STEP7-0 ~悪党、舞い戻る~東雲研究所所長・蒼馬亜郷(48)の場合
――俺は、今でも後悔している。
俺の『母親』と、俺の息子の『母親』は、当然ながら別人だ。
しかし、この一点においては同じだった。
遺伝上の息子をわが子とみなさず、そのように遇することもなかったこと。
仕方のないことだ。完全制御の人工子宮が安定した実績を上げるここでは『腹を貸す』必要すらなかったのだから。
父と『母』、俺と『妻』の関係は、面識がかろうじてあるというレベルにとどまり――その息子らとは当然、それ以上になることなどありえなかったのだから。
すなわち俺は、母のぬくもりというものを知らない。
そのせいなのだろうか。俺は、亜貴をうまく愛してやれずにいた。
そうしたいと思っても、言葉はかみ合わず、気持ちはすれ違うばかり。
二人の食卓でも会話はほとんどなく、亜貴が文字を覚える頃にははやくも、埋めがたい隔たりが生まれていた。
それを痛感したのは、偶然に亜貴のひみつの日記をのぞき見てしまったときだ。
幼さの残る文字で亜貴は、架空の弟に呼びかけていた。
その名は、梓。
亜貴は、こことは違う世界に脱走した梓の旅路に想いをはせ、ひみつの日記のなかでだけはこどもらしく無邪気に、心を弾ませていた。
小さな子供がときにイマジナリー・フレンドを持つことは、知識として知っていた。
だが、それが弟、というのが、切なかった。
俺には与えてやれない、ひとなみの、肉親としてのつながりを、亜貴はこんなに求めている。
出来損ないの父親に残されたのは、ひたすらに、亜貴が求めるものを買い与え、望むままの環境を整えてやることだけだった。
亜貴が小さな笑顔を見せるのは、当時流行した『ツイン・ブレイブ』というアニメを見ているとき。それを知って俺は『ツイン・ブレイブ』のグッズを買い集めた。
コミックやゲーム、ビデオにDVD。あらゆる『ツイン・ブレイブ』グッズはやがて子供部屋を埋め尽くした。
もちろん捨てることなどありえない。敷地内に離れを建てて、専用の場所にした。
成長し、子供部屋が手狭になったこともあって亜貴は離れを自室とするようになり、皮肉にも亜貴との物理的距離は開いてしまった。
それでも、亜貴の笑顔は、確実に増えた。
苦労して手に入れた限定セットストラップ――双子の主人公、赤と青の勇者を模したマスコット人形をあしらったもの――をケータイに二本とも結びつけ、両手で包んで眠る姿を見るときには、誇らしく満たされた気持ちになったものだった。
* * * * *
やがて亜貴は、若くして研究者として頭角を現し、俺と同じ業に手を染めだした。
夜族の改造研究。
瑠名家傘下としての蒼馬一族には、使命が課せられていた。
今の世に『それ』を再現せよ、との使命が。
『それ』に最も近いであろう、自分たちの遺伝子を用いて。
そうして『それ』がもし生まれたなら、精神にくびきを十重二十重と架け、“今度”こそ、完全に忠実な瑠名の道具とする。
それが、世の闇を担うものとしての、蒼馬の使命。
亜貴がその道に入ったのはだから、蒼馬の者としてごくごく自然なことだった。
もちろん同じ業種、同じ職場にいる……そんな理由で俺たちの距離がそれ以上縮むことなどはなかったのだが。
そんなある日のこと。
そう遠からぬ廃墟街の闇に、美しくも強力な謎の子供が現れる、という噂が流れてきた。
捜索にあたった亜貴は、一人の夜族の幼子を抱えて、うれしそうに戻ってきた。
梓だよ、梓を見つけたよ!
