第122話:想いは紡がれて
「リント、ここにいましたか、でかい図体で隠れてるつもりなんですか? かくれんぼでもしますか?」
もちろんリントが入れない場所に隠れる気満々である、だから早速頭をばくっと食む、くぐもった笑い声が鼻腔を抜けて響くのだけれど、その元気があるのなら四肢を脱力させるのは、通りがかる城中の者にぎょっとされるのでやめてほしい。
喰っておらぬよ? ……なめるが。
四肢を脱力させるのはやめろと言った、言語が違うが。だからと変な声を上げて悶えるでない……、レオナードの嫁になるのを断らなかったのだからもう少し貞淑でなくてはならぬというに。
のしのしとあふんあふん悶える少女をくわえて歩く空の王者。
ここ数日恒例の銀朱城の光景であった……。
まったく、騒々しい娘であるよ……。
口腔内で大人しくしていると、時折小さな苦悩の呟きやら、今ここにはいない二人の友の名を呟きはじめるから、鼻を閉じて音が漏れないようにしてやる、するとなめる舌に塩味が強く伝わるから、多少の息苦しさは我慢してやるとしよう、ああ世話の焼ける。降りたくなったら角に手を伸ばしてくるので吐き出してやる。
まったく、気難しい娘であるよ……あと何度隠れる場所になってやれるか……。
さて、竜騎士と飛竜は基本的に一度組んだバディを解消することは生涯ない。
もちろん、戦場に出て山賊団や暴れる魔物と民に代わり命のやり取りをするのが軍人の務めなのだから、志半ばに死別する事もあってそういった場合にはバディの組み直しを行う事は勿論あるのだけれども、人竜一体の術理で魔力の波長を合わせる以上は常に一対一のバディであることがベストである。
飛竜は誰が何と言おうが魔物・魔獣に類する存在である。
ヒトよりもはるかに魔力への親和も異存も高い……。
だから理解る……命に代えても果たさねばならない事が――もはや時間も残されていない事が。
介錯の刃が喉元に届かんとする刹那、空の王者は己が未だ飛べる事、飛ばなかったのだと示すように翼を大きく堂々と広げた。
仕損じて狂った竜の一匹としてただ処分されるしかないかと思っていたけれど、そうではなくなったのならば、今度は逆に甘えさせてもらおう……。
――後は頼むぞ。
銀朱城内には、死んだ飛竜の為の立派な墓所がある。
今回リントはそこに葬られることを許されなかった、侯爵夫人の右腕一本噛み砕いたとあってはそれもやむなしかもしれないけれど、あろうことか亡骸を魔素に還るまで晒す命令まで出たらしい…………。
その命令を下したのが誰かなど、クオンリィは聞きたくも無かった。
有事に手勢を引き連れて馳せ参じたヴァーミリオン領の近い領地の貴族たちの中に、今こそ夫人に取り入ろうとこれに賛同する者もいたなど聞きたくも無かった。
この命令には当然のように今の竜騎士団長をはじめとした竜騎士たちや、城仕えの兵から強い反発を呼び、軍議が紛糾している間に秘密裏に亡骸は運び出され、別邸付近の山中にひっそりと葬られた。そして。
「……良いのですか?」
「リント様は貴女に救われました……きっと我々の槍では大いに苦しめてしまう事になっていたでしょう……それに、リント様もそれが貴女の手にあることを望まれる筈です」
「こんなに綺麗に加工までして頂いて……」
単眼を感嘆に丸くしながら、ほうと溜息を溢しつつ両手で大事そうに受け取った白く細長い棒状に加工された骨細工に指を這わせる、それは飛竜を意匠にした繊細な彫刻がされた笄という髪飾りの一種であった。
「流石に角を一本丸ごとお渡ししては、無粋に過ぎるとリント様に叱られてしまいますから……やはりレディにはアクセサリーであろう? と、それで皆で相談したところやはりリント様の角を装身具にするならやはり頭に飾るものが良いと意見が一致しまして」
竜騎士団長は綺麗に整えたあごひげを緩く指で掻きながら、少しはにかんだように口角を上げて白い歯を見せるけれど、その表情は無理に笑っているものだとあまり彼と話すことがないクオンリィにもわかる。
「ただその、クオンリィ嬢はあまりアクセサリを身に着けられないようですのでどうしたものかと思ったのですが、刀装具でもある笄ならば鞘に着けられて居られると聞きまして」
「あ、ええと、えー……よくご存じで……ご配慮いただきありがとうございます」
