196 熟睡
「――お兄ちゃんはあっちにいるよー」
遠くからニコラの声が聞こえて目が覚めた。どうやら少し仮眠を取るつもりがどっぷりと眠ってしまったようだ。
どうにも魔力を大量消費した時は思った時間に起きられない気がするなあ。寝た時と同じ仰向けのまま目を開くと、目の前はすっかり一面の夜空となっていた。
体を起こして声のした方に顔を向ける。そこにはニコラとセリーヌがこちらに向かって歩いているのが見えた。二人の頭上には光魔法の光球がぷかりと浮いている。
「あら~。なかなか帰ってこないから探しにきたんだけど、エステルと随分仲良くなったのね」
「ん?」
セリーヌが俺の隣を見ながら話しかける。そのセリーヌの視線の先ではエステルがぐっすりと寝入っていた。いつの間にか俺と手まで繋いでいる。結局エステルも俺と一緒に寝てしまったらしい。
足湯が気持ちよくて深く考えずに寝てしまったけれど、よく考えたら俺が寝てしまったらやること無くなるよね。悪いことをしてしまったかもしれない。そんな反省をしているとニコラから興奮気味の念話が送られてきた。
『お兄ちゃん、次はエステルを落としたんですか!? さすがお兄ちゃん。そのたらしっぷりにシビれる! あこがれるゥ!』
『そんなんじゃないからね。ただの友達だから』
軽く念話を返した後、繋がれていた手を離しエステルの肩をそっと揺さぶった。失礼ながらムキムキとしていると思われた肩は想像よりもずっと細くて華奢で、軽く揺するだけでもためらってしまうほどだった。
すぐにエステルは目を覚ますと、ぼんやりと俺を見つめる。
「エステル、ちょっとだけ休むつもりがすっかり寝ちゃってごめんね」
「ふぁ……、あれ、マルク? そっか、ボクも一緒に横になって……」
エステルは体を起こしキョロキョロと辺りを見渡すと、突然足湯から足を抜いて飛び起きた。反動で足湯がピシャンと跳ねる。
「もう真っ暗だ! あれ? セリーヌもいる、こんばんは! ごめんね! 夕食に遅れちゃう! 明日の朝迎えに来るからね! それじゃ!」
そう言い放つと、ブーツとニーソックスを手に持ち裸足で走り出し、あっと言う間に視界から消えていった。裸足で走って大丈夫なのかな。……なんとなく平気そうではあるけれど。
「まったくエステルったら忙しないわねえ。それじゃマルク、私たちも夕食を食べに行くわよ~」
「うん。それと遅くなってごめんね。ぐっすり寝すぎたみたい」
「ふふ、気にしないでいいのよん。私はもう少し待ってもよかったんだけど、母さんがお腹空いたっていうからね~」
セリーヌと話をしながら、すっかり冷えた水から足を抜き、濡れた足をタオルで拭う。俺の足は水分ですっかりシワシワになっていた。俺はさっさと靴を履いて立ち上がると、今更ながらセリーヌの服装に気が付いた。
「あれ? セリーヌ、服を着替えたの?」
昼に出かける時はいつもの黒いドレスだったと思うんだが、今はたまに見かけた白いワンピース姿になっていた。
「え、ええ……。こっちに来て一度も着ていなかったから、ちょっと袖を通したくなってね」
「ぶひゅん!」
突然ニコラが吹き出した。
「寒くてクシャミしちゃった!」
ニコラは自分の腕をさするとセリーヌの腰に巻き付いて「あったか~い」と声を上げる。目が泳いでるしなんだか胡散臭い。
「あらあら。そうね、ちょっと冷えてきたし、急いで帰りましょうか~」
すっかり夕食を待たせてしまっているし、水を撒くのは帰ってきてからでいいか。俺はセリーヌに頷くと、駆け足気味に二人の元へと近づいた。
――――――
「ううっ、マルクちゃん遅い~。もうお腹と背中がくっつきそうだわあ」
玄関の扉を開けると、エクレインがテーブルに顎を乗せながら唇を尖らせている。酒さえ飲めればそれでいいと言ってた人が、酒すら飲まずに待っていてくれたようだ。
俺はエクレインに謝ると、さっそくアイテムボックスから料理を取り出すことにする。お詫びの意味も込めて、とっておきの父さんの料理を振る舞うことにしよう。
「――それにしてもエステルと随分仲良くなったのね~」
セリーヌが父さん特製のハンバーグを食べながら俺に話しかけた。ちなみにエクレインはテンタクルスの塩焼きを肴に美味しそうに酒を飲んでいる。
「うん、友達になったんだ」
「あら、本当? 私もエステルに同年代の友達がいないのを少し心配していたのよね。マルクが友達になってくれたら安心だわ~」
「もしゃもしゃ。エステルちゃんはずっと一人で鍛錬していたから、友達は別に欲しいと思わない子なんだと思ってたんだけど、やっぱり年頃の子だったのねえ。むふふ、もうすぐ『男嫌いのエステル』を襲名しそうだったんだけど」
テンタクルスの塩焼きを口に含みながらエクレインが顔をニヤつかせると、セリーヌが軽く息を吐く。
「まあ、私のみたところ、鼻の下を伸ばしながらお近づきになりたがってる男の子はいたと思うけどね~。あの子はそう言うのすぐ分かっちゃう子だから、自分でも無意識のうちに周りを寄せ付けなくなっていたのかもね」
これはエステルに聞いた話だが、エステルの世代は男の子ばかりで女の子は一人もいなかったらしい。元々それほど大きくない村なのに加え、ハーフエルフは出生率もそれほど高くなく、このように子供たちの性別が偏ることも度々起こるそうだ。
「エステルちゃんももうすぐ村から出て冒険者になるらしいし、その前に同世代の友達が出来たのは良かったかもね。マルクちゃん、エステルちゃんと仲良くしてあげてねえ」
「うん、もちろん。明日からニコラがエステルの家に通うから、付き添いで会うことも多くなるし、仲良くさせてもらうよ」
『うっ、明日から勤労の日々ですか……』
ニコラから低い声の念話が届いた。そういえばまだちゃんと報告していなかったな。
『休みは週三にしてもらったから。母さんを安心させるためにも頑張ってきなよ』
『週三ですか。……とりあえず明日から休みを取って三連休ってことになりませんか?』
『引き伸ばしてもロクなことにはならないだろ……。俺もついていくから諦めて勤労してきなよ』
『ぐぬぬ……。恨み言を言いたいのに、週三休みという絶妙な甘やかされ具合に文句も言えないっ……! なんという策士……!』
そんなことを言いながらもニコラが恨みがましい目で俺を見つめつつ、ハンバーグを口に入れた。途端にニコラの目がとろんと蕩ける。父さんのお手製ハンバーグはさすがだなあ。
――――――
父さんの料理のフルコースを食べ終えて食休みをした後、俺はセリーヌ宅をお暇することになった。
「それじゃあ帰るね。また明日」
「マルク、本当にいいのね?」
セリーヌが心配そうに眉を下げるが、俺は笑いながら答える。
「はは、大丈夫だよ。それじゃあね~」
「ばいばーい」
こういうのはあっさり帰ったほうがいい。俺はセリーヌとエクレインに手を振ると玄関の扉から外に出た。――ニコラといっしょに。
バタンと扉が閉まり、俺は隣のニコラに念話を送った。
『あれ? ニコラ、お前セリーヌの家に泊まるんじゃないの?』
ニコラは表情を変えることなく平然と答える。
『いえ、最初からお兄ちゃん家に泊まるつもりでしたけど? セリーヌにも言いましたし』
えっ、なんで?