そう言って、輝くような笑みを見せた。
亜貴は梓をわが子のように可愛がった。
ひざに載せて絵本を読み聞かせ、自らお風呂に入れてやり、お話を聞かせながら一緒のベッドで添い寝した。
梓は無口ながらも亜貴になつき、俺にもほのかな笑顔を見せるようになった。
亜貴は機関銃のように話しかけてきては笑ってくれた。
三人で囲む食卓は、あたたかな笑い声にあふれた。
楽しかった。俺の人生でいちばんその頃が、幸せな時間だった。
次の週末にはピクニックをしよう。そんな風に話して、サンドイッチの作り方をいっしょに調べて練習した。
俺は梓に戸籍を作り、養子として迎え入れた。
次の春には小学校に行こう。そんな風に話して、靴に帽子にランドセル、いろいろなものを三人で出かけては買い揃えた。
俺が梓にケータイをプレゼントすると、亜貴はいちばんの宝物である『ツイン・ブレイブ』ストラップの片方を――『赤の勇者』をプレゼントした。
駅前商店街を、三人で手をつないで歩きながら、俺はいつしか、こんな時間がずっと続いてくれるものと、信じ、願うようになっていた。
* * * * *
しかし、梓はやはり、普通の子ではなかった。
廃墟街であんな幼い子供がひとり、綺麗なままの姿で生きていた時点ですでに普通ではないのだが、それを差し引いても、梓の潜在能力は破格だった。
夜族としてのポテンシャルの高さ。精神属性の並外れた資質。そして、炎属性への最高ランクの好適性。
これならば『それ』になれると、東雲研究所は判断した。
そして梓は、ランドセルを背負うかわりに、右目に炎の契約を施され、定期的に急速成長器に入れられることとなった。
工作員としての知識と技術、心構えを教え込まれれば、一度ですべて吸収した。
体力テスト、能力テスト。どんなものでも基準を大幅にクリアした。
まるで早回しのビデオを見ているように、梓は成長していった。
そして、最後の急速成長処理が終わり、『それ』としての名で彼を呼んだとき。
俺たちは間違いに気がついたのだ。
悪魔を呼べば悪魔が現れる。子供でも知っているはずのことわざを忘れていたことに。
『それ』の名を与えられた男は、『それ』として覚醒した。
かけていたはずの多重の精神支配は、紙のようにあっさりと吹き飛ばされた。
そして奴は、あっという間に東雲研究所を蹂躙したのだった。
『この程度の術で俺サマを家畜にできるとでも? てめえら伝説の男を舐めすぎなんだよ。
なかでも一番ナメてんのがてめえだ“兄貴”。
てめえのかけた術何だ、カタチだけのスッカスカじゃねえか!! これが伝説の化け物様へのレイギか、あぁ?!
……おまえ、俺様がどういう男か、知っていたはずだよなァ? それを野放しにしたらどーなるか。わからねえはずはねえよなァ?
そのセキニンどーとるよ。お前は俺サマをどーやって鎮めるつもりなんだ、え?』
俺は今でも後悔している。
邪魔だてした奴はただじゃおかねえ、と通告されたとはいえ、頼むいうとおりにしてと頼まれたとはいえ、父たる俺がどうしてそのドアをぶち破らなかったのだろう。
亜貴の泣き声は、ドア越しに響いてきた悲痛な叫びは、今でも胸に突き刺さる。
それでも、亜貴は言ったのだ。
『俺、やつとの連絡係……やるよ。
だってそうすればやつは、梓は俺に、デンワくれるんだ。
梓は俺の、弟でいてくれるんだ……』
まだぎこちない笑顔、震えののこる手で示したケータイのアドレス帳には、梓、という名がそのまま残されていた。
俺は今でも後悔している。
なんで、梓の検査結果を偽らなかったのだろう。
そのために、亜貴は弟を奪われてしまったのだ。
そしてなんで、『それ』の制御名を梓にそのまま、つけてしまったのだろう。
それゆえに、梓は『それ』になってしまったのだ。
『アズール』という制御名の改造夜族。
強力な精神と炎のチカラを操って、一介の被験体から、王都壊滅の大悪党に。ついには旧大陸全土をすべる帝国の主にまでのしあがり……
最後には、その滅びの原因となった、伝説の大悪神に。
俺は、今でも後悔している。
もう、それを増やしたくない。
だから、俺はそのときそこに、飛び込んだ。
昨日見た、梓のケータイのストラップ。
それがいまも『赤の勇者』であることに、わずかな望みをかけて。




