373 甘いハニー
今すぐにでもアイリス店内に突撃しそうな彼女の様子を察したパメラが、すぐに夕食の準備をしてくれた。
以前はカミラから卵焼きしか合格をいただけなかったパメラの料理だけれど、あれから合格レシピが増えたようだ。
その中からいくつか作ってくれたのだが、特筆すべきはなんと言ってもから揚げだろう。温め直したものをいただいたのだけど、それでもしっかり味付けされていておいしかった。
聞けば最近はアイリスで酒のつまみに出されるから揚げも、パメラが手伝うことがあるのだとか。十歳で揚げ物を任せられるようになるなんて大したもんだと思う。ちなみに彼女の方は料理はからっきしである。
食事の後はパメラに以前も聞かれた領主の娘のリアの話をねだられたので、前よりも少し詳しく話をしながら時間を潰した。
リアの話はパメラだけではなく、彼女も興味なさそうにしながらも聞き耳を立てていたのは面白かった。お姫様にあこがれるなんてかわいいところもあるもんだ。
そうして家に来てから二時間くらい経っただろうか。俺の魔法練習を眺めていたパメラがふいに口を開いた。
「マルク君、そろそろお時間だと思うの」
そういえばアイリスでは二時間くらい酒を楽しむお客さんが大半だと聞いたことがある。ということはゴーシュもいい感じに出来上がってる頃合だろう。
「そっか、それじゃあそろそろ行こうかな。ニコラは――」
「ニコラはパメラちゃんとお家にいるよー」
ここにいろと俺が言い終わる前にニコラが言葉を被せてきた。そして神妙な声の念話が届く。
『修羅場に子供が何人もついていくのは、さすがにかわいそうですからね。武士の情けってやつです……!』
面白がって見学したがると思いきや、どうやら同族に感情移入しているようだ。それはそれでどうかと思うが、まあ説得する手間が省けた。
「そうかい、わかった。それじゃあ……行こうか」
俺が促すと彼女は今度こそテーブルから立ち上がり、ふんすと眉を吊り上げた。
◇◇◇
俺と彼女は二人でアイリス店内へと戻った。目指すは衝立に囲われた、この店で一番豪華なVIPルーム。
衝立の隙間からこっそり顔だけ出して中を覗くと、エルメーナとニコラ曰くバスト103センチ(どう測ったかは知らない)のアンリの間で、まさに両手に花状態のゴーシュが気分良くお酒を飲んでいた。
ちなみに接待役にはコレットも立候補していたんだけれど、さすがに娘の知り合い相手では後で知られると気まずいだろうということで諦めてもらった。今は別のテーブルで客の相手をしているのが見える。
「あーん、ゴーシュっち! 筋肉カチカチですご~い! あたしたくましいオトコって大好き~!」
「わはは! 冒険者も大工も体が資本だからな! ほら、もっと触ってくれていいんだぜ!」
「すてき~! ツンツンしちゃうっ!」
腕まくりしたゴーシュのムキムキの腕をアンリが楽しそうにツンツンしている。もちろんゴーシュはまんざらでもない表情だ。そんな状況をエルメーナがたしなめる。
「もう、アンリったら、少しはしたないわよ? ゴーシュさん、ごめんなさいね」
「いやいや全然! 普段は筋肉なんか見せたところで、暑苦しいとしか言われないしな!」
「まあ、そうなのですの? でもその鍛えたお力があるからこそ、あんな美しいお風呂を作ることが出来たのでしょう? ゴーシュさんはこのお体を誇るべきですわ」
「いやー、そうかな! わはははは!」
お姉さん二人にうまい具合に転がされ上機嫌のゴーシュであるが、さすがにこれ以上そんな姿を彼女に見せるのは忍びない。
俺が意を決してVIP席へ足を進めると、ゴーシュはすぐに気がついたようだ。彼女は後ろの物陰で待機である。
「おお、マルク! もう終わりの時間なのか!? そうかあ……いやあ、楽しい時間ってはあっという間に経つもんだなあ! 今日は本当にありがとな! 俺、冒険者時代でもこんないい店でうまい酒と美人のお姉ちゃん相手に飲んだことなんてなかったぜ!」
ほろ酔いでほんのり赤ら顔のゴーシュが俺に言った。心底喜んでいる顔を見ると罪悪感も湧くし、もう少し夢を見させてあげたくなってくる。
だが、今回はどうしても成し遂げたい目的がある。今が夢を終わらせる潮時なんだろう。すまぬ、すまぬ……。
「おじさん、ごめんね……」
「ん? なんだ?」
俺はそれ以上は何も言わずに後ろに下がる。そして代わりに物陰にいた彼女が前へと進んだ。予想外の人物の登場にゴーシュがソファーからずり落ちそうになりながら声を上げる。
「デッ、デリカ!?」
もちろんここで登場するのはデリカ。真打ちの登場だ。ちなみに今夜デリカは別の友人の家で食事してくるとゴーシュやデリカママに伝えている。
突然の娘の来訪に何を言っていいのかわからないのか、ゴーシュはただひたすらに口をパクパクと動かす。そんな父親に娘が近づくと、感情のこもっていない平坦な声を出した。
「お父さん……。私は別にこういうお店でお父さんが気晴らしをするのは問題ないと思うよ? ここはちゃんとした店なのはマルクからもパメラからも聞いてるし。……でも……母さんが知ったらどう思うかな?」
「おっ、おまっ! そんな脅しを……! はっ、そういうことか! 謀ったなマルク!」
「おじさんごめん! でもデリカの話を聞いてあげて!」
俺はパンと手のひらを合わせながらゴーシュに謝る。すまん、本当にすまん!
