248 エビルファンガー
俺は覚悟を決めると、木に寄り掛かるように立っているノーウェルの前へと進んだ。
「ノーウェルさん、僕がやっつけます。下がっててください」
「い、いや、確かに君の回復魔法はすごかったし、ディールが君のことを見込みのある弟子だと言っていたのは聞いている。しかしだからと言って……」
ディールの話はやめたげて。セリーヌの眉間に皺が増えるから。
だがノーウェルが心配する気持ちは分かる。村では青空教室の子供相手にはっちゃけたりディールが何やら吹聴したりで多少は噂になってはいるようだけれど、普段ノーウェルが見ている俺は畑で作ったキュウリを交換して生活している九歳児だからね。
しかしそろそろやってくるであろう特殊個体を前に、延々と押し問答はやってられない。俺はちらりとセリーヌを見た。
「はいはい、ノーウェルさん。とにかく一度マルクに任せてくれる? 私が保証するわよ。あの子ならやれるってね」
意図を理解したセリーヌは俺とノーウェルの間に入ると、彼の胸をトンと軽く押した。すると彼はよろめきながら後ずさり、近くの木につかまって倒れるのをなんとかこらえた。どうやらかなり無理をしていたようだ。
「ほら~、フラフラじゃない。大人しく下がってましょ? ……あっ、いよいよ来ちゃったみたいね」
――ズズズッ……ズズ……
森の奥から何かを引きずるような音が聞こえてきた。そちらに視線を向けると何やら巨大なシルエットが周辺の木や草を巻き込んで、ずるずると音を立てながら近づいて来ているのが見える。
それはすぐに木々の密集したところを抜け、日の光に照らされた。その姿は周辺で一番高い木と同じくらいの大きさの大木だった。違和感があるとすれば、葉っぱが一つもない枯れ木のような姿であることと、根っこがまるで生き物のように動きながらこちらに向かって前進を続けていることだ。
「ええ……? キノコの魔物だよ、ね?」
俺が思わず漏らした独り言にニコラが反応する。
『普通のフォレストファンガスも雑魚なりに木に擬態しようと頑張ってましたからね。その上位存在となると大木になりきることも可能なんでしょう』
『あ、ニコラ。さっきまで静かだったね』
『ええ、わりとシリアスぽい空気だったので黙ってました。サポートは必要ですか?』
『長靴いっぱいください』
『しょうがないにゃあ……。とりあえずあの特殊個体……便宜上エビルファンガーと名付けます。いいですね? ダサいと言うならサポート打ち切りです』
『強そうでかっこいいと思うよ。敵の名前が強そうだなんて俺からすると不安しかないけど』
よわよわきのこ太郎とでも名付けてくれたら簡単に勝てそうな気がする。いや、それはそれで力が抜けそうかな。
『それでは続けます。セリーヌが言っていたようにフォレストファンガスは火が苦手なので、特殊個体と言えどもその性質から逃れられるとは思えません。エビルファンガーにも火魔法は有効でしょう』
『火魔法なあ。火魔法は不得意だし場所が悪すぎるよ』
火魔法が使えないわけじゃないが、コントロールにはかなりの不安が残る。セリーヌほどの手練でも火事の危険を匂わせていた。俺ならどうなるか分かったもんじゃない。
『そうですね。ですから他の攻撃手段で地道に頑張るしかありません。それと気を付けなければいけないのは闇魔法ですね』
『魔力を吸い取られるやつだね』
『ノーウェルを見たところ、根っこや枝に擬態した触手の攻撃を食らうと菌糸を植え付けられ、その時に闇魔法の支配下に置かれるんじゃないかと推測されます。触手攻撃は絶対に食らってはいけませんよ。それとエビルファンガーの周囲には胞子が撒かれると思いますが、これを吸い込みでもしたらお腹の中から菌糸がコンニチワです』
『つまり有効なのは――』
『遠距離からハメ殺し』
『遠距離からハメ殺し』
見事にハモった。それはチキンな俺の大好きな作戦であり、唯一の攻撃手段とも言える。とりあえずいつものヤツで! と再確認しただけの作戦タイムだった。
考えが纏まったというか開き直ったところでセリーヌから声をかけられた。
「マルク~、それじゃ後ろで応援しているから、頑張ってね」
セリーヌは俺に投げキッスを飛ばすと楽しそうに微笑む。以前鉱山に入る時もそうだったけど、セリーヌが一番イキイキしてるのって俺に課題を与えている時だよね。感謝はしているけれど、それはそれとしていつか仕返ししてやりたい。そんなことを考えているとエステルが近づいて来た。
「あの、マルク、その……絶対に負けないでよ?」
「うん、心配しないで」
「はいはい、下がるわよ~」
泣きそうな顔を浮かべたエステルは、セリーヌに無理やり肩を捕まれくるりと反転させられると、背中を押されながら後方へと歩いて行った。ニコラとノーウェルもそれに続く。そうして俺だけがポツンと残された。
そしてその時に合わせるかの様に、ずるずると動くエビルファンガーが俺の射程距離内に入った。射線が木々に邪魔もされないベストスポットだ。
「槍弾」
俺は土魔法で槍を作り、風魔法を纏わせる。俺の攻撃で一番貫通力の高い魔法だ。出来れば一撃で仕留めたい。俺は十分すぎるほどにマナを練り込ませ、それをエビルファンガーに向かって投げつけた。
周囲の枯れ葉や草を撒き散らさせ、真っ直ぐ飛んで行ったランスバレットは――見事にエビルファンガーのど真ん中にぶっ刺さり、その身を貫いていく。そしていとも容易く胴体部分を貫通したランスバレットは、周辺の草木を撒き散らしながら森の奥へと消えていった。
槍を腹に食らったエビルファンガーは歩みを止めた。その胴体部分にはポッカリと大きな穴が空いているが……。
『やったか!?』
ニコラの念話が届く。その台詞を言うのはよせ。それにしても全く手応えがない。あまりに簡単に貫けすぎた気がする。
――ボッボボボボボボ……
俺の予感は正しかったようだ。エビルファンガーは突然奇妙な音を鳴らしたかと思うと、空いた穴の周囲からじわじわと白い物が湧き出して穴をどんどん埋めていき、あっと言う間に穴は最初から無かったかのように塞がってしまった。
『木に見えてもキノコの魔物ということです。あれくらいの傷は胞子が埋めて治してしまうのでしょう』
どうやら俺の初撃は大してダメージを与えられなかったらしい。
そしてランスバレットを食らって、エビルファンガーは俺を敵として認めたようだ。
ヤツに目は無いけれどその意識がこちらに向いた気配を感じ、俺の首筋がぞわりと粟立った。




