165 エクレイン
扉を通ったセリーヌに続いて中に入り、部屋を見回してみる。
家主はいかにもだらしのなさそうな第一印象だったが、部屋の中は案外片付いていた。しかし部屋の端に置かれた十を超える樽だけが異様な存在感を放っている。もしかして全部酒樽なのかな……。
セリーヌはツカツカとセリーヌ母に近づくと、腰に手をあて説教モードだ。
「母さん~。どうせ昼間っから飲んでたんでしょう? 家にこもってお酒ばかり飲むのは止めときなさいっていつも言ってたわよね~?」
そう言うセリーヌだって、昼間から酒を飲んでいる姿をたまに見かけるけどな。……と思ったけど、ここは言わぬが花だろう。
ぼんやりとセリーヌの言葉を聞いていたセリーヌ母は、大きく息を吐くと椅子にもたれかかった。
「セリーヌが子供を連れて里帰りする幻覚を見るなんてねえ。私もいよいよヤバいのかしらねえ」
「母さん、私は本物よ~」
セリーヌは母親の持っているグラスを取り上げると、すぐさま中身を飲み干した。飲むんかい。
「ん~? その飲みっぷり……。あらあら~、幻覚じゃなかったのねえ。久しぶりねえセリーヌ」
「ええ、久しぶりね、母さん。このお酒の味も懐かしいわ~」
『飲みっぷりで通じ合うあたり、間違いなくセリーヌの母親ですね』
呆れ声のニコラの念話に俺は無言で頷く。
「……ところで、飲むならせめてなにかおつまみを食べなさいよね。お酒ばっかりだと体に悪いわよ~」
「だって作るの面倒くさいんだもの。そんなこと言うならあんたが作ってよねえ」
セリーヌ母は口を尖らせながら、長い耳をピコピコと動かした。どうやらセリーヌ母にはエルフの特徴が出ているようだ。だからだろうか、顔つきもあまりセリーヌに似てるとは言えない。見た目はどちらも若いし美人なんだけどね。
「私が料理出来ないのは知ってるでしょ? むしろこの子たちの方が上手――」
セリーヌの言葉を遮るように、セリーヌ母がパンと手を叩いた。
「――そうそう、この子たちよ! 独り身が寂しいからって、ついに人さらいをしてきちゃったの? さすがにそれはダメよ。今すぐ返してらっしゃい~」
「せめて私の子供って勘違いしてくれないかしら?」
セリーヌが盛大にため息をついた。
「だってえ、あんたに男が出来るとか、絶対思えないしい。この村であれだけ求婚されても鼻であしらっていたあんたがさあ」
「私はね、この村で小さくまとまってるような男たちは趣味じゃないの。……それはともかく、この二人は今私がお世話になってる宿屋の子供でマルクとニコラちゃんよ」
「こんにちはマルクです」
「こんにちはニコラだよ!」
「まあまあ、礼儀正しくてかわいい子たちねえ! 二人ともこっちにおいで~」
俺たちが言われた通りに近づくと、セリーヌ母は椅子から腰を上げてしゃがみ込み、二人まとめてぎゅうっと抱きついてきた。
「うふふ、私はセリーヌのお母さんのエクレインよ。よろしくねえ」
エクレインはセリーヌに比べるとエルフらしいとでも言うのか、全体的にほっそりとしている。不健康な生活をしてそうだからかもしれないけど。そして酒を飲んでいたせいか、体温はめちゃくちゃ高い……って、くっさ! 酒くっさ!
『……うーむ。これはこれで美人の体内で熟成された匂いだと思えば、なし寄りのありなのでは……?』
ニコラが少し青ざめながらも真剣な顔で考え込んでいる。
『無理やりストライクゾーンを広げるのは止めときな?』
俺がニコラの性癖に警鐘を鳴らしていると、エクレインは俺たちを解放してセリーヌと向き合う。
「それでえ、そのお世話になってるお宿からさらってきたの?」
「違うわよ、いい加減そこから離れてくれない? ……色々あって一緒に冒険者ギルドの仕事に行ったんだけどね。ヤボ用で魔物の巣に入ったらそこが崩壊しそうになって、ポータルストーンを使って脱出してきたのよ」
「あらま、大変だったのね。でも楽しそうだわ~。私も戦いが得意ならこんな田舎にこもってないで冒険者になったんだけどねえ」
「母さんの得意魔法じゃ冒険者はちょっとね~」
「そうなのよねえ」
二人同時に頬に手を添え、ふぅと息をつく。こういうところは親子っぽい。
「……っと、そんな話をしている場合じゃなかったわ。ちょっと向こうに残してきた子に連絡を取りたいの。テーブルを使わせてもらうわよ~」
「それはいいけどお。あんたたちどこから飛んできたの?」
「サドラ鉱山ってところなんだけど、知らないでしょう?」
「知らないわあ。でも私が知らないってことは結構遠そうねえ。共鳴石を使うんでしょう? 無理なんじゃないの~?」
セリーヌはエクレインに返事はせず胸元から革袋を取り出すと、拳大の大きさの石を取り出した。相変わらずセリーヌの胸元は宇宙だ。
テーブルに置かれた石は、元は一つだった物をパカンと二つに割った様に片側は綺麗な断面を見せている。セリーヌはその断面を俺の方へと向けた。
「マルク、これに風のマナを込めてみて」
「うん」
よく分からないが、これが共鳴石とやらでデリカと連絡を取るのに使うくらいのことは俺にだって理解できる。俺は椅子に座ると、深く考えずに共鳴石に両手で触れながら風のマナを込めて――
――途端に石にマナを吸われるような感覚に襲われた。
「うわっ」
いくらマナを込めても手応えがなく、どんどん吸収されていくような気持ち悪さに思わず手を離すと、触れていた共鳴石がゴトリと音を立てた。するとセリーヌが俺の手をそっと握り、再び共鳴石へと導いていく。
「離しちゃ駄目よん。吸われるようで気持ち悪いと思うけど、それはちゃんと向こうに届いてるってことだから、気にせずマナを込めるのよ~」
「う、うん。分かった」
今度は気持ち悪さを我慢しながらもマナを込め続ける。すると共鳴石は薄く緑色に輝き始めた。それを見たセリーヌが共鳴石に向かって声を上げる。
「デリカちゃん、デリカちゃん、聞こえるかしら? デリカちゃん、デリカちゃん、聞こえるかしら~?」
「――えっ!? どこからかセリーヌさんの声がしない?」
すると共鳴石から、少しくぐもった様なデリカの声が鳴り響いてきた。




