから澄んだ柔らかな声が腹から強く叩き出されて、居並ぶ銀朱兵達の意識を引き締め、視線を自身に集中させる。
弱い茜の朝焼けを背負う、強い茜の侍大将、亜麻の髪と華の香りをを風に揺らし、顔全体を覆う白い仮面が不気味であり同時にタダモノではない風格を十七の女に纏わせていた。
「貴様らイケてねぇ南部の山猿どもに教えてやる!! 昨夜は二回だ!!」
どよっ……。嘘か誠かいきなりのカミングアウトに指揮官として天守に入っているレオナードを目で追う様に兵達が天守を見上げる、おいおいお盛んだな。初彼女はそうなりがちだよな。とか騒めく、元凶のバカ娘含めて下品なんてもんじゃない。
「一回でクオちゃんもう許して~……だとよ!! かっかっかっか! ――許すかチビ!」
天守から[火球]が降ってくる、誰が撃ったかなど聞くまでもない。
クオンリィはそれを雷光纏う一閃で消し飛ばし、見える様に左腕でゆっくりと刀身を拭い、血振りの動きもゆったりと納刀する。元々そういう演出なのかは知らないけれど、刀という武器の魅せ方は完璧だった。
「でも足らねぇなあ! 足りないんですよ! 私は満ち足りちゃいない!! ――……でも私は幸運だ、貴様らの中には半身を城に置いていない者が大半だろう? 王領からの援軍は必ず来る! そうすりゃ魔王軍なんざ蹴散らして銀朱を守り抜いた兵として女も男も酒もメシも好きにしやがれ!!」
籠城戦で最も大切なのは士気である、明日が見えない防戦一方の戦いは兵の心を削るのだ、だから明日を見せてやる、希望を見せてやる、欲を刺激してやる。
もはや銀朱周辺には飛竜の姿はない、レオナード達を送って来た竜騎士も急ぎ北の空に撤退させた、おそらく今は近づいただけで正気を失ってしまうだろうから、王領からの伝令も届いていない。
しかし、必ず来る。絶望などするものか。
「よおし! 各員持ち場に急げ! 交代の兵には十分な休息を、客間の一つ二つ開放して構いません! 今日も守り切りますよ!!」
レオナードに総指揮を譲り、軍装の装甲部分をドレスの上から身に纏ったクオンリィが前線に立った時、誰もが一対多数の戦いに不安と心配を覚えたけれども……抜刀術に拘らず、時に抜身の刀閃を交えて磨いた技術のすべてを駆使する剣客の業の前に魔王軍は屍山血河を晒すこととなった。
愛を手に入れて一皮剥けたのはレオナードばかりではない。
恋をしていた、届かぬ思いに手放すことを選んだ恋をしていた。
供にあると誓った誓いは崩れ去り、失意を得て心はズタボロで、それでも諦めるなと他ならぬ友がそう言った気がして。辿り着いた縁は心を休める間もなく謀に落ち、暴虐に踏み荒らされ、それでも諦める事だけはしなかった。
ここは最後のモラトリアムだ、壊れそうになれば逞しい腕が愛を囁き大丈夫だと包んでくれる。だから、刀身を晒すことがなんだ、帰る鞘があれば抜き身じゃないから恥ずかしくないもん。
ヴァニィだけの刀で無くなってしまう事だけは残念を得るけれど……――いつか、四侯爵家の婦人会で、笑い合えると信じられる……あ、ノワールはその頃には公爵家でしたね。
軽く頭の結び目を飾るリントの笄に触れる、最近は寝る前に笄櫃に納めるようにしている、レオナードが妙に気にするからだ。
ニノ門を内から開き、先頭に立って打って出る。
「クオンリィ・ヴァーミリオンであるッッ!! 我は稲妻也! 我が雷閃に怯まずば、かかってこいケダモノども!! 迸れ……≪雷迅≫!! 発動ッッ!!」
戦端が開かれた。
ニノ門から離れた救護所で弓兵のナッシュは戦闘前に頭に包帯を巻く羽目になったロウリィに苦笑いを浮かべながらその肩を叩く。
「良かったな」
「ああ、奥様に旦那様、リント様まで一度に喪って……レオ様も心が折れていないわけがない……兵達もだ、クオン様がいなければ銀朱はとうに秩序を失って統制も取れず落ちていたやも知れぬ、良い縁を持たれていたのだな」
