STEP1-3 教えて、イサ先生! ~ユキシロ製薬のひみつ~
本社五階・オフィスフロア。その一角で、俺は手伝いを始めた。
具体的には、プリントアウトされた労務報告書類の形式と記載内容をチェックし、OKならチェック欄にサインまたは捺印をして、イサに返す。おかしいところがあったら付箋を付けて赤鉛筆でメモをし、やはりイサに返す。
そんなシゴトだ。
「オートだペーパーレスだ言ってても、やっぱしこういう仕事は発生するもんだからな~。
王様なんてったらサインの練習がシゴトなんじゃねーかってくらいこーゆーんみるぜ。
ま、今日のこれはプリントアウトしてのチェックだけど、そのうち仕込もうと思ってたからちょうどいいわ。
初心者になったつもりでやってみてくれ」
「いや初心者です完全な!!」
そう、俺は『シックハウス症候群』のせいでオフィスワークなどしたこともない。生まれて初めての経験だ。
実を言えばこいつはまだ完治していない。
当然、チカケン帰りにはえらいことになったのだが……
まあ、それはいいや今はいいや。とりあえず、全世界に向けての公開処刑は免れたのだし。
「そーいやそーだっけか。
ま、サクっちは飲み込み早いからな。すーぐなんとかなるって」
「はあ……」
言われるままにはじめてみると、これがなかなかに手ごたえのある仕事だった。
誤字脱字はもちろん、チェックらんの記入漏れとか、記入された文章そのものが途中でブッチしてたりとか、あちこちに大小さまざまなミスが眠っている。
意外な誤字を見つけてほめられたり、逆にチェックもれを指摘してもらったりして進めるうち、書類の記載内容も自然と頭に入ってき始めた。
この業務にはこんな作業があって、こんな流れで。こういうところもチェックしてて……
これまで資料になっていなかった部分、知らなかった部分が、次々頭の中で組み合わさり、補完しあい、大きな流れが構成されていく。
それは俺にとって、とても楽しいものだった。
いつしか俺はむさぼるように、つぎつぎ報告書類を読んでいた。
* * * * *
「サクっち~? そろそろ今日は終わりだぞ~。
ちゃーんとチェックもしてたかな~?」
「えっあっ! ……してました」
それからどれほど経っただろうか。イサの声に俺はわれにかえった。
驚いたことに、俺は無意識のうちに頼まれたチェックもこなしていたらしい。
俺の右側にまとめて積まれたチェック済み分には、しっかり赤鉛筆でのチェックも入ってる。もちろんふせんもはってある。
俺の前にほい差し入れと暖かいコーヒーを置き、書類をまとめて引き取ったイサは、ぱらぱらめくっておお、と声を漏らす。
「すっごいなおい。もう守護神やめて俺んとここね?」
「え、そんなできてたん?」
「おうよ。
……ま、そいつはじょーだんとしてもさ。
また、たまに頼むわ」
「え、いいのか? 俺初心者だし、よけいな手間かかるんじゃ……」
「いーっていーって。
だってサクっちすっげえいい顔してんだもん。
こういうシゴトって結構細かいだろ。だから嫌いな奴も多いし、そもそも向いてない奴もいる。……それでもやんなきゃいけないときもある」
書類をケースにしまいつつ、残酷な話じゃあるがな、とつぶやく声音は、悲しくもとても優しいもの。
だがこっちを向いたイサはもう、明るい笑みを浮かべていた。
いい顔はそっちだろといいたくなるほどの、ぴっかぴかのやつを。
「それをこんっな楽しそうにいいクオリティでやってもらったらさ、頼んだ側としてはシアワセそのものなんだわ!
