STEP8-4 七瀬奈々希の記憶、もしくはアズールと呼ばれた少年のこと
『いい加減にしろよ。なんでお前、舞踏会来ないんだよ!!』
『いっつも辺境がどうこうってさ、頭おかしいんじゃねえの?』
『何とか言えよ、ナナキ!!』
僕を強引に町外れに連行し、暴力に訴えようとしてきた、貴族学校の同級生たち。
それを鮮やかにけっとばしたのが、ちょうど声を聞きつけた彼だった。
すこしだけ、年上だろうか。
背の高い、やせた身体に、丈の合わない服。
ぼさぼさの黒髪を適当に撫で付けて、ふてくされたような面構え。
泥だらけの足元は、はだし。
それでも、いやむしろそんな姿だからこそか。びっくりするほど綺麗なその少年は、とても『化け物』になんか見えなかった。
いうなれば、そう、ダークヒーローだ。
左右で違う目の色もかっこよかった。ちっとも、気持ち悪くなんか思えなかった。
それを伝えると彼は、よせやい、と吐き捨てたけど、頬はちょっぴり赤かった。
* * * * *
収容施設を逃げ出して、王都を荒らしていると噂の改造夜族。それが、彼だった。
彼はとんでもない腕っ節と頭のキレ、そして強力な『力』でもって、官憲たちを華麗に手玉に取った。
王都に住む貴族たちや、三倉のマーケットの豪商たちから派手に金品を強奪し、国のあちこちでばら撒いて、気持ちよさそうに笑っていた。
その一方、無償で地味な人助けをしたりもする。
なにより、野生的な美しさ、自由気ままで媚びない姿は、誰の目をもひきつけた。
そんな彼を、国中の人々はもてはやした。
王都では彼を主人公にした小説や戯曲が、いくつもいくつも発表された。
年々上がる税、質の下がる為政で寂れていく町々では、期待の星だった。
町すら追われた人々が暮らす村々では、反骨の英雄だった。
そんな彼を、国王陛下は始末しようとした。
根も葉もない反乱の罪を着せ、総力を挙げて殺そうとした。
あっという間に王都は荒れた。彼も傷を負っていた。
たまりかねた僕は、父上を通じて仲裁を申し出た。
* * * * *
その数時間後、どういうわけか僕は、ひとりで説得と交渉を行うことにされていた。
豪奢な服をまとわされ、陛下そのひとのふりをして。
もちろん、僕をよく知っている彼が、だまされるわけもない。
きまずくも必死になるしかない僕を、笑いをこらえて眺めていた。
そして、出されたご馳走を平らげるなり、僕の手をつかみ引き寄せた。
抗いようのないほど強い力。さらわれる、と思ったそのときに、割って入った兄上の機転で、彼は偉名国軍にスカウトされたのだった。
新興の隣国、ユキマイ共和国に派遣されるための、秘密工作員として。
僕は兄上に抗議した。だってそれでは、彼が暴れる場所を、ここからユキマイ国に変えただけのこと。ユキマイの神王サクレア様を、イケニエに差し出したようなものだから。
けれど、サクレア様は優しく徳の高いお方、きっと彼の心の刃を溶かしてくれると聞かされて、ならば、その可能性にかけてみよう。そう思った。
だから、七瀬の離宮で学友として、彼と一緒に学び、鍛えた。
彼は何もかもを一度でマスターした。僕など足元にも及ばないくらい、優秀だった。
それでも彼は、僕を友達と思ってくれていた。
ユキマイへの“留学”が決まった日、手紙書いてくれよ、俺も書くから、と言ってくれた。
そして何度も、ここはとてもいいところだ、ぜひいちど遊びに来てくれ、なつかしい君とひとめ会いたい、と書き送ってくれた。
* * * * *
お互いの都合はかみ合わず、再会できたのは、国王陛下が彼に倒されたあと。
ある日突然、怒った彼がサクレア様と、直接王宮に乗り込んできたのだ。
サクレア様の側近が全員拉致され、その黒幕が陛下とわかった、ということで。
結局陛下は無実だったようだけれど、それを納得してもらうまでどれだけ恐ろしかったのか。髪もすっかり真っ白になり、彼のいいなりになっていた。
