327 人さらい
二階建て民家の屋根に乗り、マイヤの腰に回した手を離した。するとマイヤがくるっと反転し、俺の肩を両手でがっしりと掴む。
「マッ、マルクお前っ! 浮遊魔法が使えるのか!?」
「あれ? セリーヌに僕のことを聞いていたんじゃ?」
「あたしがいくら聞いても、どんな才能なのか何も言わなかったんだよ。とにかくすごい、天才、とんでもない、規格外、いい子、かわいい。褒め言葉だけならたくさん聞いたがな……」
昨日のことを思い出したのか、マイヤはうんざりしたように顔をしかめると俺の肩から手を離した。
どうやら俺が照れるくらい褒めてくれたにもかかわらず、それでも中身は一切語らなかったようだ。別にマイヤにならいいのにと思ったけれど、それがセリーヌの冒険者としての矜持なんだろう。やっぱりセリーヌはいい人だね。
ところで俺の話もいいけれど、さっきのマイヤの衝撃発言はどう処理すればいいのだろうか。これはやはり聞かなかったことにするべきなのかな? ――などと思っていると、ニコラから念話が届いた。
『ふひひ、マイヤって領主様狙いなんですねえ。マイヤは元々冒険者ですし、領主様も以前は冒険者ギルドに入り浸っていた……。そしてマイヤは突然冒険者を辞めて今は伯爵家のメイド。なにやらステキなドラマがありそうですねえニヤニヤ』
なかなか説得力のあるストーリーだな。そしてそんな下世話な念話を飛ばしつつも「マイヤお姉ちゃ~ん……。ニコラ、高い所が怖いよう」と俺の背中を乗り捨て、再びマイヤの腰にしがみついたのは器用なものだと思った。
その様子に思わず力が抜けそうになるが、今は絶賛トラブル中だ。俺は気分を切り替えるように短く息を吐いて二人から視線を外すと、屋根の上からそっと真下を覗き込んだ。
眼下にはさっきまで歩いていた幅二メートルほどの細い路地が広がり、その路地に俺たちを追跡していたと思われる三人組がちょうど入って来たところだった。
だらしなく衣服を着崩した、いかにも町のチンピラといった若い男たちだ。路地からチンピラたちの声が聞こえてきた。
「ああ? ここを通ったはずだよな?」「お、おう、そのはずだが……」「まずいぜ、見失ったか?」「おいっ、こんな一攫千金の機会は二度とねえんだぞ!」
そのうちの一人はなにかの紙切れを手に持ちながら、仲間に檄を飛ばしている。どうやら俺は一攫千金のターゲットらしい。
……さて、尾行を撒くだけならこれでもよかったんだけれど、マイヤの無茶振りがあるからね。こうしてじっと見ているわけにはいかない。俺はマイヤに頷いてみせると、屋根から飛び降りた。
そして今にもこの場から駆け出しそうな男たちの背後に、ホバリングをしながら音もなく着地。まだ俺に気づいてもいないチンピラたちに声をかける。
「なにしてるの?」
「まだ間に合う! 追い――うおっ!?」
突然の俺の声に、チンピラたちが肩をビクッと揺らし慌てて振り返った。そして俺の顔をまじまじと見つめて手に持った紙切れと見比べると、まるで万馬券でも当たったかのように目をギラつかせながらニヤリと笑った。
「おっ、脅かすなよ……。坊や、かくれんぼでもしていたのかな? お母さんたちはどこに行ったんだい?」
「知らなーい。どっか行っちゃった。ここでちょっと待ってなさいって」
俺が無邪気な子供を装って答えると、三人が顔を突き合わせて相談する。ひそひそ声だが丸聞こえだ。
「どういうことだ?」「わからんが好都合じゃねえか? あのガキで間違いねえ」「そうだな」「邪魔がこねえうちに……」
普通の九歳でも、この普通じゃない話し合いを聞けば慌てて逃げると思うのだが、チンピラたちはそうは考えていないらしい。彼らは話し合いが終わり互いに頷くと、作り笑いを浮かべながらじりじりと俺に近づき始めた。
「そうか、お母さんも妹もいないのか。それなら俺たちと一緒に楽しい所に行かないかい? 坊やの好きそうなおもちゃもたくさんあるよ」
「ううん。僕、ここでお母さんを待ってる」
俺の話を聞いてもくれない三人は、笑顔を崩さず一歩、また一歩と間合いを詰めていく。そして一番前の男が俺に触れられる距離まで近づくと、貼り付けた作り笑いもついに剥がれ落ちた。
「つべこべ言わず……ついてこいってんだよっ!」
男は威嚇のつもりなのか、大声を上げながら俺の肩に手を伸ばし――
――俺はそれを左手で振り払った。
エーテルの影響だろう、子供にしては強い力で腕を弾かれ、男は驚愕の表情を浮かべる。すかさず俺は男の腹に手をかざすと、手のひらからサッカーボールほどの泥団子が生成された。
「泥玉」
――ボゴンッ!
