STEP7-2 ~破滅の始まり~
「さぁって! それじゃあ気を取り直してショーターイム! だ!!」
くるっとアズールが向き直り、ハイテンションの声を上げる。
「安心しろよ、俺は『八番目』を抑えられるなんざ思ってねえ。水槽にゃ手はださねえよ。
お前らが後悔しながらぶっ飛ぶサマを、高みの見物してやるだけだ。
もっとも、『スノーフレークス』ちゃんが無事生まれてこれたらだがな!!」
俺は水槽に目をやった。どうやってか、再び綺麗な水に満たされた水槽内では、赤ん坊の姿のスノーが体を丸めている。
「ナナっち、いけそうか?」
「それが……スノーさんの呼吸を開始させることができないんだ。
この水、アクアヴィータはルナさん直伝の特別製で、そのまま呼吸もできるんだけど、スノーさんの体のほうが肺呼吸を始めそうにない。どうすれば……」
シャサさんがはっとした様子で言う。
「そっか、赤ちゃんて、生まれるときの刺激で産声をあげて、呼吸始めるんだっけ。グランマたしかそういってた。
それは試してるんだよね、ナナっち?」
「うん、さっきからもう何度も……こんなはずじゃ……」
「『ウブゴエパルス』だな。つまり、そういうことか」
と、しあながアズールをにらむ。
「ご名っ答!
ここで生を受けた子供はね、こいつの(と、壊れたコンソールをばんばん叩いた)『ウブゴエパルス』で肺呼吸を始めんの。
逆に言えば、シノケンっ子たちに産声を上げさせることができるのは、世界で唯一こいつだけ。
しかたない、安全管理のためにそー作られるんだ。ソーマちゃんたちもそうだった。
かなしいけどこれ、生物兵器なのよね。なんて!」
どっかのアニメで聞いたようなセリフを口にして、奴は笑った。
「なんだって……?」
「つまり、こーいうこと。
妹ちゃんはこいつが直んなければ、一生このまま。
もしもシノケンが廃棄を決めたら、そこでジ・エンド。
お前らは妹ちゃんを助けたければ、シノケンのイヌになるしかねえ。つまりは、俺の部下ちゃんだ。
ま、せーぜー仲良くやろーぜ。瑠名も悪いようにはしねえよ、てめえらがマジメに働いてくれんならな!」
ヤツは笑った。勝ち誇って俺を招く。
「来いよ、サクレア。あの日みたいに俺にすがって、この子を助けてくださいって言え。
ま、見捨てたっていいんだけどよ。そいつは名前だけ元カノと同じなただの胎児だ。オトモダチのママが腹を痛めたわけでもない。
廃棄処分になる予定だった細胞を混ぜてつくられた、まだヒトでもねえ塊だよ」
「きっ、さまあああ!!」
俺が口を開く前に、吾朗おじさんが怒号を上げた。
「どこまで、どこまで俺の子達をもてあそべば気がすむ――!!
殺してやる……殺してやる――!!」
大音声にびりびりと空気が震え、踏み出された一歩に床板が割れ飛ぶが、アズールは顔色ひとつ変えない。
「そしたら誰が妹ちゃん助けんの?
俺が生きて帰ってシノケンに稟議あげなきゃ、こいつは直んないぜ。
直されたとしても、もっと時間がたったあと。
そして、もっときつい条件が突きつけられるだろうな。
場合によっちゃ、関連他家にも累が及ぶかもしれねえぞ」
「ぐ……う……!!」
その場にがくりとひざをつき、吾朗おじさんは床を殴りつけた。
くそ、くそ、と繰り返す。
七瀬の皆も、あるいはアズールをののしり、あるいは壁を殴りつける。
そんなふうにさせた野郎は、ニヤニヤ笑ってそれを見下している。
「いいねいいねえ。サイコーだわ、どーにもできない奴からの罵倒って。
ま、好きなだけ喚けよ。どーあがいても自己責任だ。そして結論は出さなきゃなんねえ。
だが、持ち時間はそんなにないぜ。
アクアヴィータを維持してるナナちんがバテたら、それで終わりだ。
こんなかの誰かがぶちキレて俺を殺ってもそこでエンドだけどなァ!」
「おまえ……どこまでっ……!!」
大きく喉のけぞらせ、挑発的に笑う奴。
俺も奴を殴りたかった。心底、殴りにいきたかった。
だが、それはできない。
もしも、奴の意に染まぬ動きをすれば、その場で全ては終わってしまう。
どうすればいい。一騎打ちを了承させられれば、なんとかなるか。では、そのための布石は……?