確かに僕は陛下のやり方を、いいと思っていなかった。
貧しい人々や、夜族たちを犠牲にする政策を取った。
彼との交渉のときは、僕自身を替え玉にすることで決裂させて、もろともに始末してしまおうとしていたとも聞いた。
それでも、あんな哀れな様子をみては黙ってなどいられなかった。
僕は彼に猛抗議した。いや、食って掛かったといってもいい。
けれど、僕も、ずるい人間だったのかもしれない。
『だがこれで、あいつらを助けてやれるぜ。
俺はお前を、福祉大臣に任命するつもりだ。
お前にしか任せられねえ。受けてもらえるか、ナナ?』
彼が僕に手を差し出して、こう言ったとき……
僕は、その手をとってしまった。
* * * * *
許したわけではなかった。
その後も彼は、同じようにまわりの国に乗り込んでは、そこの王を従えてきた。
唯名帝国と名を変えた祖国は、みるみるアスカ大陸に版図を広げた。
さすがにおかしいと思った。
けれどそのときは、確証にはいたらなかった。
彼も僕もあまりに多忙で、物理的にコンタクトを取ることが難しかった。
ごくたまに顔を合わせても、懐かしさに流されそうになるほんの短い間に、予定や急用が押し寄せてきた。
唯一犯行を目撃したサクレア様は犯人に一度殺され、蘇生の副作用で記憶を失っていた。
現場はすっかり焼かれて、物証すらなかった。
そして僕は、弱者救済という“無駄遣い”ゆえに貴族院からうとまれ、ときに命さえ奪われかけてもがいていた。
だから、止めることができなかった。
いや、それは、言い訳だったのかも知れない。
実質の帝王としてまともに寝る間すらないはず。なのに、友への陰謀を察知すれば、完膚なきまでぶっ潰してでも守ってくれる“ダークヒーロー”――
それが、実は本当に悪人だったなんて、思いたくなかったのかも知れない。
* * * * *
……だから、僕は泣いた。
全てが明らかになったとき。
僕の親友でヒーローであるはずの男が、罪なき猫神の化身を、どんなふうに扱っていたか知ってしまったとき。
サクレア様の側近たちが拉致されたというのは、やつの嘘。
全員、やつの手で殺されていた。
“かれらは他国の王にさらわれた”と嘘をつき、怒ったサクレア様を彼らのもとに連れて行き、その神威で、王たちを屈服させた。
そうして、大陸全土を掌握したあとは、海外遠征のための蓄財にサクレア様の力を、いや、命と魂を搾取していた。
僕は泣いて詫びた。
転生してきた、サクレア様の仲間たちに。
狂った政治の犠牲になった、人々と大地に。
俺がもうすこし強く、賢ければ守れたはずの、たくさんたくさんの生命に。
そして、救い出されたサクレア様、一番の被害者であるそのひとに。
僕は、この命を償いにと、サクレア様の前に平伏した。
『ぼくは大丈夫だよ。
きみの命は、もっとこまっている人たちのために使ってあげて。
……余命の少ない、ぼくのかわりに。
ごめんね、ナナキくん。生まれ変わったらきっと、お礼するからね』
けれどサクレア様は、僕を許してくれた。
優しく笑って、僕の頭を撫でてくれた。
* * * * *
だから僕は、この国を作った。
沈み行く大地の中から、沈まぬ場所を探し当て、さまよう人々と、動物たちとを導いた。
楽なことなんかじゃなかった。
思い知った。
どれだけつらいか。
根を張る土地を失うことが。明日の暮らしがみえないことが。
――僕の愛する人たちが、その苦しみに耐えているのを見ることが。
涙なんか、もう出てはこなかった。
それでも、僕はやり遂げた。
ユキマイの山を越えた向こう、葦原島と名づけた大地に、朱鳥、という国を作った。
償いのため。明日のために。
いつか生まれ変わったら、サクレア様たちと笑いあうことが出来るように。
そして、いつか生まれ変わってくるはずの、あいつの真意を聞くために。




