378 ディアドラママ
ディアドラの言葉から不穏な事態を感じさせるが、まずは聞かざるを得ない。
「ええっと……ママってどういうこと?」
「……? ママは私の、ママ。泉とひとつになっちゃったから……もう視えないけど、声は聞こえる……よ?」
ディアドラがなに言ってるんだコイツと言わんばかりに首を傾げる。あれ? 俺がおかしいのかな。精霊にも母親がいるのって常識なの? こういうときはニコラに聞くに限る。
『ニコラ、つまりどういうこと?』
『精霊の生態というか在り方は多種多様ですし、あまり深く考えるとキリがないんですが……。この場合、ディアドラママはすでに自然と融合を果たした泉の精霊で、その彼女から株分けするような形で木の精霊としてディアドラが生まれたんじゃないですかね? たぶん』
ニコラが自信なさげに答えた。とりあえずそういうものだとして捉えるしかないらしい。
もう少し話を聞いてみたいところだが、今はディアドラの言う「よくないもの」とやらのことを考えるのが先だ。どう考えても、ルアードたちが何かをやらかしたとしか思えないけど。
「それでディアドラ、よくないものって何かな?」
「わからない……。こっち、向かってるって……ママが言ってるの。……ここ、よわい魔物は入ってこれない……でも、つよい魔物は拒めないから……逃げなさいって……」
ディアドラは悲しそうに眉を下げながら、さらにぼそぼそと呟く。
「魔物に泉、汚されると……力が、なくなっちゃうの。ママ、消えちゃうかもしれないの……」
「えっ、そんな……」
いきなりディアドラの母親の存在が明らかになったと思ったら消えてしまうかもしれないとか、さすがにあんまりじゃないか。
どうすればいい? そう尋ねようとした時、草木を激しくかき分ける音を立てながらウェイケルが飛び出してきた。続いてルアードも駆けてくる。
ウェイケルは俺たちを見るなり、こちらに向かって走りながら必死な形相で声を上げる。
「おおうっ!? マルク坊ちゃんたち、まだいたのか! 今すぐ逃げるぞっ!」
「ウェイケルさん、いったいなにがあったの!?」
「巣からコボルトの親玉が出てきちまった! 詳しい話は逃げながらな! 大丈夫、俺に任せりゃ逃げられるからよ!」
「ちょっ、ちょっと待って!」
「だめだめ! すぐにやって来っから! 行くぞっ!」
立ち止まることなくウェイケルが俺たちの横を通り過ぎる。それに続いてルアードが通り過ぎようとして――勢いよく転倒した。
「ぐあっ!」
ルアードは短い声を上げ、地面をゴロゴロと二転三転する。
回転が止まり、すぐに起き上がるものかと思われたが、荒い息を吐きながら両手で脚を抑えている。そのズボンからは真っ赤な血が染み出しており、押さえている手も赤く染まっているほどだ。
「ちょっ、ルアード坊ちゃま! 怪我してたのかよっ!?」
「……ああ、ヤツのなにかの攻撃が脚をかすったんだ……。すまんが俺はもう走れん。どこかに身を隠すから、お前は町に戻って助けを呼んできてくれ……」
肩で息をしながらウェイケルを見上げるルアード。だがウェイケルはすぐさま駆け寄ると、
「なーに言ってるんすか! 雇い主って言えば仲間みたいなもんでしょ! そう簡単には見捨てられねえんだよなあ!」
力任せにルアードを立たせ、あっという間に自分の背中に背負い込んだ。
「ほら、これで行けるっしょ!?」
「ぐっ、すまんウェイケル……。デリカ、お前らも逃げるぞ」
「うっ、うん……。でも……」
背負われたルアードが声をかけるが、デリカもディアドラママの話を聞いていたせいか反応が鈍い。ディアドラが俺の袖をくいっと引いた。
「マルク、いこ。ママ、百年……くらい経てば……また会えるかもって……言ってるの」
百年でまた精霊として復活するという話だろうか。精霊にとって百年ってどういうものなんだろう……? いや、そんなことよりまずはルアードの足を治療して――
『お兄ちゃん』
『ん?』
『もう来ちゃいましたよ。まあどのみち、逃げ切れそうになかったですけど』
念話を届けながら前を見据えるニコラ。俺も慌てて視線を向けると――
木々の間から、身長二メートルはゆうに超える大柄のコボルトがのそりと姿を現した。
その巨体からはなんとも言えない威圧感を感じるが、巨体よりも目立つ特徴がある。
巨体の首から上には同じような犬の顔が二つもあるのだ。足を止めた獲物を見つめ、双頭のコボルトは嬉しそうに両方の口を歪めている。
「クソッ、やっぱ犬ッコロは足が早えな……! もしかすっと俺たちを追いかけ回していたぶっていただけかもしれねえ……」
双頭のコボルトをにらみながら呟くウェイケル。
『ニコラ、あれが……コボルトのボス?』
『コボルトの突然変異――特殊個体でしょうね。うーん、そうですね……ツインヘッドとでも名付けますか。ネーミングを笑ったら、ひと月はお兄ちゃんと口をききません』
『見たままの個性をシンプルに表しつつも強さを感じられるし、今回もいい名前だと思うよ……』
『ならばよし、です。……それでお兄ちゃん、どうしますか? たぶん逃げるのは無理ですよ? こうしている間にも周辺に手下っぽいコボルトがわらわら集まってます』
『ああ、やっぱそうなんだ』
コボルトに足止めされることを考えると、とても逃げ切れそうにはない。それにアレに背中を見せながら追いかけられるのも正直怖い。
『それならさ、俺、できることなら――』
ニコラはやれやれと肩をすくめて口を挟む。
『わかってますよ。お人好しのお兄ちゃんはディアドラちゃんのためにこの泉を守ってあげたいんですよね?』
『ああ、そういうことだよ。ニコラ、どうすればいいと思う?』
『ディアドラちゃんの話からの推測ですが、魔物に多く含まれる魔素が泉を汚染してしまうのだと思います。ですからあまり泉に近づかせないほうがいいでしょうね。つまり――』
『やるなら、足を止めさせてからの遠距離攻撃か』
『ご名答。お兄ちゃんお得意のいつものヤツです。さあ、張り切ってどうぞ!』
ニコラはそう伝えると、ツインヘッドを見て固まっているデリカとディアドラの手を強く引き、俺のずっと後方まで下がっていった。
ウェイケルはルアードを背負ったまま俺の隣で固まっていたが、逃げようとしない俺を見て驚いたように目を見開く。
「えっ、マルク坊ちゃん!? もしかして、アイツとやるつもり? 言っちゃあなんだが、前にやったトカゲとは格が違うと思うぜ……? 俺がアイツに目潰し玉をぶつけっから、それを合図に一斉に逃げるっきゃねえって」
前と違うのは俺も同じだ。あれからシュルトリアに飛ばされ、児童虐待一歩手前のセリーヌのしごきをひたすら受けたのだ。
「僕もあれからセリーヌにさんざ鍛えられたんだ。よかったら少しの間みていてくれるとうれしいな……」
俺はそれだけ伝えると、再びツインヘッドに視線を戻した。
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