「チッ、チクショー! 風呂を作った礼にしてはさすがに気前が良すぎだとは思っていたんだよなあ!」
「まあまあ、ゴーシュさん。娘さんのお話を聞いてあげればいいだけですのよ」
「そっそ、ゴーシュっちの理解ある父親っぷり、あたしも見てみたいな~」
エルメーナとアンリが両サイドから言葉をかけると、ゴーシュはついに涙目になった。
「ま、まさか、エルメーナさんもアンリちゃんもグルなのかよっ! マジか……、この世に神はいないのかよおおおお!」
神様はいるよ。それだけは言っておきたい。
「それで、父さん……?」
さらに一歩デリカが近づくと、ゴーシュはソファーに座り直しながら降参するように両手を上げた。
「わ、わかった。とりあえず話を聞こう……。それと、カーチャンに言うのだけは絶対に止めろよな?」
「わかってる。私は父さんに腰を据えて話を聞いてほしいだけなの。今回の件が終われば二度と口にしないと誓うわ。……この前みたいに離婚寸前まで行くのは私も本望じゃないしね」
前にもなにかあったのか……。ゴーシュもそれを思い出したのか、息をつまらせた。
「うぐっ、ま、まあ、座れ、座ってくれ……」
青い顔をしたゴーシュの対面にデリカが座り、空気を読んだエルメーナとアンリがソファーから立ち上がった。
そして俺たちはゴーシュデリカ親子をVIP席に残し、そこから離れた。後のことはデリカに任すことになっている。
俺はそのまま控室の通路まで歩いたところでお姉さん二人に声をかけた。謝りたいことがあったのだ。
「こんな風に弱みを握らせるみたいにお仕事が使われるの、嫌だったよね? 本当にごめんなさい」
二人からすれば、普段働いている職場を普通に利用しただけでゴーシュは糾弾されているのだ。夜の酒場はいかがわしいものだと言われているようで気分を害してもおかしくはない。
だが二人は顔を見合わせ――それからプッと吹き出した。笑いながらエルメーナが俺に話しかける。
「ふふっ、お硬い奥様方からは評判が悪いのは今更よ。その分、癒やしを求めるお客様からは愛されているのだから気にはしてないわ」
「そうそう。それにこれくらいで気にしてたらここで働けないよー」
アンリも同意見のようだ。そう言ってくれるのはありがたい。俺がほっと胸をなでおろすと、エルメーナが俺の額をツンとつついた。
「でも、あまり褒められた手段じゃないのは確かね。ほんと、悪い坊やだこと」
「あたしは悪いオトコも大好きだよー。マルク君、大きくなったらお客さんとしてのご来店も待ってるからね!」
アンリが俺の頭をポンと撫で、それから軽く伸びをしながらエルメーナに顔を向ける。
「さてと、エルメーナさん。お化粧直しして、次のお客さんを待ちますかー!」
「そうね。それじゃあマルク君、また今度ね? それとも久しぶりにマリーちゃんになって手伝ってく?」
「い、いえ、結構です! 二人とも今日はありがとね!」
俺は急いで踵を返すと、くすくすと笑い声を背中に受けながらパメラ宅へと足を早めた。
◇◇◇
――再びパメラ宅で時間を潰し、しばらくして俺がVIPルームに様子を見にいくと、ちょうど衝立の向こうから疲れ果てた顔のゴーシュと満足げに口元を緩ませたデリカが現れた。
「おじさん……。その、本当に……」
「マルク、今はなにも言わないでくれ……」
ゴーシュは肩を落としたまま、とぼとぼと俺の横を通りすぎる。そしてその後ろをついて歩くデリカは俺と目が合うと、ビッと親指を立てて見せた。
こうしてデリカはゴーシュの全面協力の約束を得たのだった。ゴーシュ、本当にすまんかった。