魔鞘・雷斬の笄櫃には確かに笄が納まっている……初めて父から本身を帯びる事を許された際に小柄と笄は身嗜みだと言われたから揃えているもので、実際は自身も装身具としてはほとんど使って無いものだ……。そこにリントを納めてしまうのも少し申し訳ないので言葉がちょっと濁る。
「……そうですね、そこがいいですよね」
そして、少し考えてから、おもむろにリントの笄をはむっと横に咥えて首の後ろで髪を束ねていたリボンを解いた、亜麻の髪がサラリと重力に従って背に零れる、学院を出奔した時より少し伸びた、毛先を整えたいと思えば浮かぶのは浅葱の髪の相棒の顔で……どうしても憂いが胸を過る。だから軽く首を左右に振ってから髪をまとめ直し始める。
さて、お忘れと思われるがクオンリィといえば柔和な顔立ちに狂暴な……黙ってじっとしていれば美少女、この十七歳時点では美女と言って差し支えはない。
そして女性の仕草でグッとくると言えば髪を束ね直す仕草に他ならない、若干の憂い顔もアクセントとなりこれには竜騎士団長も思わず口を真一文字に結んで表情を硬くした、ニヤケ顔など晒せば小ぶりの唇に咥えられている笄が勝手に喉にすっ飛んでくるかもしれない。
笄には重傷を負った味方に慈悲の一撃を与える役割を与えられたり、小柄同様投擲することもある立派な武器でもある、もっとも簪だって人が殺せるのだから問答も詮無き事。
「……!?」
ところが、次の瞬間彼は別の意味で口元を引き結び直すこととなった。
彼女が隻眼で、それをあまり衆目に曝さないように――といっても、動き回っていればある程度は自然に見えるので今更な部分はあるけれど……意図的に前髪を顔前に下げて右目だけを覗かせている事は周知の事だったけれど、サイドの髪と纏めて後ろ頭の比較的上で束ね始めたのだ。
「これでよし」
一度髪を巻いて団子を作ってからリボンで固定、結い元にリントの笄をさっくりと挿し込んであとは自然に背に流す、そうすると右側は勿論左前髪も大半を結い上げてしまった。
「お、お似合いです。……リント様も、お喜びかと」
「そうですか? 良かった」
角なのだから頭を飾らなければ、竜騎士団長の讃辞は半分驚きの混じるものだったけれど、クオンリィは満足そうに口端を上げた。
ちなみに南部には「女心のわからん奴は飛竜に咬まれて死んでしまえ」というタイミング的に最悪の冗談がある、これが西部になると「女泣かす奴は荒野で迷って干乾びろ」になり、北部は「馬に蹴られて堆肥に落ちろ」となる。
なぜか東部だけ「癪に障るカップルは、サメに喰われて死んでしまえ」なのは東部が沿岸地域で観光名所も多いからだろうか。シャーク。
「ックク、無理して誉めなくてもリントは咬みやしませんよ?」
「……」
絶望堕ちしかけた末でも地雷は踏み抜いていくスタイルは健在である。
「ごっほん……しかしまさか、リント様まで狂化してしまうとは思いませんでした」
「正気でしたよ」
「――……は!?」
思わずと聞き返す声を聞こえないふりをしながら、おもむろに持ち歩いていた真っ白な両目を隠す仮面で完全に顔を覆ってしまうクオンリィ、先程一瞬でも見惚れた少女の異様に騎士団長も追及ができなかった。
当たり前のように残る単眼も闇の中、問題はない、睫毛を伏せればちゃんと判る。
間合い命の抜刀術の使い手を侮らないでほしい。実は無意識で≪雷迅≫の恩恵を受けてるのかもしれないけれどそれはそれ。
「それより団長、これからどうするつもりですか?」
「それは……リント様の事で咎めは受けるかもしれませんが勿論、銀朱へと戻り魔物と魔族の軍勢と戦います……クオンリィ嬢は……?」
「結構、私もです……けれど、私から提案があります、西部者故軍議には参加できないかと思いますので、よろしければ団長の方から提言してはいただけませんか?」
「それは有難い事です、戦に慣れておられる西部の……いや、失礼」
ドレス姿のレディに戦慣れとは竜騎士団も軟弱になったな?と言わんばかりにクオンリィの髪に挿された竜角が一瞬ギラリと光った気がした。肉体を喪い魔力ばかりとなった事で饒舌になっちゃいないだろうか?
「いいのです、それより――」
そして……。
「――なんですってえッッ!?」
銀朱城の軍議が開かれている一室に、ヒステリックな夫人の金切り声が強く響く、これには列席している南部方面軍の諸将も思わずと顔を顰めるのだった……。
――続く。
※ 遅くなってごめんなさい、お読みいただきありがとうございます。