サクっちはファームの作業でもそうだしさ、雑用頼まれたときでもそうなんだよな。
今までの応募先も、絶対涙を飲んでたぜ。ハマナ工業以外もさ!」
「そ……かな……?」
そんな風に言ってもらってしまうと、正直うれしい。
笑みが浮かんでしまうのが照れくさくて、俺は口元を隠すようにコーヒーをすすった。
てきぱきと文具もかたしてしまうとイサは、自分の分のコーヒーを手に軽口を飛ばす。
「まっ俺たちとしては、かわいいさっくんを横取りされなくって助かったけどな~☆」
「いやそーゆーのは女の子に言おうか☆」
「おうっサクっちかわいくねー! でもそこがいい!」
「おい。」
にししと笑うと、ふいにイサは視線を落とした。
濃緑色の瞳が見つめるのは、コーヒーの黒い、小さな水面。
「……今だから言えるんだがさ。
俺たちにとっては、お前のシゴト力とか、ほんとはどうでもよかったんだ。
サクレアは、俺たちの宝物だった。ただそこにいるだけで、笑ってくれるだけでうれしい存在だった。
だからユキシロは、お前を守れるんなら、どんな形でもよかった。たとえば、傭兵団なんかでもな」
「まじですか……」
「おう。
けど、サクレアの半身は薬草だったろ。
そしてサクレアが一番楽しそうなのは、植物たちといるときだった。
だからユキシロは、メディシンファームを擁した製薬会社になった。
いうなれば、お前のための環境、お前のためのファームを擁することを前提に、このユキシロは作られたんだよ」
するりと始まったうち明け話。
いつになく真面目なイサのようす。俺はコーヒーをすするのも忘れて奴を見つめた。
「サクレアは王としての実力も優れていた。けれど、お前も懸念したとおり、それが現代で通用するとは限らない。むしろ足かせになってしまう可能性すらある。
もしもそうなら、日々ひたすら植物たちと戯れてもらうだけ、お飾りの会長職として『身柄を保護』する――そんな事態も俺とかは覚悟していた。
でもな、サクが言ったんだ。
『それだけは絶対にダメだ』って。
サキは誰より優しいが、その分強い男だ。ただ甘やかされる環境になど、甘んじるような奴じゃない。
だから、たとえ本人にどれだけぶーたれられても、俺はあいつを王にする。
自分の実力でこの世界を渡っていけるような、ホンモノの王に。
少なくともそのために、俺ができる全力を尽くしたい、って」
「サクが……」
教育係としてのサクは、はっきりいってかなりスパルタだ。
しかしその根底に、そんなにも熱いものがあったとは。
改めて聞くと、ちょっとジーンとするものがある。
それでも……
「でもさ、マジにダメだったら、そのときはどうする気だったんだ?
シゴト探してた頃の俺はさ、いくつ受けてもダメでダメで、正直つぶれかけてた。
ナナっちが助けてくれなかったら、どうなってたか見当もつかない」
思わずぽろりと口をつく。俺はそんなに強くなんかない。その点については、サクは俺を買いかぶってるんじゃないかとしょっちゅう思う。
「それ俺らも聞いたんだけどさ、やつめなんていったと思う?
『お前たちがいるから大丈夫だ』だとさ!
『それでもダメなら俺が全ての責任を取る』って。
……まだ社長でもなんでもなかったときだぜ。
だから会社設立のときにゃ、満場一致で押し付けたわ社長!」
「くくっ……」
なんだろう、ありありと目に浮かぶ。
奴はきっと言ったに違いない。まるで当然のような顔をして、『俺に任せろ』って。
「そしたら案の定あいつ、まるで当然のような顔をして、『俺に任せろ』って!」
「マジ~?」
それからしばらく、俺たちはサクの話で笑いながら盛り上がった。
結果わかったことは、サクはいつもどこでもサクだった、ということだ。
* * * * *
そうしてコーヒーがなくなった頃、俺はそのことを思い出した。
「そういやさっきサク、なんか様子へんだったな。
スノーがなんか言ってたことだろうとは思うんだけどさ、イサなんか心当たりねえ?」
「…………。」
問いを向けられると、イサは微妙な顔で口をつぐんだ。
「いや。それは、自分で聞くことをオススメするわ。
ひょっとして、俺の勘違いかもしれないから」
「ええっ?!」
明らかにわかった。イサはごまかしている。
だが、俺だってそうできたら苦労しない。なぜって。
「いやさ、へたに聞いたら俺、さっきのリベンジで命日迎えちゃうかもしれないしっ!」
「あー……。
まあ大丈夫だ! お前にはリコンストラクションあるし!」
「そんなー!」
「逆にへんなこと勝手に言ったら俺がそいつのお世話になるからな!」
うん、それは聞けないわ。
納得したまさにそのとき、ぬっと現れる当の本人。
しかも、開口一番のたまったことときたら――
「お前たち、わたしの天使の話をしたか?」
――よりにもよって最悪のパターンだった。
「ぎゃあああ!!」
「してない!! してないから!!」
「怪しい!」
「無実だ!! 俺たちは無実だああ!!」
「にげろおおお!!」
もちろん俺たちは全速力で逃げ出した。
* * * * *




