116 ヌシ
「おいっ! 全員下がれー!」
少し焦ったような親分格の声に、男たちが急いで松明より後ろに下がる。俺もそれに従い照明魔法の後ろまで下がった。
すると湖面に映し出されていた月が大きく波打ち、まるで月を割って生まれたかの様にテンタクルスの頭がぬっと姿を現した。近くでデリカとカイの会話が聞こえる。
「あ、あの、アレって何ですか?」
「あれはこのセカード湖のヌシって言われてる大物のテンタクルスだよ。時折現れては魔物漁の邪魔をするんだ」
セカード湖のヌシか。その大きさは今までみたテンタクルスの比ではない。普通のテンタクルスは胴体の長さは1メートルだが、これは軽く5倍はありそうだ。ヌシの貫禄は十分と言える。
「ガアアアアアアア!」
ヌシが一吠えすると湖から長く巨大な触手が飛び出し、それを松明に向かって振り下ろした。
バキャッ!
簡単に立てかけてるだけの松明は軽い音を立ててあっさりと吹き飛び、立て続けに振るわれた触手で残りの松明も吹き飛ぶか押しつぶされる様に破壊される。あっという間に湖周辺は一か所を残して暗がりに包まれた。
最後に残ったひとつ――俺の照明魔法に目掛けてヌシは触手を振るうが、照明魔法には実体がない。ふよふよと浮かぶ光球に触手を何度も振り回しては空振り、俺の周囲だけが未だに明るい。
それにしても、十分に距離は取っているがすごい迫力だ。稀に触手が地面を打つ振動はこちらまで響いてくる。あの触手が一度でも俺に当たったら骨の一本や二本どころか、間違いなく死ぬな、うん。
「おい、坊主! 照明魔法を消しちまえ! こいつはこの湖のヌシだ。触手を振り回してくるが、湖から出てこねえ。魔法を消したらさっさとズラかるぞ!」
普通のテンタクルスと違い、湖からは出てこないらしい。よかった、それならすぐに撤退できそうだ。俺が倒した分のテンタクルスは明日にでも回収することにしよう。
ほっと息をつき照明を消そうとした瞬間、俺たちよりも更に離れた場所にいるセリーヌから気の抜けたような声が聞こえた。
「おーい、親分さーん。あの魔物って、この村で崇めている御神体とかだったりするの~?」
「ああ!? アイツは魔物漁の邪魔しかしねえからな。疎ましいと思うことはあっても、ありがたがる奴なんて誰もいねえよ!」
さっさと離れたいらしい親分格が少し苛立ったような声を上げる。
「あら、そうなの~? それじゃあ倒してもいいのね~」
なんだか嫌な予感がする。ヌシから視線を外し、恐る恐るセリーヌの方を見た。俺と目が合ったセリーヌはにっこり笑うと口に両手を添えて、
「マルク~、倒してもいいんだって~。よかったわね~、がんばりなさーい!」
そう言って俺に手を振った。隣ではニコラが俺に向かってビシッと敬礼をしている。いや、無理でしょ。見なよ、めちゃくちゃデカいよ!?
俺が呆然と立ち尽くしていると、俺とセリーヌのやり取りを聞いていたらしいデリカがこちらに駆けてきた。
「マルク!」
おお、俺の気持ちが分かってくれるのはデリカだけだよ。一緒に撤退しようか。
「頑張ってね!」
真剣な顔で俺に銀鷹の護符を手渡すと、俺に一言も話す隙を与えず、そのままセリーヌたちがいる場所まで駆けて行った。なんだろう、梯子を外された感がある。
気が付けば男たちはセリーヌたちがいた場所まで撤退し、照明魔法の近くに俺が独りでポツンと立っている状況になっていた。近くでは未だに照明に向かってヌシがビュンビュンと触手を振り回している。コイツもそろそろ飽きないのかな。
しかしなんだ、こんなに照明にご執心なら、今のうちに一撃必殺でなんとか倒せたりするのかな? 俺だって男の子だ。期待されてるのは分かるし、それなら期待に応えてみたい。だったらやるだけやってみてもいいんじゃないか。それにもし危なくなったら――
『それでもセリーヌなら……、セリーヌならきっと何とかしてくれる……』
ニコラの念話が届いた。俺の考えを読むのは止めてほしい。
よし、とりあえず一度やってみよう。遠距離から一発ブチかますぞ。




