第107話:そうではない
クオンリィの――抜刀伯もだからザイツ父娘の佩刀、その鞘には特徴的な加工が見られる。
それは鯉口の傍に取り付けられた鍔留めの金具で、なんでも若い頃の失敗を経て取り付けるようにしたらしい、曰く「すぐに抜けないように」という事。どんな失敗をしたのかは、西部産の血統書付き狂犬のパパンであるからして言わずもがなであろう。
結果としては……『金具があろうが即抜刀する』技術が向上した。本末転倒もいいところではあるけれど、考えても見れば西部侯爵の懐刀が即座に抜けないとかお前何なの? と任を降ろされてもおかしくないものなので、お仕事的には正しい。……頭は悪い。
我流である抜刀伯の抜刀の術理を受け継いだ娘が昨日ノリで命名した"雷閃抜刀流"、ライゼンバットウリュウにしなかったのは年頃の娘の素直になれないところ、ほんとはパパもママも大好きです。話が逸れた、その初太刀抜き打ちの金具を弾く技術は後に"鍔弾き"と呼ばれる事になるのだけれどそれはまた別のお話である。
とは言え、当然ながら鍔留め金具が外れているほうが当たり前のように迅い。
ただしその差が見切れるなら「別に抜刀術だけじゃない」ライゼン抜刀伯はともかく「抜刀術に拘る」クオンリィを完封できる技量に違いなかろう。
ともかく。
そんな抜く気満々で元気がない第二王子に近づいていく不審者こと第二王子の婚約者の右腕とか、なかなかお目にかかれるものではない。というか普通は無い。普通ってなんだ?
ジョシュアも幼馴染の気配には敏感だ、なんとなくヴァネッサの……三人娘の香りがする。そしておそらくこの世で一番クオンリィの殺気を覚えているのはジョシュア、なにせ四歳の初対面からして噛み付いて来た。
――ヴァニィちゃんはわたしたちのモノです!
横からぽっと出の偉そうなやつに取られた! というのが幼き日のクオンリィとノエル共通の認識であった、だってヴァニィちゃんとは三人で結婚するはずだったのだから。
他人が気付かないような微かな殺気もジョシュアは見逃さない、見逃すと木刀で小突かれ撒き菱を踏まされる事になるからだ、そしてそのセンサーは今まさに自分にゆるい殺気を向けられていることを察知、近づくクオンリィに緩く顔を上げ目線だけを向ける。なんでもう登校しているんだよオマエ。とその目が語っていた、朝は登校するものです。
「おやおやジョッシュぅ……剣聖、兄弟子とヤられてしょんぼりですか?」
「……クオン……いや、そうではなくて……」
「ふうん?」
「……!!!!」
――クオンリィは仕掛けた。
何かがあるのは分かっている、転移術士を動員して排除の罠を仕掛けてくれた時点で先日からの連戦が九割ジョシュアの差し金という事は間違いがない。
純粋な気持ちで挑んだオーギュストもクオンリィの中ではやっぱジョシュアの策じゃねえの? という疑いは拭いきれていなかった模様、そりゃ気持ちも伝わらない。
おそらく普通に城内に入って三人娘の部屋に向かうルートにも同様の罠が仕掛けられていたはず、罠にかかってお濠にドボンしたノエルによればよりにもよって王都の外濠だったらしい。
ヴァニィちゃんコールが掛からなければ相当の時間をロスしたはずである。
転移罠に二人揃ってかかるくらいなら、ノエルは幼き日に片目を喪失しながらも突然の実戦に居竦んだ自分をも守ってくれた絶対の信頼を寄せる親友クオンリィを何としてでも絶対に残す。
そうして残されたクオンリィは城内のルートは使わない、だから屋根上に剣聖を配置した。ここまではジョシュアの読みが的中したわけである。
それはいい。
結果としてオッサンは内濠にドボン、その弟子は鎧袖一触にズガンだったのだから完全勝利だ。
それよりも「そうではない」と言いましたね?
はじめは勘だった、なんかいませんか? 程度の。だから『空間魔法』の音声遮断をノエルにさせるようにしたのは物は試しだった。
≪伽藍洞の足音≫だけに限らず、空間魔法は主に現在の空間と別の空間を入れ替えたり別の場所に接続したりする魔法である。ちなみにノエルは後者。
その[音声遮断]とは『空間内の音を伽藍洞へ跳ばす』事で成り立っている、その結果……。
「やっぱりな? ヴァネッサ様に何か仕掛けるつもりなら眼鏡たたッ斬るぞ?」
「……」
≪這闇≫の排除に成功していた。なおジョシュアはさっきまで机に突っ伏していたので眼鏡は今はかけていない。――関係ない、叩き斬る。
問題は……クオンリィの認識は『何かがあったことはわかる、気づいてから変更した方針でジョシュアの邪魔ができた事も分かった。でも何を邪魔をしたのかわからない』という実際重要なことは何も分かっていないブラフに近いものであった。多分ノエるんの[音声遮断]が利いたんだろうなー、くらい。なお≪雷迅≫の音声遮断は『範囲内外の音を斬っている』という魔法なので空間は断絶せずジョシュアの≪這闇≫は排除できない。
いま下手に追求しても逆にそれを見抜かれてしまう。半ば自爆気味だけれど困ったことに伊達に幼馴染はやってない。
そしてそれはジョシュア側も同じであった、下手に兄弟子オーギュストが暴走した件は知らないと弁解したところで、そうではないと失言してしまった以上は余計なことは絶対言えない。
ましてや「覗いてます」など三人のプライベートタイムで頻繁に全裸になる猛犬中尉に言おうものなら確実に三枚に下ろされる。
ジョシュアにしてみれば三人娘の裸なぞちんちくりんの頃から見慣れている、流石に十歳を過ぎてからはそうそう見る事もなかったけれど≪這闇≫覚醒からはどうしてもちょくちょく視界にコイツが入ってくる。全裸で。ふざけるな! ヴァニィを脱がせ!! とこちらが文句を言いたいくらいであった。オーギュストが聞いたら悔し涙のち決闘の申し込みとなろう。
刀と槍の鋒を死線に絡めて紫紺と黒壇が鎬を削る。
「ふふふ」
「あはは」
「あのう……朝ホームルームはじめていいですか?」
いつの間にか教室に来ていたミュリア先生がおずおずと言い出してくれたことで、この場は水入りとなったようだ。
クオンリィはわざわざ「命拾いしましたねえ?」なんて獰猛な表情で言い残して自分の席へと戻って行くのだった。




