河童の秘密
「カッパの正体とは、なんぞや?」
父は、その謎が気になって仕方が無いようだ。
父は私立の高校で教師をしているが、授業中に、
「カッパは未確認の、新種の生物である可能性がある」
などとのたまい、生徒たちに「カッパ先生」とあだ名を付けられている、筋金入りのカッパ・オタクである。
父は退職後は、日本中、カッパを求めて旅する計画らしい。
私は仕事も家庭もある身だが、一人娘はもう大学生になったことだし、父がカッパの旅をするなら、たまには付き合ってもいいな、と思って居る。
今年の暮れは、父と母が我が家に来ることになった。
いつもの年末年始は私たち家族が実家に行くが、今年は珍しく「たまにはそちらに行くよ」と言う。
我が家は中古で購入した家だが、今年、水回りを中心にリフォームした。きれいになった家に父と母が来るので妻も喜んでいた。
大晦日の夜、家族みなで年越し蕎麦をすすり晩酌をした。
遠くに除夜の鐘が響いている。
父たちが手土産に持ってきた旨い酒で温い燗をつけ、私たちは機嫌良く飲んで食べた。
そんなおり、たまたま付けっぱなしだったテレビ画面に「カッパの掛け軸」の映像が映った。地方の古い蔵で見つかったという。
とたんに、父の目はテレビに釘付けになり、自然とカッパが話題に上った。
ところで、今年大学生になった娘の蓮美は、情報工学を専攻し、コンピューターの前に座るのが無上の幸せと言う、高校生のときに、「人工知能と結婚したい」と言って妻を嘆かせた理系人間である。私は娘と話していると、コンピューターと話しているような錯覚に陥ることがある。
そんな蓮美に、父が、「やはり、あんなに多くの目撃情報があるんだから、カッパは居るんだよ」などと酔った勢いで言うと、
「残念ながら、複数の人間が同時に目撃するか、あるいは、加工の出来ない画像や動画の証拠がないと、当てになる情報とは言い難いですね」
けんもほろろに否定されてしまった。
「いやいや、同時に目撃されてなくても、昔から同じような体験談があるんだから、やっぱり、居る可能性があるよ」と父。
「私は、川遊びの危険を子供に教えるためにカッパの伝説は作られた、という説に、より高い信憑性を感じますね」と蓮美。
「もちろん、そういう説もあるけどね。
でも、日本中の川や湖には、まだまだ見つかっていない新種の生き物が居るはずだよ」
「なるほど。
カッパは妖怪ではなく、『新種の生き物説』ですね」
「ふむ。
妖怪は新種の生き物か、あるいは、昔のひとが新種の生き物を妖怪と名付けていたのかは判らないけれどね」
「それは、つまり、AがBなら、BはAと言い換えただけですね。
たしかに、よく判らない現象を、すべて、妖怪の仕業とした、昔のひとの『判らないものへの対処法』は良いと思います。
分類の難しいものを、『その他』や『保留』のボックスに放り込むのに似ています」
「カッパは、『その他』かい・・」
父は、浮かぬ顔をしている。
父のライフワークのカッパを、孫娘に、『分類不可』のゴミ箱に放り込まれたような気持ちになったのだろう。
「幸司はどう思うね?」
と、ふいに父が尋ねてきたので、
「そうですね、私は『カッパ新種生き物説』支持ですね」と適当に応えた。
「どうしてそう思うのかい?」
「どうして・・と言われても・・その方が、ロマンチックですからね」と私。
「妖怪説もロマンチックじゃないかい?」と母。
「私は怖いから、『川遊びの危険を子供に教えるため』説がいいわ」妻が言うと、
「あら、カッパは怖くないわよぉ」母がなだめるように言う。
「そういえば、カッパって、ナスが好物なんでしたっけ?」と妻。
「キュウリよ」と母。
「キュウリだよ」と父。
「どうしてキュウリなのかしらね?」妻が首をかしげる。
「私もキュウリは好きだけど。きっと、水辺の生き物だから、喉の渇きが苦手なので、水分の多いキュウリが好きなんじゃないかな」
私は考えながら言った。
「お父さん、キュウリに関しては、水神の供え物にキュウリが使われていたから、とも言われてます。まぁ、私はカッパ巻きが好きなので、『カッパのキュウリ好物』伝説では、カッパにたいへん親近感を覚えます」と娘。
「それは良かった」父が機嫌良く頷く。
私たちは、和やかにカッパ談義に花を咲かせながら、年を越した。
明け方近くになり、ようやく各々、寝室に休んだ。老父母も、並んで敷かれた真新しい布団に横になった。
「ふたりとも、ぜんぜん気付いていないようだなぁ」と電気を消した部屋で小声で老父が話しかけると、
「そうですねぇ。良かったこと」と、笑みを含んだ返答があった。
「海保で、ずいぶん活躍しているそうだが、君の血筋のおかげだね」
「あら、あなたの正義感と勇敢な血筋のおかげですよ」
「え? そうかな? ハハハ。
そういえば、蓮美は、なぜかカナヅチだそうだなぁ」
「不思議なものですね。すっかり血筋が消えてしまったのかしら」
声が寂しげに沈んでいる。
「ま、地上で暮らしているのだから、カナヅチでもいいよ。コンピューターの勉強をするなんて、女の子なのに立派なもんだ」
細かいことは全く気にしないたちの老父は自慢げに微笑んだ。
「そうですねぇ。あの子は頭が良くて。ほんとに良かったこと」老母も嬉しそうに顔を綻ばせた。
そのころ。
幸司は除夜の鐘の消えゆく余韻に耳を澄ませながら、布団に入った。
――お父さんも、お母さんも、単純だなぁ。うまく誤魔化せてるようだ。
それにしても・・。気付くに決まってるじゃないか。何時間でも水に潜っていられる人間なんて居ないのだから。
おかげで、幼いころから、「自分は普通の人間ではない」と知っていた。
決定的なのは、髪だった。中学までは母が髪を剃ってくれていたので気付かなかったが、高校に入って髪を伸ばそうとすると、脳天部分だけが、なんとしても髪が生えなかった。
おまけに父が、カッパ、カッパとしじゅう言うので、「自分はきっと、カッパの血が流れているんだ」と推測していた。
父は、あまり泳げないし、水中で息を吸うこともできないらしいので、母がカッパだろうことも判っていたのだ。母は暇さえ有ればぬるい風呂に入ってるし、スポーツクラブのプールに通っている。おまけに、ヘアピースなどという部分カツラを大量に持っている。辻褄が合う。
娘の蓮美は、自分がカッパの子孫だと知らない。知らない方が良いだろうと思い、蓮美の肺が少し常人と違うことを理由にして、水泳の授業は受けさせなかった。水に入らなければ気付かない。
蓮美はカッパの孫で、人間の血の方が濃いおかげで、水ナシでも問題なかったし、脳天の髪もちゃんと生えた。
蓮美の子の代になれば、さらにカッパの血は薄まっていくだろう。
それも寂しい気もするが、近年の水の汚染を鑑みれば、その方が良いのかもしれない。
自分は、カッパの血筋のおかげで、海保の仕事が性に合っている。
本当は、鬱陶しい潜水装備など必要ないのだが、それはしょうがない。
この仕事のおかげで、救助した美しい妻と知り合い、縁あって結婚することができた。
唯一の不自由は、頭をすっかり剃っておかないと、フランシスコザビエルみたいな髪型になってしまうことか。
それもまぁ、幸い、坊主頭はけっこう似合ってるから、良しとしておこう。