119 セカード村漁師エーサンの話
エーサン(32)視点の話です。
「邪魔するぞー」
俺がこの村唯一の酒場に入ると、ガランとした店内で店主のゲンドが待ちかねたように声をかけてきた。
「エーサンか、いらっしゃい。そろそろ仕事終わりの連中が来るかと思っていたんだが、今夜はお前が一番乗りだ。いつものでいいか?」
さっそく酒を用意しようとするゲンドを俺は慌てて止める。
「いや、待ってくれ。今夜はこれから広場で宴会をするんだ。お前のところでも酒と料理を出してもらおうと思って店に来たんだよ。金は後で村長がまとめて払う。とりあえずこのテンタクルスを酒のつまみにしてくれねえかな」
俺が店の外に置いていた荷車を店内に引っ張り込むと、荷車の上にある胴体の吹き飛んだテンタクルスを見ながらゲンドが訝しげに尋ねる。
「宴会? やけに急な話だな。それに何だよ、このボロボロのテンタクルスはよ? どうせならもっとマシなのを寄越してくれよな」
「まぁまぁ、その辺も含めて説明してやるから、まずは先につまみの方を頼むわ」
「しゃあねえなぁ」
ゲンドは渋りながらもテンタクルスをカウンターの奥に持ち込み、包丁でザクザクと雑に切り始めた。おそらくゲンドの得意料理、酒のつまみに最高に合うテンタクルスのピリ辛炒めを作ってくれるのだろう。料理の出来栄えを想像するだけで喉が乾いてきそうだ。
「で、何があったんだ?」
「すまん、その前にやっぱり酒を一杯だけ頼む」
「……ったく」
ゲンドが呆れた声を上げながら、木のコップに俺のお気に入りを注いでくれた。俺は十分に喉を潤した後、ようやく本題に入った。
「珍しくテンタクルスの買い取り依頼があって、二日連続で魔物漁をすることなったのは聞いてるな?」
テンタクルスが売れた場合、倉庫を管理する爺さんの手間賃を抜いた後、働きに応じて儲けが分配される。大した額にはならないが、それでも臨時収入は無いよりあったほうがいい。
「ああ、こないだも来ていたゴーシュの娘の友達とやらが買い取ると聞いたぞ。たしか土魔法が得意で、広場の滑り台を作ったのもその子なんだろ?」
「そうらしいな。それでその友達ってのとゴーシュの娘が魔物漁に参加することになったんだ」
「おいおい、子供が魔物漁に参加だなんて、大丈夫だったのか?」
ゲンドが心底心配そうな顔を見せる。相変わらず無精髭だらけの強面のくせに気の優しい男だ。
ふらりと村に立ち寄った旅人が、興味本位で魔物漁に参加するのはよくあることだ。殆どの場合は怪我をするか、腰を抜かして途中で逃げる。ゴーシュなんかは筋は良かったが、槍をぶっ壊しすぎて出禁になっちまったけど。
初めて魔物漁を見た連中は、長い槍を持って安全圏から突くだけだと考えるらしい。だがそれは間違いだ。テンタクルスの触手は想像以上に伸びる。
槍だって出来ることならもっと長くしたいくらいなんだが、威力と強度を保つには今の長さが精一杯だ。あの距離で突くだけでも、それなりに怪我を覚悟しなければならない。
「ああ、しかもだ。ゴーシュの娘は俺と同じ集団で漁をすることになったんだが、友達の坊主の方は魔法を使うから一人でやらせてくれときたもんだ」
「はぁ!? 滑り台を作るのと魔物と戦うのは別モンだろう? そんなのは大人がしっかり止めてやらねえと」
普通はそう思うよな。土魔法といえば砂を撒いたり壁を作ったりするもんだ。精巧で頑丈な滑り台を作ったのは大したものだと感心したが、それと戦うのは別だ。
「俺だってそう思ったんだが、村長が許可を出しててよ。まぁ続きを聞いてくれ」
俺はカウンターから身を乗り出しかねないゲンドを落ち着かせ、酒を一口飲んだあと話を続けた。
「それでな、魔物漁が始まって最初にテンタクルスが湧いたのは坊主のところだったんだ。坊主は湖から飛び出したテンタクルスを見ても、構えるでもなく棒立ちでな。こりゃマズいと思って俺はすぐさま坊主のところに走り出そうとしたのさ」
「おお、それで?」
「すると坊主がふいに手の平をテンタクルスの方に向けたんだよ。すると次の瞬間、テンタクルスの頭が破裂したんだ。手の平から何かを出したようにも見えたが早すぎてよく分からなかった」
「なんだそりゃ、魔法なのか?」
「ああ。後から聞いたら、石ころをまとめてテンタクルスにぶつけたらしい。しかも坊主は情けない顔を浮かべると、俺の方に痛めすぎてごめんなさいって頭を下げたんだぜ。意味が分からねえ」
「石ころでテンタクルスを? 信じられねえな。石ころを投げつけてテンタクルスが倒せるなら、村中が一流の漁師だらけになるぞ」
