231 お姫様だっこ
「こ、子供! 失敗したら次は俺だからな!」
セリーヌと抱き合うような形になった俺にジェラシーを感じているのか、ぶるぶると振動するように浮きながらディールが俺を指差した。
するとセリーヌが耳元で「マルクが失敗するわけないわよね?」なんてプレッシャーをかけてくるけれど、正直なところ厳しいんじゃないかと俺は思っている。
そりゃあセリーヌは決して重い方じゃないと思うよ? でも俺の体格は平均的八歳児程度しかない。普通に考えて八歳児が大人を抱えることなんて出来るのだろうか? 理屈ではそう思うんだけれど、今ここで失敗したら後が怖い。理屈を越えてがんばれ、俺。
俺が密かに気合を入れ直すと、それと同時にセリーヌが首に巻き付けた腕に力を込めて俺の顔を引き寄せた。これで完全な密着状態になったわけだが、正面から抱きつかれるのは魔力供給で気絶寸前のセリーヌを支えることで慣れているので、今更どうということもない。
それどころか今回はいつもと違いセリーヌの意識もはっきりとしているし、我を忘れて俺にいたずらしない分マシとも言えるだろう。セリーヌからもねっとりとした汗の匂いではなく、安らげる森の中にいるような心地よい匂いが漂っている。
しかし今は安らいでもいられない。俺は腹に力を込めると片手をセリーヌの背中に添え、もう片方を尻から膝裏あたりにスライドして体を支えた。思っていたよりは随分と軽いような手応えがある。よし、いけるか!?
(ふんぬっ……!)
俺は口の中で気合の言葉を呟くと、全力でセリーヌを持ち上げてお姫様だっこをした。
セリーヌの豊かな胸が俺の頬の辺りにふんにゃりと押し付けられ、二の腕辺りには尻の感触もあるけれど、今はそれどころではない。俺はセリーヌがずり落ちないようにしっかり支えると、風魔法で宙に浮いた。
そしてふよふよと浮きながら、風属性のマナをコントロールし渡河を開始する。
「ぬうううう! セッリイイイイイイーッヌ!」
『うぷぷ、緑の人が寝取られを目撃した旦那みたいな顔してますよ』
何だか外野がうるさいが、今は集中だ。川の真ん中でドボンと落っこちることだけは避けたい。俺は浮遊のコツを念じながらゆっくりと前へと進む。ふぁーふぉっふゅ~、ふぁーふぉっふゅ~――
「――ふうっ……」
俺は無事に対岸へとたどり着いた。地面にしっかり足を着けるとそっとセリーヌを下に降ろす。
「ありがとね~。それでどうだった? マルク」
「どうって?」
「軽く抱えられたでしょ?」
「そういえば、絶対持てないと思ったけどそれほどでも――あてっ」
セリーヌは俺のおでこにデコピンをかました。
「それはね、マルク。前にあんたが大物の魔物を狩って得たエーテルは、魔力にだけ影響を与えるとは限らないってことなのよ。それぞれの魔物の持つエーテルには個性もあるだろうけど、それでも運動能力に全く影響がないなんてのは稀ね。そして思った通りに運動能力も少しは向上していたみたいね~」
「えっ? そうだったんだ」
「日常生活を過ごしているだけじゃあ、分からなかったでしょうけどね~」
確かに魔力と違って体感することはなかったので、今までまったく気にしてなかった。と言うことは、セリーヌはそれを知らせるために俺に無茶振りをしたんだろうか。こっちとしてはヒヤヒヤだったし、どうせなら最初に教えて欲しかったな。
すると俺の考えが顔に出ていたのか、セリーヌはくすりと笑うと俺のおでこをやさしく撫でた。
「ふふふ、拗ねちゃいやん。よしよし」
「別に拗ねてませんー」
「はいはい、それじゃあニコラちゃんを迎えにいきましょうか」
そう言って立ちあがると、対岸に残されたニコラに手を振りながら呼びかける。
「ニコラちゃ~ん。マルクがそっちに戻るまで少し待ってね~」
セリーヌの声に、対岸からこちらに向かって手を伸ばしたまま固まっていたディールが我に返ったようだ。キョロキョロと左右を見回し、それから腰に手を当てると大声を上げた。
「フ、フハッ。フハハハハ! 子供よ! 天才の俺が教えたとはいえ、なかなかやるではないか! さて、それでは子供の妹よ。お前はこの俺が運んでやろう。さあこい!」
少しでもいいところを見せたいのだろう、ディールがニコラに向かって両手を広げる。しかしニコラはそれに目もくれず、すたすたと川の方へと歩いて行くと川岸で立ち止まった。その後ろをふよふよ浮きながらディールが追いかける。
「子供の妹よ。兄は俺の天才的指導の賜物でレビテーションを習得出来たが、お前には指導していないだろう? 指導をして欲しいのならば勿論やぶさかではないのだが、今は先に川を渡って……うん?」
ディールがニコラの足元を見ながら怪訝な声を漏らす。その足元には水属性のマナが集まったのが見える。
「ニコラ一人でいけるもーん」
そう言い放ったニコラは水の上に向かってジャンプをすると、まるで水面がトランポリンになったかのようにニコラを跳ね上げる。そしてニコラはそのままぴょんぴょんと川の上を飛び跳ねながらこちらへ近づいて来る。
「んなっ!?」
ディールが口をあんぐりと開いて驚きの声を上げるが、ニコラは意に介すこと無く飛び跳ねながら前進を続け、あっと言う間に俺たちの元へと到着した。
『ドヤア……』
「あら~。ニコラちゃん、今の魔法初めて見たわ。やっぱりニコラちゃんもすごいわね~。かわいいかわいい~」
「えへー」
セリーヌがニコラの頭を撫でると、ニコラがいつものように腰にまとわりつきながら、いちゃいちゃと甘え始める。そして対岸からディールのよく響き渡る声が聞こえた。
「フハ! フハハハハ! その場にいるだけで才能を開花させてしまうとは、俺という存在は何と罪深いのだろうな! どうだセリーヌ! 惚れ直したろう?」
『えぇ……。ポジティブにも程があるんじゃないですか?』
ニコラがセリーヌの尻に顔を埋めながらも怯えたような念話を届ける。全くもって同意であるが、これが長年フラれながらも求愛し続けるクソメンタルが見せる凄まじさの片鱗なんだろう。
「はぁ? バカなこと言ってないで早く渡ってきなさい。先に行くわよ」
セリーヌは呆れたような顔でディールを一瞥すると、森の中へと入って行った。
「フハハ! そう照れずともいい! 今行くぞ!」
ディールはその金髪を手でかき上げて胸を張ると、ふよんふよんと浮きながら川を渡り始めた。俺はその一片の曇りのない自信に満ち溢れた瞳を見つめながら、やっぱこの人頭がおかしいなと思った。