「『ウブゴエパルス』、か」
ふいに、よく響く声が思考を断った。
「そいつを使えればよいのだな。
なら、話はカンタンだ」
サクだった。
依然、アズールに向けて殺気を放ちつつも、その目はいまだ、静けさをたたえていた。
「コンソールを直すのか? サクちんの血をつかって?
ザンネンだな、俺はそこまで甘くねえよ!
来いや、サクレア。リベンジマッチだ!!」
アズールが俺を指で招く。戦いに誘い、叩きのめして動けなくする腹積もりだ。
だが、殴っていいなら好都合。俺だっていい加減切れているのだ。
俺が打ちかかれば、奴はうれしげに応戦してきた。
至近距離、赤と黒の瞳の悪党は、狂ったような笑みでささやき、吼える。
「安心しやがれにゃんこ王。水槽に手はださねえよ。
お前は俺だけ見ればいい。俺だけに全力を注ぎ、そうして叩きのめされろッ!!」
「それはこっちのセリフだ!!
今日こそ決着つけてやる。俺たちの怒り、思い知れっ!!」
音を立てて、脚が飛ぶ。腕が交錯する。
確かな手ごたえを感じた。
理由のひとつは、連日の特訓。
いまひとつは、みんなの存在だ。
俺と絆でつながった、俺にチカラをくれる、心強いみんなの。
あの夜の絶望感などどこへやら。戦える。俺はこいつと、対等に!
「サキ、叩き潰せ。こちらは我々が。
皆、サキならやれる。我々は、我々の仕事をするぞ!」
「合点! みんな!!」
サクの力強い声が、シャサさんの陽気な声が、皆の顔を上げさせるのがわかった。
吾朗おじさん、七瀬のひとたちも立ち上がったよう。
「やれるのか、メイ社長」
「もちろんだ」
「……よーしっ、やるぞォ!!」
「おおー!!」
戦いなれた男たちの、力強い掛け声が腹に響いた。
バス事件の晩は正直怖えっ、と思ったが、いざ味方になってしまうと心強い。
俺は勢いづいてさらに打ち込む。ノッてきた、これならいける!
だが、その勢いはすぐ消えた。
なぜなら、そこに聞こえてきたサクの言葉が、奇妙なものだったから。
そしてそのためだろう、奴の勢いも消えたからだった。
「さあ、お前もお前の仕事をしろ。
適度なレベルはわかっているな。人工羊水排出。――排出完了を確認。
人工臍帯解除。
ウブゴエパルス、照射せよ」
俺たちは(そう、アズールもだ)応酬のさなかにもかかわらず振り向いていた。
正直、思った――サクは一体何を言っているのだろうと。
もしかして、別の研究者さんが予備のコンソールを抱えてやってきたとか?
見る限りで、そんな様子はない。ヒトは増えても減ってもないし、変わった点といえば、サクが水槽に手を当てている、というだけのことだ。
だが、『そこで奇跡は起きた』。
すっかり水を失った水槽の底面から、短くレーザーパルスが発射され、スノーの体を貫く。
すると、ぴくり。スノーは身をよじり、産声を上げたのだ!
「はあああ?!」
スノーをのぞく、俺たち全員が叫んでいた。
一見するとしれっとした、幼馴染にだけわかる具合のドヤ顔で、やつはのたまわる。
「七瀬家とそこの外道はおくとして、お前たちなぜ驚く。
我が属性は『カリスマ』。神の領域に手の届くチート能力に、この程度は造作もない」
「……あっ」
そのとき俺は思い出した。
ここへの突入前。車の中で、シャサさんが言っていた言葉。
『しゃちょーの属性『カリスマ』なんだ。
それも、人間や動物だけじゃない。植物、機械、物体。
はては物理法則、因果律さえ魅了する』
きいてた。たしかに聞いてた。それもさらっと!
「まったく、この程度で乗せられるな。
吾朗殿、末娘殿です。抱いてあげてください」
スーツをぬいだサクは、水槽を『自ら』開かせて、泣いている赤子を包む。
そして、優しく吾朗おじさんに抱かせた。
「っ……」
信じられない、といった様子でスノーを抱く吾朗おじさん。
父親に抱かれたのがわかったのだろう、スノーがきゃっきゃと笑い出すと、ようやくわれに返ったよう。ニコニコと目じりを下げて、あやし始めた。
うん、もう絶対思えない。この人がこの国で一番怖いといわれる男だなんて。
幸せいっぱいのこの姿はまるっきり、ただの子煩悩のおじさんだ。
「……あーあ、やっちゃったか」
だが、そのほんわかムードを叩き潰したのは、アズールの不吉な声だった。




