304 引き際が肝心
エステルの髪色を金から銀に変更しました。
護送馬車を引き連れて、俺たちが乗る馬車がなだらかな平原を進む。この馬車は荷台に屋根がついただけの吹きさらしなので結構寒い。エステル、俺、ティオ、ニコラ、セリーヌの順番で横並びになり、お互い肩と肩を寄せ合って座りながら馬車がトルフェの町へ到着するのを待っていた。
そして荷台で座っているのは俺たちだけではない。大半の衛兵は護送馬車を取り囲むようにキビキビと歩いているが、途中の交代要員として数人の衛兵が俺たちの対面に座っている。
交代要員とはいえ犯罪者の護送中だ。彼らはみな真剣に任務にあたる漢の顔をしている――こともなく、こちらに向ける顔はだらしなく緩んでいた。こちらの女性陣は美人揃いだし、気持ちは分からないでもないけどね。
ミステリアスな雰囲気を醸し出し、防寒具の上からでも分かる豊満な身体を持つセリーヌ。姉御肌で気風がよく、健康的で瑞々しい若さに溢れたティオ。銀髪が美しいクールビューティー(に見える)のエステル。後はニコラもいるが、さすがにニコラに欲情する犯罪者はこの中にはいないと信じたい。とにかく慎重派の野盗も思わず手を出してしまったくらいにはハイレベルなのである。
その綺麗どころの中で唯一の男である俺は、年頃なら嫉妬の視線のひとつやふたつ向けられるかもしれないけれど、さすがに九歳児には特に思うところは無いようだ。まるで空気にでもなったかのように、俺に視線を向ける者は誰一人としていなかった。
そんな中、二人の男がこそこそと話し合っていたかと思うと、意を決したように若い方の衛兵がセリーヌに声をかけてきた。
「あ、あのっ! 今晩の食事の場所はお決まりですか!? 俺たち二人は護送が終われば非番ですし、もしよろしければご一緒にいかがでしょうかっ!」
あまり誘い慣れていないのか、顔が真っ赤である。おそらくこの若い衛兵は隣の角刈りマッチョな衛兵から先陣を切ってナンパをするように仰せつかったのだろう。周囲の衛兵たちがざわつく。しまった先を越された! といったところかな。だが――
「嫌よ。他を当たって頂戴」
「はうっ……!」
セリーヌのそっけない一言に男は絶句。あっさりと試合終了してしまった。周囲の衛兵たちは声をかけなくて良かったと胸を撫で下ろしているように見える。
「まあまあ、そんなこと言わずに一緒に行こうぜ? 町で評判の店はいくつも知っているし、もちろんメシ代は俺たちが出すからよ」
明らかに不利な形勢に、隣のマッチョが慌てて加勢をする。しかしセリーヌはもう返事はしたからと言わんばかりに無言でそっぽを向いた。それを見たマッチョの額に青筋が浮く。
「お、おいっ! なんとか言ったらどうだ!?」
先輩としてのメンツがあるのかな。気分を害した様子のマッチョが声を荒げるが、セリーヌは何も答えずつーんと外を向いたままだ。
「おいっ! 聞いてるのか!?」
「…………」
「チッ……!」
さすがにこの場でこれ以上は言い寄れないのだろう。マッチョの舌打ちの後、この空間を沈黙が支配した。うん、すごく気まずい。
周囲を見渡すと、ティオはレフ村の実家の酒場でセリーヌがナンパをあしらうところでも見ていたのか納得の表情。ニコラは『ナンパを歯牙にもかけないセリーヌをお触りできるのって、ちょっとした優越感がありますよねムホホ……』とセクハラに夢中。対人スキルの低いエステルはオロオロとしている。
俺はといえば、この逃げ場のない馬車で衛兵が交代するまでこの空気の中を過ごすのは少しキツいなあと、溜め息を吐きたい気分だった。
――と、そこでティオが明るい口調で声を上げた。
「ねえ、お兄さんたち。もし今晩の行くお店が決まってないならさ、『フリージア』ってお店は知ってるかい?」
「えっ、フリージア? 一度マチョル先輩に連れて行ってもらったことがあるけど……。もしかして?」
セリーヌに撃沈された若い男が再起動しティオの顔を伺うと、ティオはにっこりと笑いながら頷いた。
「そっそ。私今日からあそこで働くんだ。よかったら今晩はそっちに遊びに来てよ。たぶん私も見習いで少しは顔を出すだろうしさ」
「へぇ……。そういうことなら今晩はフリージアに行くかオイ!」
マッチョなマチョルパイセンが若い男の肩をがっしり掴んで白い歯を見せる。
「ふふ、ありがとね。たくさん飲んでいってよ?」
「おうとも。あんた気に入ったぜ。あんたが酌をしてくれれば何杯でも飲めそうなんだがな。見習いなのが残念だ!」
「あら、お上手だね。そういうことならお兄さんたちを見かけたら、店長にお願いして席に着かせてもらうよ。何杯でも飲んでくれる上客なんだって言ってね」
「ははは、お手柔らかに頼むぜ!」
その後ティオはナンパ男二人に更に周囲の衛兵も巻き込んで、場の空気はすっかり元通りどころか最初よりも和やかな雰囲気に変わった。
さすが酒場で生まれ育っただけにこれくらいのトラブルはお手の物なんだろう。セリーヌも空気を悪くした自覚があるのか、後でこっそりティオに礼を言っていたよ。
ティオとはトルフェの町に着いたらお別れだ。襲撃の時に弱いところを見てしまったので少し心配していたのだけれど、俺なんかが気にするまでもなかったようだ。
◇◇◇
昼過ぎにトルフェの町に到着した。最近はずっと集落やら村やらばかりに滞在していたので、石畳の道路や行き交う人混みが懐かしい。エステルも今までとはまるで違う光景に、耳を上下に動かしながらキョロキョロと辺りを見回している。
実家のあるファティアの町よりトルフェの町の方が少し大きい気がする。トルフェの町の方が少し領都に近いみたいだし当然だろう。全然悔しくなんかないんだからねっ!
