310 熱き血潮に
思わぬところからギャレットのプライベートが明らかになったりもしたけれど、滞りなくバーベキューの後片付けは終了。俺たちはコンテナハウス、ギャレットは馬車へと向かい、明日に備えることになった。
とはいっても、後は適当にのんびりしながら風呂に入って寝るだけだ。
そして今は風呂上がり。二階の風呂場から出た俺は、コンテナハウスに横付けされた階段を寒さに体を丸めて足早に降りていく。
二階はすべて風呂場になっているので、一旦外に出ないと一階に降りられないのが欠点だ。冬以外なら気にはならないんだけどね。
「ただいまー。うう、外は寒いね」
風呂上がりの体を冷やさないように、素早く玄関扉を閉めながら声をかける。部屋の真ん中では、セリーヌがテーブルで本を読みながらくつろいでいた。他には誰もいない。
エステルは俺が風呂に入る前にベッドに向かっていたし、ニコラも今いないのなら先に寝たのだろう。あいつは食うのも寝るのも大好きだからな。
「おかえり~。お風呂長かったわね」
「うん。もしかして待っててくれたの? 何か用事かな」
「いーえ。お風呂でのぼせてるんじゃないかって少し心配しただけよん」
「そっか。心配かけてごめんね。ほら、明日領都に着くでしょ? そうなるとお風呂に入れなくなるから、入り溜めしていたんだ」
スリッパに履き替えながらの俺の言葉にセリーヌが軽く吹き出す。
「ふふっ、入り溜めって! 私もお風呂は好きになったけど、本当にマルクはそれ以上ね~。そういうことなら領都の高級宿ではお風呂もあるって話だけど、そっちにする?」
「領都で二泊だっけ? そのくらい入らなくても平気だよ」
風呂に入れるに越したことはないけれど、これ以上セリーヌの財布を痛めたくはない。それに前世の日本人の感覚で潔癖すぎるとこの世界では生きづらいし、少しは慣らさないとね。
しかも領都では丸一日かけて領都観光をさせてもらえるので、一泊余分に泊まる予定なのだ。これ以上甘えたくはない。
そんなことを考えながらセリーヌの方へと歩く――と、絨毯の端にスリッパの爪先を引っかけてバランスを崩してしまった。
「うわっ」
一歩二歩とつんのめったまま前に進むが、やはり少しのぼせていたのか思ったほど力が入らない。これはこのままコケるのか。と思いきや、膝立ちで俺を受け止めようとするセリーヌの姿が目に映り――
――ぽよんっ。
なんて擬音が聞こえそうなものが顔面にぶつかった。ふんわりと沈み込む弾力と、ほんのり温かい体温。風呂上がりのいい匂いもする。どうやら正面からセリーヌに抱きとめられたようだ。
すると俺は床と激突することがなかったことに安堵して気が緩んだのか、それとも全身を包み込む心地よさに何も考えられなくなったのか。思わずセリーヌの腰を抱き枕のように、ぎゅうと抱きしめてしまった。
「っ……!」
ビクンと体をこわばらせたセリーヌの反応に我に返る。……ああ、ニコラじゃあるまいしセクハラはよくない。今のはしっかり謝って、さっさと体勢を戻そう。
「ありがと、セリーヌ。抱きついちゃってごめんね」
「……お子様がそんなの気にしないでいいわよ。もう立てるかしら?」
「うん」
俺はセリーヌから離れようと足を踏ん張る――んだけど、セリーヌの腕が俺の背中に絡みついたままで動かない。
「あの……。腕を解いてくれないと離れられないんだけど」
「ふぁっ!? あ、ああ、ごめんなさいね。……はい、いいわよ」
「ふうっ、助かったよ……って……セ、セリーヌ……」
セリーヌを見上げ、俺は思わず息を飲んだ。そしてなるべく冷静を装いながらセリーヌに伝える。
「ねえセリーヌ、鼻から血が出てるよ……」
俺の声が聞こえたのか聞こえてないのか。なんだかぽわんとした表情を浮かべて赤いものを垂らしていたセリーヌは、そのまま無造作にクシクシと鼻の下をこする。
そして手の甲についた自分の血を見てようやく事態に気付いたのだろう。ギョッとしたように大きく目を見開いた。
「ほわああああ!? こ、これは、その! ……あっ、あー! どうやら私もお風呂にのぼせていたようね! まったくお風呂が好きすぎてお互い困っちゃうわね! これからは気を付けないと!」
セリーヌは早口で答えると、すぐさまハンカチを取り出して鼻を押さえた。その肩はぷるぷる震え、顔が真っ赤に染まっている。コレはこれ以上つついてはいけない事案だと俺は察した。
「そ、そうなんだ。お大事に。それじゃあ僕は先に寝るね……」
「~~~~!」
顔を赤らめながらコクコクと頷くセリーヌを横目に、俺は寝室へと入って行った。
セリーヌは一番風呂だったので今更のぼせるような時間じゃないとか、そういや今日はスッポンみたいな魔物を食べたんだよなとか。色々と頭の中をよぎったけれど、深く考えてはいけない。
一応念のため、今日は空間感知を厳重にしながら眠りにつくことにしよう。……異世界スッポンおそるべし。
◇◇◇
翌日、着衣に乱れもなく清々しい気分で朝を迎えた。
目を覚ましたニコラから開口一番「夢の中でおねショタの波動を感じたのですが、昨晩なにかありましたか?」などと質問されたが、キッパリそんなものは何もないと答えると、納得しかねる様子で首を傾げていた。勘が良すぎて気持ち悪い。
セリーヌとも普段と変わらぬ様子で朝の挨拶を交わし、昨日の鼻血の件は無かったものとして扱われることになった。平穏が一番だね。
そしてその日の昼過ぎ。今まで見たどの壁よりも高い壁が俺たちの目前に広がった。領都――フォルセンを守る外壁である。
さすが領都だけあって、簡単には中に入れないようだ。街道には長々と順番待ちの馬車や歩きの旅人の行列が連なっていた。
――そうして二時間ほど待つことになり、ようやく俺たちの番が回ってきた。門番の一人が馬車の中を点検し、もう一人が俺たちの審査をするようだ。
身分証明にはギルドカードが使えるけれど、持っていない者は門番からのいくつかの質問に答える必要があり、そのうえここでは通行料まで支払うことになる。
ちなみに冒険者ギルドと商人ギルド、どちらもC級からは通行料は免除となるらしい。優秀な人材にはなるべく領都を利用して欲しいということだろう。セリーヌは冒険者ギルドC級なので免除、ギャレットは商人ギルドE級なので有料ということになる。
まずは先頭のギャレットが門番に商人ギルドカードを見せ、身分を証明する。
「よし、いいぞ。次」
さすがにギルドカードを持っていると審査が早い。次にセリーヌが慣れた様子で冒険者ギルドカードを門番に提示した。
すると突然、門番の顔つきが険しいものへと変わる。
「C級冒険者セリーヌで間違いないな? それならば至急、衛兵詰所の方まで同行してもらおうか」




