316 伯爵家の客室
活動報告に書籍版のキャラデザ紹介第二弾を公開しました。
セリーヌ、エステルがそれぞれ個室に通され、最後に俺を案内して使用人は速やかに去っていった。
使用人を見送り、バタリと扉を閉めた俺はくるっと半回転。宿屋の息子として興味がなかったといえば嘘になる、伯爵家の客室が目前に広がった。
意匠を凝らしたクローゼットにふわっふわの大きなベッド。天井を見上げればチャチなランプなんかではなく、緻密なガラス細工に覆われたシャンデリアが吊り下げられている。
さすがに伯爵城の来客用の部屋だけあって、自分の家の宿屋を含め、これまで泊まったどの部屋よりも豪華だ。比較しても仕方がないとはいえ少しだけ悔しい。
ふと思い立った俺は柔らかな絨毯を踏みしめながら、艷やかで美しいカーテンを両脇に構えた壁際の出窓へと歩く。そして窓枠に指をスーッと滑らせてみた。
「マジか……」
思わず口から驚きが漏れる。俺たちが入る前に急いで掃除をしたのか、それとも普段からやっているのかは分からないけれど、指先に埃ひとつくっつかない。あまりに完璧なので無理やり欠点を探してみたというのに、思わぬ反撃を食らってしまった形だ。
今更ながら、こんなところに招待されてよかったのかな、謹んでお断りするのが普通なんじゃないのかなと、小市民チックな気持ちが湧き出てきそうになってくるね。そこで俺はその気持ちを吹っ切るように、緻密な刺繍入りの掛け布団が載せられている大きなベッドに全身で飛び込んでみた。
さすがは貴族ベッドだ。柔らかな羽毛が俺の体を捉えて離さない。音も立てずに沈み込む掛け布団の感触を楽しんでいると、ゆるやかに眠気が俺を包み込み始めた。こんなベッドで毎日眠っていたら人間がダメになりそうだなー……。そんなことを考えながら俺は眠りに落ちた。
――コンコンと扉を叩く音で目が覚める。急いでベッドから飛び起きて扉を開けると、俺たちを案内したのとはまた別の使用人(やはり美少年)が夕食の準備が整ったとの知らせと共にやってきた。
後ろにはセリーヌとエステルも控えていた。見れば二人も寝起きのようで、目をしょぼしょぼとさせている。やはり二人ともあのベッドの魔力には抗えなかったのだろう。
俺たちは使用人に案内され、大きな扉の前に立つ。
使用人が仰々しく扉を開けると、そこには俺が買ったお気に入りの絨毯のさらに何十倍もしそうな赤い絨毯と、目がくらむほど真っ白で長いテーブルがデンと構えていた。いかにも貴族のダイニングルームだ。
テーブルの最奥にはトライアン、すぐ近くにはリアーネが座っている。更にその隣には、お腹をパンパンにしたニコラが座っていたよ。これから夕食だというのに、ずいぶんと餌付けをされたらしい。
席に案内されながらニコラに念話を送る。
『かなり気に入られたみたいじゃないか。ここでならお前の理想の寄生生活が出来るんじゃないの?』
膨らんだお腹をさすりながらも顔はゲッソリさせるといった芸の細かいことをしながら、ニコラが念話を返す。
『勘弁してくださいよ。リアに構われすぎるとストレスで死んでしまいます。寄生しながら自由を楽しむのが私の目標ですからね。ここには……自由がないっ……!』
まあそう言うだろうと思っていたけどね。ニコラは『それにここだとママパパにも会えませんし』と付け加えると、お腹をさする作業に戻った。これから出てくる夕食も豪華だろうし、食い意地の張ったニコラらしく消化を促しているのだろう。
俺たちが席に着くとトライアンが軽く口上を述べ、その後に料理が続々と運び込まれて夕食が始まった。
コース料理のように運ばれてくるのかと思ったけれど、どうやら最初からすべてのメニューがテーブルに置かれるようだ。俺たちに合わせてくれたのか貴族も元々そうなのかはわからない。