「この辺でいいか」
門を通り過ぎ、少し人通りが少なくなった場所で馬車が止まり、御者台に座っていた隊長がこちらに振り返る。
「聞いての通り捕縛した野盗は賞金首になってはいないが、それでも多少の謝礼金は出る。今日中にウチで書類を作って冒険者ギルドに持っていってやるから、明日にでも冒険者ギルドで謝礼金を受け取ってくれ」
衛兵は町直轄の兵士だ。なのに冒険者ギルドで賞金首になってもいない野盗の報酬の受け渡しが出来る。これは町とギルドが協力関係にあるからこそ出来ることなんだそうだ。町に入る際にも身分証明としてギルドカードが使われたりもするしね。今回は事前に話を通してあったようで、俺たちは何もすることなく門を通過することが出来たけど。
「――それとマチョル、コハイ。非番だからってハメを外し過ぎるなよ? 明日は朝から訓練だからな。酒臭かったら承知しねえぞ」
「はっ、はいっ!」
護送車の護衛に回っていた二人が直立不動で返事をした。
それから馬車は俺たちを降ろして去っていった。馬車の中からティオに手を振る衛兵たち、それとは対照的に俺たちを恨めしそうに睨む野盗たちを見送った後、ティオがこちらに振り返る。
「さてと、あんたたちには本当に世話になったね。酒樽ひとつじゃ返し切れないような恩を受けたと思うけど……」
「気にしないでいいわよ。私たちにとってはついでだからね。それにさっきは助かったし。……私も少しは反省しなきゃね~」
セリーヌが申し訳なさそうに頬を掻くが、ティオは快活に笑う。
「ははっ、セリーヌ姉さんはいかにもオトコがいなさそうに見えるし、ナンパなんて飽きるほどされてるんだろう? 断り方が雑になるのは仕方ないよ」
「えっ、そんな風に見えるかしら?」
「見えるよ。なんというか一見しっかりしてそうなのに隙だらけっていうか……。そんなんだから余計にオトコを惹きつけちゃうんだろうね。セリーヌ姉さんなら選り取り見取りだろうに、なんでオトコ作らないんだい?」
「わっ、私は今は冒険者として過ごすのが一番楽しいからいいのよ! そういうのを作るのは、数年あとでもいいんだから!」
ティオの言葉にセリーヌは少しムキになって言い返したが、ティオは首を傾げる。
「数年? 妙に具体的だね。何か予定があるとか?」
「えっ!? べべ別に何もないけど!? なんとなくよ!」
「そ、そう……。えと、それじゃあ私はこれから叔父さんの店に向かうけど――」
ティオはセリーヌの剣幕に気圧されるように後ろに下がると、俺の傍でしゃがみ込んでそっと耳打ちをした。
「大きくなったら絶対遊びに来るんだよ? たっぷりサービスしてあげるからさ。……大人のね」
そして立ち上がり「数年後……あぁそういう――」と独り言を呟くと、セリーヌに向かってにんまりと笑みを浮かべた。
「それじゃあ私は行くよ。また会おうね」
ティオは手を振りながら足取り軽く去っていった。それを見送りながらセリーヌが訝しげに尋ねる。
「……ねえマルク、なんて言われたのよ?」
「ん? 大きくなったら店に遊びに来てねって」
「それだけ?」
「そうだよ」
大人のサービス云々は言わないほうがいいことくらいは分かる。セリーヌは釈然としない表情ながらも「ふぅん」と呟き、ティオの後ろ姿に視線を戻した。ニコラの念話が届く。
『タダ酒とタダお姉さんを楽しめそうですね。いつか絶対行きましょうね』
『そうだね。いつになるか分からないけど、きっとね』
手を振るティオが角を曲がりその姿が見えなくなるまで見送ると、俺は少し感じた別れの寂しさを押し込めてセリーヌに話しかけた。
「それでセリーヌ。これから宿屋に向かうんだよね?」
だがセリーヌは軽く首を振って答える。
「何言ってるのよ。もう宿の予約は取ってるから夕食時に行けばいいわ。それよりもやることがあるでしょう? お酒よお酒!」
ああ、そうだった。酒屋に行って酒をアイテムボックスに入れて運ぶ約束をしていたんだったよ。野盗騒ぎですっかり忘れていた。
「さーて、どこから行こうかしらん? 向こうの通りにいい店があったハズなのよね~。そうね、まずはあの店から行きましょうか!」
セリーヌに手をぐっと握られた俺は、そのまま引きずられるように酒屋をハシゴするハメになるのだった。