「……まあ、その支えになるのが俺達じゃないのは少しばかり妬けるか」
「はは! 若奥様の物理的包容力は俺らには無理だ! ……まあちょっと、侯爵夫人には品が足らないというか……アレな所はあるが」
「ちょっとじゃねぇだろ……アレ……まぁ、アレがクオンリィ嬢らしいか……じゃあ、俺は持ち場につく、若奥様の守護は任せたぜロウリィ」
踵を返し、背を向けたナッシュであった。
その時だった。
「ナッシュ!! 上だ!!」
ロウリィがその恵まれた体躯を弾けさせてナッシュを突き飛ばそうと手を伸ばす、なんてことだ、どうなっているんだ。
「……はっ??」
飛来してきた何かは、そのうねる太い身体をのたうち回らせながらもナッシュの利き腕にぐるりぐるりと巻き付いていく。
「大蛇が何で飛んでくるんだよ!?」
戦斧を両手にロウリィは迷う、大蛇の頭はどこだ? 今身体に斧を打ち込めばナッシュの腕も破壊してしまいかねない、ナッシュの激痛に耐えかねた悲鳴に気持ちは逸るけれど判断はどんどん遅れる。
「ぐああああああああ!!」
大蛇はナッシュの腕を遠慮なしに捻子上げ、筋肉を潰し骨を砕かんばかりに締め上げる、ロウリィが友の命を護る為の決断をしたその周囲では同じように空から飛来した大型の魔物が防衛線の後衛を襲っていた。
「なんだ、何だっていうんだ!?」
まるで投石機で魔物を投げ飛ばしているようだ、先程ナッシュを襲った大蛇はナッシュにぶつかった事で勢いが殺げたのか、飛んでくる魔物や魔族はそのまま大地や内壁に勢いよく叩き付けられて無残な姿を晒すものも多い、運良く動けるモノが後衛部隊に襲い掛かる……。
魔物の正気を問うのもおかしな話ではあるけれど、魔物や魔族と言っても一般的には肉体を持った生命体だ。
故にこれまでアンデッド等の例外を除き宵が深くなると陣に戻り、翌朝攻め上がるという人と同じ戦術を主に取って来た、投石機で死兵を尽くすようなことはなかった。
「いやまて、投石器だと……!?」
銀朱城の三ノ丸は意図的に壁が多く道が狭い構造をしている、大規模な攻城兵器を銀朱城の本丸を擁する二ノ丸攻略に入れさせないためだ。
既に三ノ丸は魔王軍の支配下にあるけれど、壁を取り払い攻城兵器を入れる動きは監視櫓からの報告にはない……では……? 勢いよくスッ飛んできた魔猿を戦斧のフルスイングでジャストミートしながら、ロウリィは腕を失った激痛にのたうち回る友と、最前線を交互に見る。
ふと、投石ならぬ投敵が急に止んだ、嫌な予感が背筋を駆ける。
「――ッ! 誰か!! レオ様に伝令だ!! 若奥様の危機だ!! すまんナッシュ!! 死ぬなよ!!」
ロウリィの怒号が響く、レオナードの第一側近でもある彼の言葉は必ずレオナードにも伝えられるだろう、未だ痛みに苦しむ友は恐らくもう二度と弓が引けない、それでも苦しむ中、ロウリィに気のいい笑みを向けて応えた。
もはや振り返らない、戦斧を強く握りロウリィはその大柄な体に似合わぬ俊敏さで最前線へと駆けてゆくのであった。
これで二度目の邂逅だ、一人か? 神経を研ぎ澄ますにクズ外道の気配は感じない、あるいはあのままくたばったのなら御の字だけれど。
他より横も上背も二回りは大きい巨漢の魔族が、片手で掴んでいたトカゲのような魔物を握り潰す、クオンリィが小柄を投じて邪魔をしなければ魔物は空へと一直線であっただろう。
「なるほど、四天王なのだから全員クズ、レオの言う通りですね」
「なンだあ……? テメェどこかで」
仮面の奥で、ギリと奥歯を噛み締める、どこかで? この揮発性記憶が!
"上等"だよ……!?
「不意打ち専門のクズカス外道は頭ン中もカスッカスらしいなァ……?」
――続く。
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