96 今夜は帰りたくない
控え室に入ると、ニコラが一人で椅子に座って足をプラプラさせている他には誰もいなかった。今は接客してるお姉さん以外は全員屋上の片付けに出向いているのだろう。
「ニコラー、そろそろ帰るよー」
「えー、帰りたくなーい」
ニコラが椅子をガタガタと揺らしながら口を尖らせる。
「うん? 何言ってるの、お前」
意味不明なことを言い出したニコラから念話が届く。
『だって閉店までいたら控え室でお姉さん方のお着替えショーが見れるじゃないですか。私はそれまで絶対に動きませんよ』
なに言ってるんだこいつ。
『はあ……。じゃあカミラさんに頼んで泊めてもらいな。俺はギルと一緒に帰るからね』
まだ店内で飲んでいるギルに、手伝いが終わった事を伝えようとニコラに背を向ける。すると更に念話が届いた。
『おおっと、それはちょっと待ってください』
『……なに?』
俺が再びニコラと向かい合うと、ニコラが両頬に手を添えてかわいい顔を作った。近所のおばさんにおやつをねだる時の顔だ。
『ほら、私って無邪気な愛されキャラじゃないですか? でもそれだと言いたいことも言えなかったりするんですよね。だからお兄ちゃんがいてくれないと痒いところに手が届かないっていうか』
『俺ってお前の孫の手か何かだったの!?』
『当たらずとも遠からず……? っと、帰らないで! まぁ聞いてくださいよ。お兄ちゃんも今から帰るのはしんどいな~と、少しくらいは思ってるんでしょ?』
『それはまぁ……』
『でしょうー? だからギルおじさんにはお家に伝言だけしてもらって、今日はここでお泊りしちゃいましょうよ』
確かに今日は実家の手伝いも含めて昼からはずっと働いていたし、もう歩きたくないと思うくらいには疲れている。でももうしばらくの辛抱だしなあ。
『それにほら、今日は魔法の練習も大してしてやっていないじゃないですか。今日の分の練習だと思って裏庭に土魔法の小屋でも作って、お布団をアイテムボックスから出して寝ちゃいましょうよ』
そういえば今日はあまり魔力を消費していない。近所の悪ガキ相手に使ったのと、さっきの石玉くらいだろうか。実家に帰ってしまうと、そのまま寝てしまいそうな気もする。
『ね? ねっ? 一緒にお泊りしましょうよ』
『……はぁ~、分かったよ。それじゃあカミラさんに裏庭を使わせてもらっていいか聞いてくる』
『やったー! お兄ちゃん行ってらっしゃ~い』
今度はさっきよりも椅子を大きくガッコンガッコンと揺らしながらニコラが俺を上機嫌に見送った。なんだろうな、簡単に丸め込まれたような気がしてならない。
――――――
俺は再び屋上へと戻ってきた。屋上ではお姉さん方が接客中に見せていた様な艶やかな動きではなく、せわしなく動き回りどんどんと食器類が片付けられている。少しは手伝おうと思ったけど、もう終わりそうだな。
「あら、マルクちゃんどうしたの?」
俺を見つけてカミラとパメラがやって来た。さっそく宿泊の許可を取ろう。
「あのー、ニコラが疲れて家に帰りたくないって言うんで、今夜はここで泊まらせてもらえないかなあって思って」
「あらあら、そういうことならもちろんいいわよ。ウチの家に泊まっていきなさい。いいわよね、パメラ?」
パメラは話を聞いてトレイを持ったまま固まっていたが、カミラに問われると首をコクコクと動かした。
「ううん、お家に泊めて貰わなくてもいいんだ。今日は魔法の練習があまり出来なかったから小屋でも作ろうって思って。裏庭に作っていい?」
「小屋を……作る?」
「うん」
俺が頷くとカミラとパメラは首を傾げる。
「……まぁマルクちゃんなら大丈夫でしょ。よく分からないけどいいわよ」
「ありがとう。それじゃあギルおじさんに家の伝言をお願いしてくるね」
「え、ええ。いってらっしゃい」
俺が屋上を去るまでカミラとパメラは首を傾げたままだった。
――――――
「おう、マル……いやマリ……いや、なんでもない。さっき兵士たちが帰って行ったようだが、そろそろ上がるのか?」
テーブルでは少し前に会った時と同じ様に、ギルがグラスを傾けながらお姉さん相手に寛いでいた。さっきと違うお姉さんだな。
「今日はここに泊まって、明日帰ることにしたんだ。だからギルおじさんには父さんと母さんに伝言をお願いしたいんだけど、いいかな?」
「おお、そうか。今日はもう遅いしな。泊めてもらえるならその方がいいかもしれん。分かった、ワシが責任を持って両親に伝えてこよう」
そう言うとギルは立ち上がり、隣のお姉さんにお勘定を頼んだ。
さてと……。これで後は小屋を作って寝ればいいのか。でも風呂にも入りたいな。化粧を落とすだけじゃなくて体も洗ってすっきりしたい。
とりあえずは女装を何とかしよう。俺は妙に着慣れてしまったドレスを脱ぐために控え室へと向かった。
二つ目のレビューをいただきました! ありがとうございます!