STEP3-0 ユキシロ製薬への派遣~鹿目誠人の場合~
「マサト。キミにユキシロとの連絡員兼アドバイザーをお願いしたい。
専攻である考古学の知識を生かし、長く雪舞砂漠の遺跡探査事業を担ってきた。
その一方で、秋葉前首相の肝いりで緑化事業に貢献し、この事業室を八ヶ月の間、実質ひとりで守り続けてきた。
そんなキミにしか、この役目は頼めない」
「は、……はい。かしこまりました」
新室長は、俺をユキシロに派遣する、といってきた。
「彼らの『ユキマイ国復活プロジェクト』がどう転んだとしても、今後われわれは長い付き合いになる。となればここで、良好な関係を築いておきたいところだ。
だから向こうが立て込んだら、そちらを優先してくれてかまわない。
直行直帰も、事後報告でいい。
まあ、外交官になったとでも思って、がんばってくれ」
彼はそう言って、優しげに微笑んだ。
――外交官になったとでも、って。
もし本当にそうなれば、遥臣は喜んでくれるだろうけれど……
俺は雪舞緑化の夢をまだ捨てられず、そしてそれは、遥かな夢だ。
雪舞砂漠は、偉名帝国末期においては実質の帝都となった場所。主用途は穀倉地帯であったとはいえ、民家・各種施設跡をはじめとした遺構をはじめ、数多くの遺跡が眠る場所だ。
そこで行う緑化は、現存するそれらへの配慮が欠かせない。
まずは、そこに遺跡・遺構が存在するかの探査。
存在していれば、その状態の調査。
そして、その結果を踏まえた上で、それをどうするか――
良好な状態にまで修復保存するか、最低限の修復のみにとどめてそのままおくか。
場合によっては、侵食覚悟で捨て置く、という重い決断も必要になる。
知識、技術、資金、そして、責任。
それらが全て求められたうえに、比喩でなく皆無の地力、水も肥料も吸い尽くす分厚い砂層、三十度を下回ることのない気温と十パーセントを切る湿度、というありえない条件と向き合う至難の緑化作業。
たとえ達成できるとしても、一代で果たせるなどとはとても思えないのだ。
つまり俺は、遥臣とともに外務省で働く日が来る前に、きっと天に召されてしまう。
それとも、遥臣かそのまわりが痺れを切らせるのが先か。
本来であれば、こんな状態はありえないのだ。
瑠名本家の嫡子――朱鳥国のプリンスというべき男の意向を拒むことなど、ただの一官僚にはとうていできることではない。
今回の人事だって、瑠名の『神の声』でお膳立てされたもの。
官僚ですらなかった、しかもいまだ学籍にある未成年が、即日室長として就任など、正常な人事ルールにおいては絶対にありえない。
逆に、そうしたことができるのが、瑠名家だ。
「キミのうしろは僕らで守る。
キミは、キミの信じるままに動いてくれたまえ。
それが僕らの望みだよ。忘れないで」
そんな瑠名の一員である彼が、そう告げる真意はなんなのだろう。
俺は、彼らほど頭がよくない。そんな駆け引きができるくらいなら、酒井や橋本ともずっと一緒に肩を並べていただろう。
そんな俺にできることは、ただ前を向いて、やりぬくことだけだ。
そう、これまでのように。
* * * * *
電車に10分ゆられれば、あの有名なシンボルマークが見えてくる。
緑色をしたシンプルな、猫の顔を模したマークを冠するのは、できたばかりの巨大商業施設――NKCショッピングモールだ。
NKC運動公園を脇に見て、メインストリートをたどっていけば、すぐその建物は現れる。
ユキシロ製薬株式会社。
基本的に、午前はこれまでどおり、緑化事業室で仕事をし……
午後はここか、雪舞砂漠で過ごすこととなるだろう。
今日はユキシロ側の希望もあり、朝からこちらにきたのだが。
正門わきの受付に、紺色の制服をまとった警備の男女がつめているのが見えた。
遠目にもわかった。レベルが高い。
