315 リアーネ
リアーネに手を握られ、プルプル震えているニコラに念話を送る。
『助けてって……。すごくかわいい女の子じゃないか? いつもなら自分からセクハラしにいくクセに』
そういうのじゃないんだろうなと思いながらも言ってみた。案の定、すぐさま反論が返ってくる。
『私はさわさわしたりクンカクンカするのは好きですけど、されたいわけじゃありませんから! それにホラ見てください、この伯爵令嬢の顔! トロ顔でハアハア言ってますよ! さすがにこれはありえないでしょう!?』
たしかに荒い息を吐きながら詰め寄っているリアーネの顔は、だらしなく蕩けきってはいるけれど。
『……お前だってセクハラしてる時、相手には見せてないけど大体あんな顔だよ……』
『ウゾダドンドコドーン! 超絶かわいい私があんな作画崩壊させているわけないでしょう! ――って今それはいいですから、とにかくっ、助けてお兄ちゃーん!』
俺とニコラが念話を交わしている間にも、顔を赤らめたリアーネが迫る。
「わたくし、こんな気持ち初めてですの! きっとわたくしたち、良いお友達になれますわ! それで、あの、お名前は!?」
ぐいぐいと顔を近づけるリアーネに観念したのか、ようやくニコラが口を開く。
「ニコラ、だよ……」
「ニコラ! まあっ、なんてかわいらしい名前なのかしら! わたくしのことはリアって呼んでくださいね!」
「リ、リア様……」
「わたくしたちはお友達になるんですもの! 様はいりませんわ!」
「じゃあ……リアちゃん……」
「うれしいわ、ニコラちゃんっ! うふふ! ちゃん付けで呼び合うだなんて、これはもうわたくしたち、親友といっても過言ではありませんわねっ!」
『げえっ、その発想はなかった!』
「ニコラちゃん、あなたのお話を聞かせて! さあ、わたくしのお部屋に行きましょう? 美味しいお菓子をいーっぱい用意いたしますわ!」
「えっ、行くっ! ――ハッ」
「さあさあ、わたくしのお部屋はこちらですわー!」
『助けてお兄ちゃあああああああん!』
お菓子に釣られて頷いたニコラは、そのまま引きずられるようにリアーネに連れ去られてしまった。お付きのメイドもペコリとこちらに頭を下げると足早に付いていく。
どんどん小さくなっていく後ろ姿を見つめながら、トライアンが目を細める。
「……すまないね。私もついつい引き止めそびれてしまった。君たちが心配なようなら連れ戻すように言ってくるが……できることなら、あのままにしてやってはくれないだろうか? ……母親を喪ってからというもの、あんなにはしゃいだリアーネを見たのは久しぶりでね」
――なんて言われたら誰一人何も言えるわけもなく。俺たちはそのままニコラを見送ったのであった。さすがに事案的なことは起こらないだろう、多分……。
少しだけしんみりとした空気を払うように、トライアンが俺たちに向き直ると肩をすくめてみせる。
「さて、それではこれからの予定についてなんだが、急な思いつきだったこともあり、まだ君たちを歓迎する準備ができていないんだ。しばらくこの庭園で待っていてくれるかい?」
そう言ってトライアンは庭園に設置された白いテーブルを指差す。そして後で案内を寄こすと言い残してモリソンやアレックスと共に庭園を去ると、この場には俺たちだけが残されたのだった。
トライアン一行の姿が見えなくなると俺たちは無言でテーブルへと向かい、屋外だというのに砂の一粒も落ちていない綺麗な椅子に腰掛けた。俺は背もたれにもたれかかりながら深い溜め息を吐き出す。
「はあー……」
息を吐きながら全身が弛緩していくのを感じる。どうやら貴族の前だということで、普段よりも肩に力が入っていたことを今更ながらに自覚した。
そういえばトライアンたちが現れ、状況に流されながらここまでやってきたけれど、彼らの目や耳を気にしてセリーヌたちとはまともに会話をしていなかった。今は彼女たちとあれこれ相談するにはいい機会だ。
もしかしたらトライアンはそこまで配慮して、俺たちをこの場に残してくれたのかもしれないな。俺に対するセクハラさえなければいい人なのかもしれない。ほんと、セクハラさえなければね。
そんなことを考えながら、ひとまずは体を休めることを優先させ全身を脱力させていると、セリーヌから疲れたような声が聞こえた。
「なんだか大変なことになったわねえ……」
さすがのセリーヌといえども、領主様を前に緊張していたのだろう。今はテーブルに上半身を預けるようにだらりとさせている。俺の返事よりも先にエステルが声を上げた。
「そうだよね。ボク、領主様のお城に泊まるとか今まで想像したこともなかったよ。ふわあ、いい匂い……!」
エステルの姿は既にテーブルにはなく、周辺の花々を見て回っては目を輝かせている。気疲れよりも好奇心が上回っているようだ。
「私だってまさかお城に泊まることになるとは思ってもみなかったわよ。……まあ私やエステルはいいんだけど……あんたたち兄妹は大変そうね~」
セリーヌが同情するように眉を寄せながら言った。たしかに領主父娘の関心と興味は俺とニコラに集中しているような気がする。野盗を捕まえた主力はエステル、次にセリーヌと報告しているのにだ。解せぬ。解せぬけれど――。
「あはは……。まあこんな機会めったにないし、せっかくだから色々見学させてもらうよ」
俺はそう力なく答えた。結局これに尽きるのである。この世界で様々な経験と知識を得ることは、俺にとってもありがたいことだ。きっと将来への糧になることだろう。
「ふふ、前向きでいいわね。でもそのとおりよ。せっかくのご招待だもの、楽しまないとね」
セリーヌがニッと口元をほころばせた。彼女にしても領主の城というのは初めての経験のようで、好奇心を刺激されているみたいだ。
その後もぽつぽつと話し合い、お貴族様の不興を買うこと無く慎みながらも、お城生活をエンジョイするということで、みんなの意見は一致した。
こちらがよっぽど無作法なことをしないのであれば、問題なくお城で過ごせるのではなかろうかというのが、俺たちのトライアンという貴族に対する評価であった。
◇◇◇
それから明日以降の予定を相談しながら庭園でのんびりとしていると、一人の使用人がやって来た。俺より少し歳上くらいの綺麗な顔立ちの少年だ。城に迎える準備ができたので、客室に案内するとのことだ。
彼に案内されながら城の正面入り口に到着する。大きく開かれた立派な扉の前には敬礼をしたまま微動だにしない衛兵が二人立っており、俺たちは若干緊張しながらその間を通りぬけて中へと入った。
城の中は外見と同様に飾り気は質素なものだったが、ロビーの天井はとても高く広々としていた。そこからさらに使用人に案内されながら客室へと向かう。
城の中では仕事中らしき使用人の姿をちらほらと見かける。通路ですれ違うたびに立ち止まり、俺たちを爪先まで教育の行き届いてるとしか言いようのない綺麗なお辞儀で迎えてくれるのだけれど、ひとつ気付いたことがあった。
ここまでリアーネお付きのメイド以外、女性の使用人を一人も見ていないのだ。行き交う使用人はすべて男性である。しかも全員が若くてイケメンときたもんだ。
もちろん男女に均等な雇用機会を! なんて叫ぶつもりはない。けれどもなんだかお尻に妙な寒気を感じながら、俺は使用人の後ろに続いて歩いたのだった。