鈍い音を立てながら泥玉を腹に食らった男はそのまま後ろに吹っ飛び、そのまま受け身をとることなく地面に激突すると後ろにゴロゴロ転がっていく。
その様子を残り二人が口をポカンと開けながら凝視し、顔を見合わせた。
「えっ? は? なに!?」
「まっ、魔法だ! このガキ魔法を使うぞ!」
チンピラたちは急いで懐から短剣を取り出したが……もう遅い。
初手は勘違いの可能性を考えて少し様子見をしてみたけれど、襲いかかってきた時点で人さらい確定だ。後は先手を取り続けるだけ。ずっと俺のターンなのだ。
チンピラたちが短剣を構えた頃には、俺の泥玉はすでに男たちの目前に迫っていた。
「へぶっ!」「ぐぼっ!」
口から胃液を吐きながら二人が後ろに吹き飛ぶ。一人は路地の片隅にあったゴミ置き場の中に頭からつっこみ、もう一人は地面を転がったあと、腹を押さえながらうずくまった。意識のあるのはこの男だけのようだ。
「ねえ、お兄さんたち、誰かに頼まれて僕をさらいに来たの?」
「ひっ、しっ、知らねえ! 俺は兄貴たちに誘われただけなんだ! お願いだ勘弁してくれ!」
男が額から脂汗を流しながら俺に懇願する。その表情からは真実なのか嘘をついているのかは俺にはわからない。
うーん……。背後関係も俺が調べたりするの? さすがにそれは俺にはかなり荷が重いんじゃないかなあ……。そう思いながら頭上を見上げると、ちょうど背中にニコラを背負ったマイヤが屋根から飛び降りたのが見えた。ニコラが短い悲鳴を上げる。
「ヒィッ――」
ダンッ! ダンッ! ダンッッ!
三角飛びの逆バージョンのように落下しながら壁から壁に跳ね返り、落下の衝撃を落としながら、あっと言う間に着地した。パワフルすぎる。
マイヤに脇を抱えられながら、地上に降ろされたニコラはそのままペタンと地面に腰を落とした。俺がコンテナハウスから飛び降りた時よりもずっと怖かったのだろう。顔面蒼白のニコラから念話が届く。
『私が屋根で待ってるという間もなく……。お、お兄ちゃん。替えのおパンツって、アイテムボックスに入ってましたよね……?』
『お、お前まさか……』
いや、それ以上は言うまい。俺はアイテムボックスのニコラの旅行グッズの中から一切れの白い布を取り出し、そっと手渡してやった。
マイヤはそんな俺たちの一幕にも気づかず、地面に落ちていた紙切れを拾い上げる。さっきまでチンピラの一人が持っていた物だ。
「ははっ、上手いもんだ」
そう言って俺に紙切れを見せる。そこには俺の似顔絵が描かれていた。率直に言ってかなり上手い。黒一色だが筆の濃淡で俺の髪色のグラデーションまで再現しており、似顔絵の端には髪色やおおよその身長までメモ書きされていた。
「ダルカンは若い頃は絵を嗜んでいたそうだし、これを書いたのはダルカンかもなあ」
マイヤの発したダルカンとの言葉に、うずくまっていた男の肩がビクンと揺れた。これはビンゴなのかもしれない。
「マルク、ご苦労だったな。後はこっちに任せな」
マイヤは唇に指をあて、輪っかを作ると大きく息を吸い込んだ。
「ピュイーーーーーーッ!」
口笛が路地に響く。するとすぐに数名の男が路地まで入って来た。いかにもその辺にいそうな庶民の私服姿だが、その眼光は鋭い。俺たちを監視していたらしい面々なのだろうか。
「おそらくダルカンの手の者だ。とりあえず身柄の拘束を頼むぜ」
「はっ!」
男たちはチンピラの拘束を始める。意識のあった男も抵抗する気はないようだ。あっという間に拘束が終わり、いつの間にか路地に横付けされていた馬車の中にチンピラを放り込んでいく。
「それにしても見事な手際……! さすがはマイヤさんです! それでは後のことは我々にお任せを!」
男は少し熱っぽい目でマイヤを見つめながら称賛の声を上げると、敬礼をして馬車に乗り込んでいった。
「やれやれ。やったのがあたしだと思ったみたいだよ。まっ、誤解はすぐに解けるだろうがな。……それにしても」
マイヤは言葉を区切り、俺の全身を無遠慮にじろじろと見ると、
「……なるほどねえ。セリーヌもトライアン様も、お前に入れ込む理由があたしにもよーくわかったよ」
ニカッと笑い、俺の頭をガシガシと強く撫でまわした。
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