34 翌日
家に帰ると食堂のテーブルを拭いていた母さんが出迎えてくれた。母さんは何も心配はしていなかったようだ。どちらかといえば父さんの方が俺達を見た瞬間、心底安心したような顔を見せていた。
セリーヌとニコラは風呂に入り、俺は今日の出来事を話しながら宿の手伝いをする。仕事が終わると遅めの夕食となるが、今日のお礼ということで家族の食事にセリーヌを招待した。そして今日一日体験したことを話しながら楽しい夕食を過ごした。
――――――
そして翌日。俺は日課である空き地の畑の世話に出向いた。昨日は空き地には行けなかったので、畑の様子が少し気になる。ちなみにニコラは俺が家を出る時まだ寝ていた。
空き地に到着し畑の様子を見てみたが、特に変わったところはなかった。さすがは魔法トマトだ。とりあえずいつものように畑にマナを注入していると、普段なら昼過ぎにやって来るギルが朝のうちからやって来た。
「おお坊主、昨日は珍しく来なかったな。何かあったのか?」
昨日は空き地に行かなかったのを気にしてくれたのかもしれない。マナを注入する手を休め、ギルに答える。
「セリーヌに町の外に連れて行ってもらったんだ。ギルおじさんに言っておけばよかったね」
「ハッハ、子供がそんなの気にせんでええわい。セリーヌっていうと、坊主のところによく泊まってる黒いドレスを着た姉ちゃんか。見た目はともかく面倒見はいいんだな」
やっぱりセリーヌの見た目って浮いてるんだな。服装は目立つわりに中身は結構まともだと思うんだけどね。
「うん。それで外に出て、初めてゴブリンを見たよ」
「そうか。ゴブリンを見てどう思った?」
「魔物って怖いね」
「そうだな。ゴブリンが弱かろうが魔物は本質的に怖いもんだ。それが分かれば上出来だな」
ギルが腕を組み頷く。返り討ちには出来たが、それとこれとは話は別だ。話の通じない魔物が悪意を持って襲いかかってくるというのは、思っていた以上にストレスを感じた。前世では似たような経験といえば、幼い頃に犬に追いかけられたレベルしか無かったしな……。
そういった魔物と対峙しなければならない冒険者という職業は、腕っぷしだけではなく心も鍛えておかないとやっていけない職業なんだろう。そういうのを知れた昨日の体験は本当に有意義だった。
「この話はデリカ親分には内緒にしてね。また悔しがったりするかもしれないから」
「もうそれくらいで悔しがらないわよ!」
「げえっ親分!」
いつの間にか背後にデリカがいた。脳内でジャーンジャーンと効果音が鳴り響いている。
「げえって何よ……。少し前に家の手伝いで父さんと一緒に近くの村まで行ったことだってあるし、もうそういうので悔しがったりするような歳じゃないわ!」
デリカが赤毛のポニーテールを振りながら胸を張る。
「それよりも! ジャックとやりあったそうじゃない。大丈夫だったの!?」
「あれ? なんで知っているの?」
「昨日、月夜のウルフ団の巡回中に偶然ジャックと会ったのよ。いつもなら喧嘩をふっかけてくるか、からかってくるかなのに様子がおかしかったもんだから、しつこく聞いてみたのよ。するとあんたに決闘で負けたんだって言いながら走って逃げて行ったわ!」
ジャックも敗戦の心の傷が癒えぬ間に大変だったな。
「そういうことか。僕は平気だったよ」
「ふーん、やるじゃないマルク! これでしばらくはジャックも静かになりそうね」
「へえ、坊主が喧嘩をねえ。普段おとなしいのにやる時はやるもんだな。どうやったんだ?」
ギルが興味深げに聞いてくるので、俺は土魔法で身動きを取れなくして降参させたことだけを説明した。パンツを下ろした件は彼の名誉のために言わなかったよ。
「マルクの魔法ってやっぱりすごいのね! ユーリもいつもすごいすごいって言ってるわ!」
デリカの影に隠れていた弟のユーリがコクコクと頷く。以前からたまにユーリからの熱視線を感じていたけど、アレって魔法を見てたんだな。変なアレじゃなくてよかった。
「ユーリだってすごいよ。この前教会で見たけど、もう親分達と同じ勉強してるんでしょ?」
ユーリは俺の一つ上の七歳、デリカは十歳だ。
「……勉強、好きだから」
ユーリが照れたように呟く。
「教会で本を借りて家でも読んでるのよ! それであんまり家に閉じ籠もりすぎだから、月夜のウルフ団を結成して、町を巡回するのに連れ出すことにしたの!」
思わぬところで結成秘話が聞けたな。あ、そうだ。教会と言えば……
「そういえばジャックと決闘する時、教会の裏庭で畑を見たよ。マナも感じられたけど、あれって教会で作ってるんだよね?」
「あれはシスターのリーナさんが育てているものね。孤児院の食事に使ったりしてるって聞いたわ!」
リーナは二十代中頃のシスターさんだ。先日の教会学校でも勉強を教えてもらった。
「そうなんだ。ちょっと見ただけだけどキャベツとキュウリが植えられてたよ。今度詳しく聞いてみようっと」
「最初に焚き付けたワシが言うのもなんだが、その歳で畑に興味を持つのは変わっとるな」
ギルが呆れた声をあげたが、野菜のバリエーションが増えれば食卓のメニューも増えるし、将来の生活のヒントにもなるかもしれない。知っておくに越したことはないのだ。
俺は次回の教会学校でリーナに聞きたいことを考えつつ、畑へのマナの注入作業を再開した。
 