「いや、あれはそういった次元のもんじゃあなかったよ。ちなみにその石ころで吹き飛ばしたってテンタクルスが、お前がいま料理しているヤツだからな」
「……汚え断面だから見習いにでも捌かせたのかと思っていたが、魔法で吹き飛ばしたとでも言いたいのか?」
「その通りだよ。しかも話には続きがあるんだ」
「まだあるのか……」
ゲンドがボヤきながら棚に並んでいる調味料の壺を取り出す。
「その後にヌシが現れたんだよ」
俺がそこまで話すと、ゲンドは細切れのテンタクルスを鍋に入れ火をかけながら、合点がいったように声を上げた。
「……ああ、そういうことか。ヌシのせいで獲物が十分に獲れなかったから、今夜はせめて景気づけに飲んで騒ごうってことだな」
「いや違う。そのヌシを坊主がぶっ倒しちまったのよ」
「……は?」
ゲンドが呆気に取られたような顔で俺を見る。俺も湖ではずっとこんな顔をしていたんだろうなと、思わず吹き出しそうになった。
「現れたら逃げるもんだと相場が決まっていたヌシを、ウチのガキよりも小さい子供が倒しちまったんだよ。信じられないよな。俺だって未だに夢でも見てたんじゃないかと思うくらいだ」
「セカード湖のヌシで間違いないんだよな?」
「そうだよ。俺たちの爺さんがガキの頃から湖に居座り続けて魔物漁の邪魔をしていた、あのヌシを倒したって言ってるんだよ」
ゲンドは俺の目をじっと見つめると、軽く息を吐く。
「……どうやらホラ話って訳じゃあなさそうだな。一体どうやったんだ?」
「最初は土魔法とやらで攻撃してたんだけどよ、効かないと見るとデカい皿みたいなものを飛ばしてスパスパと触手を切ってな。最後は槍で眉間をぶっ刺してあっさり終わっちまった」
「……信じられないような話だな。その子供に怪我はなかったのか?」
「ああ、墨をかけられそうにはなったんだが、それも魔法か何かで防いじまった。けれどさすがに疲れたらしく、ヌシにトドメを刺した後、一緒に来ていた美人の姉ちゃんに寄りかかってコテンと寝ちまってな。あれはちょっと、いやかなりうらやましかったぜ」
「なんだ、それじゃあ宴会に行ってもその子供は見れないのか」
坊主に興味を持ったらしいゲンドが残念そうに呟く。
「まあそう言うな。美人の姉ちゃんの方は宴会に出てくれるらしいから楽しみにしておけ。あんな美人は村ではお目にかかれねえぞ」
「へえ、それは楽しみだな」
独身のゲンドが顔をニヤつかせる。こいつももう少し顔に愛嬌があればすぐに嫁も見つかるとは思うんだが、最近はカイみたいなナヨナヨした奴のほうがモテるからな。コイツは生まれる時代を間違えたわ。
「ああ、だから急いでつまみを作ってくれよ」
「おう、そうするわ。俄然やる気が出てきたぞ。その美人が俺の料理が気に入って村に住み着いてはくれないもんかね。そしてゆくゆくは俺の嫁に……」
独身をこじらせたゲンドがありえない妄想を口にする。不憫なもんだが、一応釘を刺しておかないとな。
「そういうのは考えないほうがいいぞ。その美人の姉ちゃんも、坊主も、坊主の双子の妹だって、……なんていうか俺たちとは全く住む世界が違うんだよ」
「はぁ、なんだそりゃ?」
「まあ実際に見ないと分からないかもな。……酒は俺が先に持って行ってかまわないか?」
ゲンドが首を傾げながらも、カウンターの奥から酒樽を運び出してきた。
「それじゃあ料理が出来た頃にもう一度来いよ」
「おう、また後でな」
俺は荷車に酒樽を乗せると酒場から外に出た。
肌に触れる冷えた風に軽く身震いをする。一杯だけじゃあ足りないな。はやく宴会でしこたま飲みたいもんだ。
それにしても、たまに魔物漁の見学に来るウチのガキ共が今夜は来なかったのは幸運だったかもな。
俺ですら坊主とヌシとの戦いに、年甲斐なく胸を躍らせちまったくらいだ。もしガキ共が見ていたら将来は冒険者になるとか言いだしかねなかっただろう。
しかし俺は戦いを見ていて気付いたね。ああいうのは何か特別なものを持っている連中だけが放つ輝きなんだと。
ごく平凡な俺たちは、逆立ちしようがテンタクルス一匹すら一人じゃ満足に狩れないからな。どうあがいたってあっち側には行けねえなら、俺や嫁や俺のガキ共は、この村でささやかな幸せを築いていければそれでいい。
それに今夜は美人の姉ちゃんを見ながら酒も飲めるしな。それだけでも十分楽しい生活だ。……酔った振りでもして尻でも触れれば最高だな。
俺はこの後の宴会に思いを馳せながら、荷車を引いて広場へと急いだ。