ユキシロ製薬は、才色兼備の美男美女が多いと有名だ。
とくに女性は美人、美少女ばかりだと。
おりしも女性が俺に気付き、小さく微笑みを向けてくる。
黒髪をさっぱりとショートカットにし、少女のような緑色の瞳はいきいきと輝いている。
きれいなひとだ。そう感じたとたん、気持ちはどぎまぎしてしまう。
おちつけ。落ち着くんだ。深呼吸して、受付に歩み寄り会釈する。
彼女に身分と用向きを伝えると『ようこそ、お待ちしておりました』とニッコリされた。
朱鳥国政府からのお目付けというべき俺は、煙たい存在に過ぎないだろう。見た目もさえないアラサー男。
つまり彼女の微笑みは確実に、社会的必要性からのものであるはず。
わかってはいるが、それでもとても気持ちのよいもので、俺も思わず笑い返してしまう。
彼女はまるで賓客でも迎えるかのように、受付を出て俺のエスコートについてくれた。
渡辺です、よろしくお願いします。そう名乗った彼女は、はつらつとした足取りで俺を先導してくれる。
どうしよう。なんだか、歓迎されているような気持ちになってしまう。
現金なもので、すると足取りも軽くなる。
足元のれんがの道は、もしかして魔法の国に続いているんじゃなかろうか。そんな空想まで胸をかすめる。
もちろんそのいきさきは、ガラス張りのエントランスなのだが、レンガ道がゆるく右に湾曲しているおかげで、敷地を満たす庭園が目に飛びこんでくる。
生垣に囲まれた緑の庭は、秋だというのに物寂しさを感じさせない。
朱鳥首相府を囲むそれよりも、格段に生き生きとして見えた。
きょろきょろと見回していると、渡辺さんがふりかえり、ニコニコと話しかけてきてくれる。
「庭園、お気に召しましたか、鹿目さん?」
「は、はい。あの……ここを散歩したら、すごく癒されそうですね」
「はい、とってもリフレッシュできますよ。
鹿目さんも、ぜひどうぞ」
「ありがとうございます」
そんな会話がおわれば、エントランスはすぐそこだ。
ガラスの扉の向こう、十名はくだらないスーツと制服が待っているのが見えた。
かれらはどうやら、一様にこちらを見ているようだ。
……まさか、俺を待ってる?
気のせいかと思ったが、念のためこそっと後ろを見てもだれもいない。
いや、うそだろう。俺はただの、使いっぱの下っ端だぞ?
しかも政府からのお目付けというめんどうな……
混乱しながら、自動ドアを入る。
渡辺さんがすっとわきにどけば、そこには見覚えのあるスーツの青年。
あっというまもなく、俺の視線よりだいぶ上に、きらきら金色っぽい髪と貴公子のような微笑みがやってきた。
ブルーグレーの上下に身を包んだ彼は一礼すると、深みのある美声で俺に告げる――
「お待ちしておりました、鹿目アドバイザー。
わたしはユキシロ製薬株式会社CEO、サクヤ・イワナガ・メイ。
我ら一同、貴方を歓迎いたします。今後よろしくお願いいたします」
そして彼は、あの封書の差出人の名を名乗り、俺に握手を求めてきた。
それは最近よくテレビやネットに出る名前。
ついこの間は、有名動画サイトにもあがっていた名前でもあった。
「あ……の……えっと……鹿目誠人、です。
よろしくお願いします。
あの、がんばります!」
俺にとっても、救いの王子であるところのその人は、間近で見たらとんでもないオーラを持つ真正のイケメンだった。
俺は握手をしたまま見とれてしまい、やっと出てきた言葉はこんなもの。
ああ、これじゃまるで、憧れのアイドルを前にした中学生じゃないか。
でも、そんな俺をメイ社長や社員たちは、温かく迎えてくれた。
大丈夫だ。ここなら、楽しくやっていけそうだ。
もともと、ベストを尽くすつもりではいた。けれど、それ以上のベストを尽くしたい。
ユキシロ入り数分にして、俺はすっかりそんな気持ちになっていた。




