STEP2-0 嵐のまえぶれ~鹿目誠人(かなめまさと)の場合~
「えっ? 猪沢ならもうそっち戻っていきましたっスよ。
上の命令ってんで、ソッコー荷物まとめて……」
またしても耳を疑った。
報告は昨日もう上げてあるが、それへの指示が下るまでにはまだ間があるだろう。
その間に仲間たちに会って、報告がしたい。
そして伝えたい。きっとこんどはいける、と。
だから、もしそうなったなら、また力を貸してくれないかと。
そういうわけで、急ぎ首相府内を回っていた俺だったが……
「あ……ありがとう、ございます……
すみません、そちらにも、お手数をおかけします」
「お互いさまっスよ。
しかしホント、うえはなに考えてるんスかね。
秋葉首相がいなくなってこっち、これまでずーっと干してたっつーに、今日からいきなり死ぬ気で働け~とかさ、もうイミわかんないっしょ!」
同期の斉木は、遠慮のない調子で軽快にボヤく。
だがそこには、これから忙しくなる俺たちへの思いやりもこもっている。
直接の支援こそしなくても、こんな風に気持ちを寄せてくれているひとは、まだまだ首相府内にもいてくれるのだ。
だから俺も、今日までがんばってこれたのだといえる。
「やはり、ユキシロ製薬の信頼性、でしょうか……」
「にしたって極端っしょ。
っま、けっきょく言うこと聞くしかないんスけどね、俺たち下っ端は」
「違いないです」
お互い、しがない下級官僚同士。シニカルに笑みを交わし合うと、俺は斉木と別れ、緑化事業室へと走っていった。
うそだろう、と今朝から何度も言いかけた。
なぜって、行く先々で俺は言われたのだ。
彼は、彼女は、もうそっちに戻っていきました、と。
さらには、新たな人員も配備されているらしいとも聞く。
信じられなかった。まるで緊急時のタスクフォースでも編成するような勢いだ。
いつもの廊下を全速力で走りぬけ、いつもの灰色のドアを、今日は全力で押し開けた。
「あー、まさっさんもどってきたっ」
「もーノックぐらいしてくださいよ室長~。いつも言ってるじゃないですか?」
「おかえりー。ていうかただいま、かなちゃん!」
「待ってましたよ、リーダー!」
「あ、……」
時が戻った。そう錯覚した。
そこには、かつて一緒に夢を追いかけた仲間が。
元気和み系の猪沢、しっかり者の桜田、不思議ちゃんの蝶野、さわやか眼鏡の鳥居。
あのひとの志を分け合って、ともに働いた同志たちが、にぎやかに席を作っていた。
「ほらー室長、ただいまは?」
「えっ」
「まさっさん!」「かなちゃん!」「リーダー?」
「え、っと…… ただいま!」
「「「「よくできましたー!」」」」
四人は声を合わせていっせいに、俺を取り囲んだ。
懐かしくもうれしい、仲間たちとの再会。
俺たちはしばしわちゃわちゃと団子になっていた。
そうして喜びもひと段落したころ。
「そういえばリーダー、辞令のことはお聞きになりましたか?」
トレードマークの眼鏡を直しつつ、鳥居が問いかけてきた。
「うわさは……まだ、あたらしい人が来てくれる、ってこと位だけど」
と見れば、新しい机が三つ。
ふたつは、猪沢たちと同じ島。もうひとつは、なんと俺の机のとなり。
「えっ、まさか副室長まで?!
嘘だろうホントに……」
今朝まで室長兼電話番兼雑用係だったというのに。信じられない想いだ。
だが、後ろから聞こえてきた声に俺は一瞬フリーズした。
「はああ。どーしてこーなるんだよ……」
「どーもー。みじかいあいだですがおせわになりまーす」
「酒井、橋本……!」
それは昨日俺にぶつかり、遥儚さんにぶつかられていた二人だ。
実は彼らも俺とは同期。新人時代は一緒に徹夜し、一緒に叱られ、ともに励ましあったメンツだ。
ときには喧嘩もしたり、飲みにいったこともあり、けして悪くない関係だったはずだが……
いつのまにか、ああなっていた。
彼らはいま配属先で頭角を現しはじめていると聞く。そちらでも手放したくない人材のはずだし、彼らもそんな自分を誇っているはず。
その二人が、なぜここに。
「上の命令だよ。このプロジェクトが成功すりゃ、兼務でヒト出してる自分らにもハクがつくからってよ」
「人選の理由は鹿目と同期だから。それだけ。
そういうわけでよろしくおねがいしまーす」
「ああ……」
さすがは若手の期待の星、というべきか。問いを言葉にする前に、二人はこたえを返してきた。
あの言葉でもわかるとおり、この二人は雪舞砂漠の緑化なんか、とてもできると思ってない。
そんな二人にとっては、政治的な思惑でのこの人事は、正直災難もいいとこだろう。
こちらにしても、思うところがまったくない、といったら嘘になる。
でも俺たちの前にはもう、なすべきひとつのことがある。
ならば、ふっ飛ばしてしまおう。いまここで、すっきりと。
「酒井、橋本。
雪舞の砂漠化が災難なら、お前たちの人事も災難って思ってるだろう?
だったら、俺たちでそいつを変えよう。
そっちがお前たちまで押し込んでくるんだ、勝算はあるさ。
“あの”ユキシロ製薬なら、きっとやれる。お前たちも向こうに錦を飾れるよ。
そうできるよう、室長としてがんばる。
だから、力を貸してくれないか」
俺は進み出て、二人に頭を下げた。
だが頭を上げると二人は、いいにくそうな顔で目をそらしていた。
「――悪いけど、それは無理だね。
失礼、中に入れてくれるかな」
廊下から聞こえてきた声に、二人があわてて左右に分かれる。
その間を通り抜け、現れたその人物を見て、俺は驚愕した。
さらさらとした、漆黒の髪。抜けるように、白い肌。
なんで。どうして彼がいま、ここに。
瑠名は一体、どういうつもりで。
「やあマサト。そのほかははじめましてだね。
では改めて。僕が新室長の……」
俺よりもずっと年下の未成年。官僚ですらなかったはずの少年の口から、冷たいほどの調子で告げられる降格人事。
それを呆然と聞きながら、俺は朱鳥首相府でいま一体なにが起きているのか、必死になって考えていた。




