141 ノック
体をさっぱりさせた後は宿屋へと戻った。
酒場はまだまだ賑わっている様子だったが、セリーヌの姿はどこにも見えない。まさかお持ち帰りされたわけはないと思うので、酒に満足して部屋に戻っているのだろう。ピンク頭のお団子は忙しそうに酒場中を駆け巡り、俺には気付いていないようだ。
酔っぱらい客にぶつからないように酒場の中を横断し、階段を上がり宿泊部屋の扉の前に立つ。ノックをすると「はーい」とデリカの声がした。
だが俺はすぐに扉を開けず、用心することにした。俺は仕込みラッキースケベには屈しないのだ。ニコラならデリカの声マネくらいやってのけそうな気がする。再びノックをした。
「……はーい?」
更にノックだ。コンコン。
「はい?」
少し不機嫌な返事だ。しかしニコラはそれくらい芸の細かいことはやってのけるだろう。念には念を入れてコンコンコン。
「はいって言ってるでしょ!」
ガチャンと扉を勢いよく開けて、眉を吊り上げたデリカが飛び出てきた。どうやらニコラでは無かったようだ。
「デリカごめん。慎重にやらないと、どんな罠があるか分からなかったから」
「ええ? ……もうっ、よく分からないけど入ったら?」
「うん、そうするよ。ごめんね」
素直に謝りながら中に入ると、やはりセリーヌが帰ってきていた。椅子に座って脚を拭きながら俺に顔を向ける。
「マルクおかえり~」
「ただいまー」
『惜しかったですね。お胸はもう綺麗にした後です。脇もですよ? 残念でしたね』
『ああ、そうですか』
『井戸で座り込んだりせずに、さっさと戻っていれば間に合ったかもしれないんですけどね~。おばけでも出たんですか?』
ニコラはベッドに横たわりながらニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。無かったことにしたかったんだけど、やっぱり見られていたんだなあ。
俺としてはその話を続ける気はないので話を変えたいところだが、ふと椅子に座っているデリカが俺をジト目で見ているのに気付いた。やはり先程のノックはおふざけが過ぎたのだろうか。
「デリカ、どうしたの?」
「……さっきセリーヌさんから、ネイと仲良くなったって聞いたんだけど本当?」
「仲良くなったかは知らないけど、ちょっと話はしたよ」
怪我をして泣いた云々は言わないほうがいいだろう。セリーヌもそこまでは説明してはいないと思う。
「ふーん」
デリカは目つきを変えることなく、そっけない態度で答える。
「えっと、それがどうかしたの?」
「マルクって、あんまり男の子の友達っていないなーって思って」
「えっ!? ……いやラングとかユーリなんかは友達でしょ?」
「月夜のウルフ団の他には?」
ええと、ジャックは……違うよなあ。教会学校のリッキーは……兄ちゃんって言って慕ってくれているけど、友達とは違うよな。ギル……は歳の離れた友人と言ってくれたけど……。
言われてみれば男友達は少ないのかもしれない。でも男友達を作ったとして、外で剣術ごっことか冒険者ごっことか、そういう遊びを無邪気に楽しめそうにもないんだよなあ。
それでそれとなく断っていたら、教会学校ではお誘いを受けなくなっただけなんだよね。嫌われてるわけじゃないよね。そうだと信じたい。
しかしそれとは別に、事実は事実として受け止めなければいけない。俺はあっさりと認めた。
「男友達いないかも……」
するとデリカが少し面白くなさそうに口を尖らせる。
「それなのにマルクって、かわいい女の子とはすぐ仲良くなっちゃうよね。パメラとかメルミナとか、今回のネイとか」
おっと、これが本題と見たぞ。しかしデリカが言いたくなる気持ちは分からないでもない。俺だって例えばデリカが旅先で他の男の子と仲良くなっていたら、少しは寂しい気分になると思う。
「たまたまそうなっただけで、顔で選んでるつもりはないんだけど……」
実際のところ顔だけなら、ほんと顔だけなら見慣れた妹が残念ながら一番だからな。
なによりかわいい女の子を集めたところで何をするんだって話だ。かわいいなあと愛でる気持ちが湧くことはあっても、下心が湧いたことは一度もない。八歳の俺には色恋はまだまだ早いということだろう。
「ふーん、そうなの」
しかし俺の答えはお気に召さないご様子。いつも親分ぶったりお姉さんぶるデリカにしては珍しくすねた態度だ。
「まぁ、僕と一番仲がいい女の子はデリカだからね。デリカもかわいいし、かわいい女の子とばかり仲良くなってるって思われても仕方ないのかもしれないね」
言い争うつもりもないので素直にそう答えた。するとデリカは顔を真っ赤にして口をパクパクさせると、
「バッ、バカじゃないの!? 私そういうこと言いたいんじゃないし!」
そう言い放ち、プイッと後ろを向いた。耳まで真っ赤になっている。
『お兄ちゃんもやりますなあ』
『お、おう……』
どうやらデリカもかわいいと認めたことが、デリカには思いの外効いたようだ。人間素直が一番だな。
そしてしばらくの間、ニコラと俺、更にはセリーヌを加えて三人でデリカを生暖かい視線で見ていると、扉がドンドンと雑なノック音を部屋中に鳴り響かせた。
いよいよお待ちかねの来客が訪れたらしい。