俺はまず、目の前に鎮座する赤くてらてらと光る分厚いステーキをいただくことにした。
ナイフをあてるだけで切れた肉をフォークで突き刺し口に運ぼうとすると、ソースは最低限しかかけられていないというのに、まるで肉から香り立つようないい匂いが漂ってきた。
これは期待できるなと思いながら口に入れた瞬間、口の中にさっきの香りが充満し、それだけで幸せな気分だ。そして香りを楽しんでいる間に肉は溶けるように無くなってしまった。さすがお貴族様は良い物を食べてるなあ。
俺の驚きと感心が顔に出ていたのか、それを目ざとく見ていたらしいトライアンから解説が入る。
「それは我が領の北に位置するリベア山脈に住まう小竜のステーキだよ」
「まあ、もしかしてコープスドラゴンでしょうか?」
肉よりもまずはワインを楽しんでいたセリーヌが声を上げる。
「正解だ。君はコープスドラゴンを狩ったことは?」
「一度だけ。臨時でパーティを組んで狩ったことがありますけど、それだけですわ。群れを作るドラゴンなだけにこちらも数であたる必要があるので、苦労のわりに儲けが少な……失礼」
「はは、気にしなくていい。そういえば失礼ながら調べさせてもらったのだが、セリーヌ、君はソロ冒険者だったね。『男嫌いのセリーヌ』といえば領都でも有名だったそうじゃないか」
「ええ、まあ……」
生まれ故郷だけではなく、領都でも男嫌いと言われていたのか。筋金入りだなあ。セリーヌの渋々ながらの肯定に、トライアンが眉尻を下げながら言葉を続ける。
「……実は、恥ずかしながらうちのリアーネも男嫌いとまではいかないが、かなり男性が苦手なようでね」
「まあお父様! わたくし、別に殿方が苦手なわけではありません。ただ……こうもたくさん殿方に囲まれると、うんざりとしてくるのも仕方ないのじゃありませんの?」
心外だとばかりにリアーネが口を挟み、ダイニングルームで細々と働くイケメン使用人たちを見回してげんなりとした顔を見せた。
たまたま女性を見かけないだけだという可能性に賭けていたんだけれど、やっぱり普通に男性率が高かったのか。……ふかふかの温かい椅子に座っているというのに再び俺の尻を悪寒が襲う。
するとまたしても俺の顔色を伺っていたのか、トライアンが付け加えた。
「恥ずかしながら私は妻と結婚する前はそれなりに遊んでいてね。妻と出会ってからは妻一筋だというのに、妻はヤキモチから使用人の採用を極力男性に絞っていたんだ。その妻が亡くなってからも使用人の入れ替わりがほとんどなくてね、今もこういう有様というわけさ」
傍らに控える執事アレックスが咳払いをするのを気にも止めず、トライアンが伯爵家の内情をぶっちゃけて肩をすくめた。本当にそれだけか? と思わなくもないけれど、人は信じたいことを信じるものなのだ。俺は信じる。信じるとも。
するとノンケのトライアンが、ふと思いついたようにポンと手を打つ。
「――そうだ。明日以降、君たちには監視付きで外出許可が降りるわけだが……監視の一人としてリアーネを付けてもいいだろうか。無論他にも護衛が同行するので君たちの手を煩わせることはないと約束しよう。リアーネ、君も同世代の男の子なら少しは刺激があるだろう?」
「ええっお父様!? わたくしは明日もニコラちゃんと二人でお部屋で――」
「ニ、ニコラはお外に行きたいな! お兄ちゃんも一緒に!」
リアーネに腕を抱かれたニコラがうわずった声をあげながら、俺に向かって片目をバシンバシンとウインクしている。どうやら俺を道連れにする気マンマンらしいけれど、念話を忘れるほどに必死なのか……。
「お兄、ちゃん……?」
そこで初めてリアーネが俺の方に顔を向けた。今までは眼中になかったんだよね。もちろん知っていたよ。




