341 誰のせい?
舞い上がっていくフェルニルの首元には黒い首輪が見えた。俺がシュルトリアでもらった魔物用の隷属の首輪と似たような、魔物から反逆の意思を削ぐ種類の首輪だと思う。
悪人に操られた哀れな幼鳥――しかも伯爵家に代々祀られている守護鳥だなんて、俺が攻撃をすると顰蹙を買うような気がしないでもない。でもこちらの身を守るためにも攻撃しないわけにもいかないし、きっと大目に見てくれるよね……?
なんとなく後ろめたい気分になりながら、俺はバサバサと翼をはためかせるフェルニルに両手を向け、自分の中の魔力を練り上げる。
「石弾」
「クルルウウウウウウ!」
石弾を撃ったのと、フェルニルが鋭いくちばしを俺に向けて突っ込んできたのはまったく同じタイミングだった。
回避行動を取ろうともしないフェルニルの顔面に石弾はブチ当た――
バリンッ!
激しい音と共に石弾が飛び散ると、フェルニルは勢いを緩めることなくこちらに突っ込む。
「うわわっ!」
「きゃあっ!」
俺とリアは間一髪、横っ飛びでフェルニルの突撃を避ける。フェルニルはそのまま広間の壁に衝突するかと思いきや、その寸前で大きく羽ばたき空中で急停止。ほぼ直角に天井に向かって再び上昇していった。
あー……、今のは危なかった。俺はバクバクする心臓を押さえながら、舞い上がっていくフェルニルを見上げた。フェルニルはまったく傷を負っていないように見える。
泥玉ではなく石弾なら――そう思ったけれど、どうやら石弾でも加護の力は破れないみたいだ。
それなら、さらに火力の強い攻撃ならどうだろうか? 例えば風属性のマナを纏わせた切れ味バツグンの槍弾や円斬だ。
石弾が効かなかったセカード村のヌシにも効果てきめんだったその二つなら、加護ごとフェルニルに攻撃を加えることができそうな気がする。
……けれどひとつだけ大きな問題があるんだよね。あの大きさの幼鳥に槍弾や円斬をブチかませば、さすがに即死は免れないと思うんだよなあ……。
隣に立つリアをちらりと見る。リアはたった今攻撃をされたばかりだというのに、フェルニルを見つめる顔には恐怖や敵対心はなく、心から同情した悲痛な表情を浮かべていた。
……うーん。やっぱりできることなら、フェルニルを助けてあげたい。
リアから頼まれたわけではないし、俺だって自分の身が大事だ。けれどもせめて助けられるかどうか、一度くらい挑戦してからでも遅くはないだろう。長い人生、後悔はひとつでも少ないほうがいい。
なにより今も首にかけている銀鷹の護符には何度も助けられているのだ。このへんで少しでも恩を返しておきたいよね。
そうなると――
「リア、ちょっとごめんよ」
俺はリアの後ろに回り込み、手を差し入れて横に抱いた。いわゆるお姫様抱っこだ。伯爵令嬢だから、本当の意味でのお姫様だっこになるのかな。
「ふわっ、ママママママリー様!?」
あたふたと俺の腕の中でリアが騒ぐけれど、少しの間だけ我慢してほしい。しっかり掴まってとだけ伝えた俺は、風属性のマナを練り込みながらフェルニルの動きを待つ。
「さあフェルニル、今度こそ小娘を痛めつけてやりなさいっ!」
「クルルルルッ!」
ダルカンの声に反応したフェルニルは、再び俺たちに向かって一直線に突っ込んできた。
だが今度はくちばしではなく、鋭い鉤爪のついた足をこちらに向けている。これならくちばしよりも攻撃範囲が広い、今度は逃さないということか。だが――
「浮遊」
上に逃げることは想定していなかったのだろう、風属性のマナを全身に帯びた俺の体が飛び跳ねるように真上に上昇し、鉤爪の一撃を難なく躱す。けれども避けるだけではさっきと何も変わらない。俺は即座に地表に溜め込ませた風属性のマナを発動させた。
「クルルッ!?」
俺たちのいた場所を通過する直前のフェルニルがビタッと動きを止め、短い鳴き声を上げた。思ったとおり、大量にマナを込めた攻撃には加護の力は効かないみたいだ。俺は重ねるようにもう一度、じっくりと練り込んだ風属性のマナをフェルニルへとぶつけ――
「――風縛!」
「クピイイイイイイ!!」
俺が捕縛魔法風縛を発動させると、叫び声を上げたフェルニルはその身をグルグルと高速に回転し始めた。
以前マザーストーンリザードに喰らわせた時は縦回転をしていたが、今回はなぜだか横回転。相変わらず操作が難しい。
本当は両側から同じだけの力を込めて身動きを取れないようにしたいのだけれど、これはこれで相手を混乱させられるので都合がいい気がしてきた。とにかくお陰でしばらくは時間を稼げるはずだ。
「行くよ!」
俺はリアを抱きかかえたまま、天井すれすれまで浮上する。その時、腕に抱いたリアが顔を赤らめ、うわ言にように呟くのが耳に届いた。
「お空を……やっぱり……天……様……」
様子が少し気になるけれど、今はとりあえず大人しくしてくれるならそれでいい。俺は宙に浮かびながらダルカンの頭上に移動すると、ダルカンはこちらを見上げてじたばたと短い足を踏み鳴らした。
「フェルニル! どうしたのですか!? 早く戻りなさいっ! 小娘っ! どんな魔道具を使ったのかは知りませんが、たっぷりおしおきをした後でそれについても吐いてもらいますからね? 小娘風情が私に逆らったことをわからせてやりましょう! ぐふーっふっふ!」
この期に及んで強気なダルカンは、どうやら風縛や浮遊を何かの魔道具を使ったと思っているらしい。それはどうでもいいんだけれど……。さらにダルカンが言葉を続ける。
「さあフェルニル! わざわざあなたの得意な空中で小娘が待ってくれていますよ? あの愚かな小娘に、その鋭い爪を食らわせてやりなさいっ!」
……さっきから小娘と連呼されるたびにイライラが募っていく。
そうだ、どうして俺は女装をしているんだ。もうここまでくれば、隠さなくてもいいだろう。
俺は髪の間に指を入れ、少々強引にウィッグを脱ぎ去った。体を動かして少し汗で蒸れた頭皮に涼しい空気が染み渡る。
「なっ!? えっ、小娘……いや、あなたはセリーヌさんと一緒にいた子供……! なぜっ……!?」
さすがに気づいたらしいダルカンが、こちらを見上げながら瞼の垂れた目を大きく見開く。俺が言い出したこととはいえ、女装することになったのは元を正せばコイツのせいだ。
コイツが悪さをしなければ――
俺がマイヤに無理やり服をひんむかれることも、下着まで剥ぎ取られることも、リアの下着(新品)を穿かされることも、作戦会議中にトライアンからねっとりと見つめられることも、会議後にトライアンから首筋を撫でられることも――なにもなかったのだ。
そう思うとふつふつと怒りがこみ上げてきた。……徹底的にやってやる。
マイヤには状況に応じてなるべく生け捕りするようにと言われているけれど、悪運が強そうだからきっと大丈夫だろう。ガマガエルのようにヌルッとうまい具合に助かるかもしれない。うんうん、こういうタイプはしぶとく生き残るもんだ。
俺は頭の中でアイテムボックスのリストを思い浮かべ――
《ナーブ原木 たくさん》
シュルトリアで数え切れないくらい伐採しまくった原木が、こちらの思考に沿ったようなラベリングで浮かび上がった。いくら護符で守られていようが、これだけの量は防ぎきれないだろう。
俺は真下にいるダルカンに手のひらを向けると、文字通りたくさんのナーブ原木をそのまま真下に向けて、ただ、取り出した。
一瞬で眼前を埋め尽くすかのように原木の山が広がり、広間にはダルカンの悲鳴が響く。
「ひあっ! なんだこれは!?」
次の瞬間、落下していく原木の激しい音と地響きにダルカンの声がかき消された。